2011/7/18  11:12

そこに在ること  しっぽコラム/エッセイ

朝、四ツ谷駅前を通ると強烈な草の匂いが鼻をついた。
どこかで草刈りをしたのだろう。

バッサリとカットされ、そこから出た匂いの成分が
夏の強い日差しと気温の高さに触発され、晴れ
辺り一面にツ〜ンと鼻をつくような匂いを振りまいている。

ピュアで少しせつない朝の空気がその匂いに拍車をかけ胸をしめつける。
子どもの頃、原っぱで感じた匂い。
むせ返るような強い緑の匂いにキ〜ンと頭痛がしそうだ。@〜@

四ツ谷駅前は緑豊かな場所ではあるけれど、
この強い匂いがどこから匂ってくるのかがさっぱりわからない。
ただ間違いなく、彼らはそこに在る。
自分の存在を主張するかのような強い匂いがそうおしえていた。

仕事帰り、四ツ谷駅に着き、電車の扉が開くと 
ふわぁ〜っと草の匂いが漂う。
涼しい夜の風に朝とは違う穏やかな草原の匂い。

ビルに囲まれたジャングル、夕日
せわしない時が流れる大都会の中でホッとする瞬間。
彼らはいつもそこにいて、癒してくれる。


梅雨が明け、街中の紫陽花はくたびれて、茶色く変色し、
ピーク時の美しさはどこにもない。
その姿にはどこか
生きた証
のような美しさを感じるけれど、
今となっては彼らに目にとめる人はいない。

少し前まで彼らがそこで美しく咲き誇っていたことも
今彼らがそこに在ることも
そこを通る人たちの意識から消えてしまった。

1年が過ぎ、また新しい花が色をつける頃、ふと思い出す。
そこに彼らがいたことを。

1年間、目を向けられることもなくそこで生き続け
時が来たら、また美しい色で私たちを癒し、
時がたてば、忘れられていく、
その繰り返し。

ピークが過ぎれば記憶から消えていく。
流行、廃りの中で生きている人間の意識なんてそんなものだ。


仕事帰り、職場近くの診療所に寄った。
待合室に座ると、隣りに親子連れが座っていた。
3歳くらいの男の子。
軽いぜんそくのような咳をしている。
髪にはほんの少しの寝ぐせ。
お家で寝ていたのだろう。

お母さんはそっと抱き上げ、膝の上にのせると
小さな声で話しかけながら、彼の背中をゆっくりさすり始めた。

男の子はお母さんにもたれかかり、ぴったり体をくっつけ、
咳をしながら、私のことをジィ〜っと見つめている。
苦しいながらもお母さんという安心感の中にいるのだろう。
お母さんに身をあずける彼の姿を見ていればすぐわかる。

背中をさするお母さんの手と彼の服がこすれる音が
待合室に流れるオルゴールミュージックのテンポと
ミョ〜に合って、心地よく、
隣りに座る私も見知らぬお母さんに身をあずけたくなった。

名前が呼ばれお母さんの膝からおりた彼は
お腹をポリポリかきながら、ちょこちょこんと歩いて
診察室へと入っていた。

あの男の子にとって、お母さんがそこにいてくれることが大事なのだ。

見えなくても
当たり前と思われることでも、

在り続ける

そこに何か意味がありそうだ。
2
タグ: 四谷 紫陽花 匂い




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