欲しい物は いつもある
大きいもの 小さいもの 形のあるもの 形のないもの
たとえば
カメラのレンズだったり
好きな作家さんの新刊だったり
可愛い雑貨だったり
うちの子達とゆっくり過ごす時間だったり
当たってるtoto BIGの券だったり(笑)
でも もし神様が何かくれると言うのなら
『写真の才能』か『母性』が欲しい
と 言うと思う
どちらも形がなくて 目に見えない
だけど 私がずっと欲しいと思っているもの
・・・この際 神様じゃなくてもいいや
誰か 私にくれないだろうか
私はよく
「何でも自分のことのように受け止めて考える」
と言われるのだけれど それは
私が そう云う性質であると云うだけの話で
優しさだの愛情だのとは 関係がない
優しいか優しくないかで言ったら 私は明らかに優しくない
我が強く、口が悪く、他人のことを気にしない
猪突猛進の割りに 頭でっかちの理屈屋で小ざかしい
そんな人間は 普通に考えて優しくないだろう
ただ 一緒に過ごす時間の中
何気ない生活の中で 私は色々な物に触れ
自分でも気づかないうちに それを呑み込み、自分のものとする
そうして 寄り添う
主に 小さな命と関わる時、それはごく自然な感覚で
何がどうとかこうとか云う問題ではないし
自分でも どうにも出来ない
それは 30年かけてあの環境で作られてきたものだから
もしかしたら 欠落した母性の代わりなのかも知れない
気がついたら そう云う性質になっていた
それはもう 生きている限り変わらないのだと思う
私は 優しいのではない
「ひと」として、劣っているのだ
他者の痛みを吸い上げ
自分のものとして抱きしめることでしか
自己を形成できないのだ
欲しい物は いつもある
大きいもの 小さいもの 形のあるもの 形のないもの
40年と云う時間を生きて
更に新しい1年へと足を踏み出そうとしている今も
・・・叶うなら
私は 優しくなりたい
誰かを抱きしめる 腕になりたい
髪を撫でる指になりたい
「大丈夫」だと囁く 声になりたい
寂しい時に寄り添う 温もりになりたい
小さな子供だった頃 欲しくて欲しくてたまらなかった
そんなものに なりたい
私は我が強く、口が悪く、他人のことを気にしない
猪突猛進の割りに 頭でっかちの理屈屋で小ざかしい
それは これからもきっと変わらないのだと思う
だけど諦めたくないのだ
努力を し続けたいのだ
『私』と云う 命が続く限り
私は私を 諦めたくないのだ
あがき続けていたいのだ
そうして 私は いつか
強くて優しい 私の大切な人たちに見合う
人間になりたい
・・・かなり前に書いたものですが、今も
変わらない気持ちなので 今回こちらに載せました
「復活の 狼煙にかえて」
2015年4月20日 坂崎 万葉
*お休み期間中の出来事については、ぽつぽつとUP予定〜(^-^)