2009/2/17 23:19
しっぽ通信 Vol.23 しっぽ通信
飛んでますね、あいつが。
「花粉」という名の 宿敵 が今年もやってまいりました。
私はもうすでにピークを迎えているのではないかというくらいグッタリ。
私には見えます、黄色い粉粉が・・・ひゃ〜
これがしばらく続くのかと思うと憂鬱な毎日でございます。
先週末、母が遊びに来ました。
ふと母の鞄を見ると、某タレントさんのサイン色紙が。
かわいいクマの絵が書かれたサイン色紙が2枚。
実は、私が住む家のお隣りは某有名女性タレントさんの
親戚のお家なんです。
知り合いの小学生姉弟にそれを話したら「サインが欲しい」と頼まれ、
お隣りのおばさんにお願いしていたものが届いたらしい。
「ファンなの?」ときくと、「芸能人のサインを持っていたい」
という理由らしい。
不純だ・・・小学生らしい見事に不純な動機です。
それを手にした姉弟は学校で
「あたし○○ちゃんのサイン色紙持ってんだぁ〜」
と鼻高々なんだろうな。
でも・・・
子どもの頃、有名人のサインを持っているってすごいことでしたよね。
数年前まで四谷には文化放送がありました。
私はその真向かいにある小学校に通っていたので、
芸能人にはしょっちゅう遭遇。
放課後遊んでいると
「キョンキョンが入って行ったぁ〜
」
という情報が。
ファンだった友人が家から持ってきたキョンキョン主演映画の
パンフレットを差し出し
「サインしてください」
というと、快くサインをしてくれました。
みんなで「すごい、すごい」と興奮したのを覚えています。
子どもだから、近づいていっても嫌な顔せずに、みな握手をしてくれたり
サインをしてくれたり。
当時、文化放送の中には公文教室が入っていて、子どもが出入り
していても注意されることなどない、今思えばとっても不思議な所でした。
※ちなみに、私が会えて一番うれしかったタレントさんは欽ドンのフツオ君。
当時「イモ欽トリオ」は私たち子どものアイドルでしたから。
そんなことを思い出しながら
「サインねぇ・・・」
と色紙を眺めていたら、「サイン色紙」という物がものすごく不思議なヤツに
見えてきました。
だってさ、サインはたいていグチャグチャって書いてるから
「○○さんのサインです」
と書いていないと誰のものかわからないことも多いですよね。
自分のために書いてくれた物ではない場合もあるし、
印刷された物もあるし、もしかすると本物ではない場合も。
それでも皆欲しがるのは・・・
ファンだから?
有名人だから?
思い出だから?
本人が手にしたっていうぬくもり?
お店の壁に飾ってあるのは、
宣伝のため?
利益のため?
一種のステイタス?
実は常連でもないのに無理やり書かされた場合も。
それでも「うちには芸能人がたくさん来ています」的な・・・
私が子どもの頃、某元サッカー選手のおばあ様が私の祖母のところへ
よく遊びに来ていました。
当時はまだJリーグなどなかった時代、おまけに我が家には
サッカーファンが一人もいないので、祖母がもらって来たサイン色紙に
誰一人興味を示すことなく。
しばらく居間に飾ってあったものの、いつの間にやらどこかへ・・・
物の「価値」ってすごく曖昧で不思議な物だと思いませんか?
その「人・物」が「好き」な人はそれを手にした時「嬉しい」と感じるけれど、
無関心な人には何の意味も持たない。
自分が「これは○○だ!」と信じれば、例えそれが真実でなくても
その人にとっては意味を持つ・・・
ほんの少しでも「興味」と「愛情」、時に「欲・見栄」があるから、
些細な物事でもその人にとって価値が生じるのでしょうね。
それは、生きていく過程で何を優先するかが人それぞれ違うことにも
似ていますよね。
中には、その物・事をお守り代わりにする人もいたり。
人間て、ほんの些細な事で、嬉しくなれたり、心が強くなれたり、
気持ちが大きくなれたり。
複雑と思われながらも実はとっても
単純な生き物 なのかもしれないなぁ・・・
と思ってみたりします。
「○○ちゃんへって名前が書いてないね」と言うと、
母 「ちょっと書いて。子どもだからわかりゃしないから」
って、おいっ・・・
人のサインに手を加えるのはいかがなものかと思いますが、マダム。
でも、それをもらった姉弟は「自分のために書いてくれた」と信じて、
しばらくはハッピーな日々を送れることは間違いありません。
でも・・・
「なんでも鑑定団」に出して「別人の手が加わってますね」と見破られ、
価値が下がっても苦情はお受けできません。
ということで丁重にお断りいたしました。
「花粉をのりきれるかも」と強い気持ちを持てるには
どんな「単純作用」が働けばいいのだろう???
誰かおしえて欲しい・・・そんな今日この頃でございます。
花粉でお悩みの皆さま、今年もがんばってのり切りましょう。
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「花粉」という名の 宿敵 が今年もやってまいりました。
私はもうすでにピークを迎えているのではないかというくらいグッタリ。

