2010/1/17  12:32


昨年末のこと。
大掃除を終え窓を閉めようと思ったら私の名前を呼ぶ声。
窓からのぞくと1冊の本を持った女性がこちらに向かって歩いてきた。
私が子どもの頃からよく知るお隣りのおばさんである。おばあちゃん

彼女はいつも玄関からではなく我が家の出窓からやって来る。
少しのお菓子を持って、窓をコンコンとたたく。
そして窓越しに植木の話をして「じゃあね」と笑顔で帰っていく。
独りで暮らす私のことをさりげなく気にかけてくれているのだ。

その日彼女が手に持っていた本が何なのか、私にはすぐにわかった。
おばさんの自分史である。台帳

昨年母から「Tさんが自分史を作るんですって」ときいていたので、
「出来上がったんですか?」
と言うとおばさんはニッコリと微笑み私に一冊くださると言う。

窓を閉め、すぐにページをめくった。
シンプルなデザインの表紙をめくるとおばさんが描いた水彩画、
随所にデッサン画、若き頃の写真。
日々の生活で感じた話、子どもの頃の話、創作話、
かつて飼っていたペットの話、私の母との話、長年書きためた作品。
絵も文章も上手で、彼女のやさしい人柄がにじみ出ている。

その中のひとつを読んだときすぅ〜っと引き込まれた。
心の手」という作品。

人の心を知ることは難しい。
「この人はこういう人だ」と形容するけれど、本当にそうなのか?
こころには千手観音のように無数の手が伸びているのかもしれない。
正義感の手、怒りんぼうの手、はにかみの手・・・
その一本一本がどこの誰のこころの手とつながるのだろうと想像してみる・・・
 
                            
何度も何度も読み返してみた。
こんなにも心にすぅ〜っと入ってくるのは、
私が日々思っていることと重なったからかもしれない。

自分が思う自分と、他人が思う自分にはがある

「あなたは○○が好きだもんね」と言われるけれど、
私はぜんぜん好きじゃなかったりする。'_';

「あなたは○○だもんね」と言われると
「私の心の奥に流れているのはそんなんじゃない」
と心の中で叫んでは根拠のない自信で相手を否定してみたりする。`へ´
この人は何を見ているのだろうと不思議になったりもする。

他人は自分の全てを知る必要がないのだから仕方あるまい´_`

不完全燃焼なその気持ちをぎゅっと丸めて
とりゃぁ〜
とどこかへ投げてみる。

その辺の木に引っかかって落ちてこないか、
地面にたたきつけられてパリンと割れるか、
はたまたシャボン玉のように宙でパチンと割れるか・・・
手元に残さないようにしている。

子どもの頃、寒い日は友人と腕を組んで登校した。
二人でぎゅっとすると、寒さが半減するような気がした。
ぎゅっとする強さで友人がどれだけ寒さを感じているのかが
わかるような気がした


アメリカでホームステイしていた頃、初対面の人とは必ず握手をした。
握り返す強さで温かい人か、クールな人か、
元気か、それとも不安を感じているか
相手の心理状態がよくわかった


日本に戻ったら握手をする機会などなくなり、
相手を知る術は言葉や態度だけになった。
だから誤解が生じ、関係もギクシャクしたりする。
実に面倒くさい・・・

私はへそ曲りだから、見たものをそのまま受け取ることができない。

この人はいつも明るく振舞っているけれど、
家に帰ったら疲れてぐったりしてはいないだろうか。

この人はいつもニコニコしているけれど、
さみしがり屋さんだから一人涙を流してはいないだろうか。

この人はとても頭がよくて器用で信頼されているけれど、
プレッシャーに押しつぶされそうになってはいないだろうか。

勝手にいろいろ想ってみる。
だって、他人が自分に見せている姿はその人のほんの一部なのだから。

ホットカーペットの上に大の字になって天井を見つめ、
あれこれと想いをめぐらせてみた。

大掃除の疲れと皆同じ想いを抱えていることに安心して
穏やかな眠りへと落ちていった。-_ゞ
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タグ: 自分史 こころ 年末




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