私には見えます、黄色い粉粉が・・・ひゃ〜

これがしばらく続くのかと思うと憂鬱な毎日でございます。
先週末、母が遊びに来ました。

ふと母の鞄を見ると、某タレントさんのサイン色紙が。
かわいいクマの絵が書かれたサイン色紙が2枚。

実は、私が住む家のお隣りは某有名女性タレントさんの
親戚のお家なんです。
知り合いの小学生姉弟にそれを話したら「サインが欲しい」と頼まれ、
お隣りのおばさんにお願いしていたものが届いたらしい。
「ファンなの?」ときくと、「芸能人のサインを持っていたい」
という理由らしい。
不純だ・・・小学生らしい見事に不純な動機です。

それを手にした姉弟は学校で
「あたし○○ちゃんのサイン色紙持ってんだぁ〜」
と鼻高々なんだろうな。
でも・・・
子どもの頃、有名人のサインを持っているってすごいことでしたよね。
数年前まで四谷には文化放送がありました。
私はその真向かいにある小学校に通っていたので、
芸能人にはしょっちゅう遭遇。
放課後遊んでいると
「キョンキョンが入って行ったぁ〜

という情報が。
ファンだった友人が家から持ってきたキョンキョン主演映画の
パンフレットを差し出し
「サインしてください」
というと、快くサインをしてくれました。
みんなで「すごい、すごい」と興奮したのを覚えています。
子どもだから、近づいていっても嫌な顔せずに、みな握手をしてくれたり
サインをしてくれたり。
当時、文化放送の中には公文教室が入っていて、子どもが出入り
していても注意されることなどない、今思えばとっても不思議な所でした。
※ちなみに、私が会えて一番うれしかったタレントさんは欽ドンのフツオ君。
当時「イモ欽トリオ」は私たち子どものアイドルでしたから。
そんなことを思い出しながら
「サインねぇ・・・」
と色紙を眺めていたら、「サイン色紙」という物がものすごく不思議なヤツに
見えてきました。
だってさ、サインはたいていグチャグチャって書いてるから
「○○さんのサインです」
と書いていないと誰のものかわからないことも多いですよね。
自分のために書いてくれた物ではない場合もあるし、
印刷された物もあるし、もしかすると本物ではない場合も。
それでも皆欲しがるのは・・・
ファンだから?
有名人だから?
思い出だから?
本人が手にしたっていうぬくもり?
お店の壁に飾ってあるのは、
宣伝のため?
利益のため?
一種のステイタス?
実は常連でもないのに無理やり書かされた場合も。
それでも「うちには芸能人がたくさん来ています」的な・・・
私が子どもの頃、某元サッカー選手のおばあ様が私の祖母のところへ
よく遊びに来ていました。
当時はまだJリーグなどなかった時代、おまけに我が家には
サッカーファンが一人もいないので、祖母がもらって来たサイン色紙に
誰一人興味を示すことなく。
しばらく居間に飾ってあったものの、いつの間にやらどこかへ・・・
物の「価値」ってすごく曖昧で不思議な物だと思いませんか?
その「人・物」が「好き」な人はそれを手にした時「嬉しい」と感じるけれど、
無関心な人には何の意味も持たない。
自分が「これは○○だ!」と信じれば、例えそれが真実でなくても
その人にとっては意味を持つ・・・
ほんの少しでも「興味」と「愛情」、時に「欲・見栄」があるから、
些細な物事でもその人にとって価値が生じるのでしょうね。
それは、生きていく過程で何を優先するかが人それぞれ違うことにも
似ていますよね。
中には、その物・事をお守り代わりにする人もいたり。
人間て、ほんの些細な事で、嬉しくなれたり、心が強くなれたり、
気持ちが大きくなれたり。
複雑と思われながらも実はとっても
単純な生き物 なのかもしれないなぁ・・・
と思ってみたりします。
「○○ちゃんへって名前が書いてないね」と言うと、
母 「ちょっと書いて。子どもだからわかりゃしないから」
って、おいっ・・・

人のサインに手を加えるのはいかがなものかと思いますが、マダム。
でも、それをもらった姉弟は「自分のために書いてくれた」と信じて、
しばらくはハッピーな日々を送れることは間違いありません。
でも・・・
「なんでも鑑定団」に出して「別人の手が加わってますね」と見破られ、
価値が下がっても苦情はお受けできません。
ということで丁重にお断りいたしました。
「花粉をのりきれるかも」と強い気持ちを持てるには
どんな「単純作用」が働けばいいのだろう???
誰かおしえて欲しい・・・そんな今日この頃でございます。
花粉でお悩みの皆さま、今年もがんばってのり切りましょう。

