『風の又三郎』 1940年日活多摩川
監督:島 耕二
脚色:永見隆三、小池慎太郎
原作:宮沢賢治
撮影:相坂操一
音楽:杉原泰蔵
出演者: 中田弘二、北竜二、風見章子、西島悌四郎、片山明彦、大泉滉、星野和正、小泉忠、中島利夫、林寛、見明凡太郎、杉利成、南沢昌平、河合英一、久見京子
子供たちの持つ夢と怖れを、ある少年に託して語った幻想的な映画である。
賢治の原作をよく咀嚼してつくられていて、映画として単なる抒情詩以上の含蓄のあるものになっている。
少年時代の得体のしれない憧れや畏れを自然を背景にした画像によって、一人の少年を幻想的な想いをかなえる人物として扱っている。その人間は遠くから来なければならなかったし、そして知らないうちにどこかへ消えてしまわなければならなかったのだ。
ぼくらが小さい時に一度ならず心に感じた風景がこの映画を見ているとよみがえってきそうな気がする。そんな映画である。限りなく想像力をかきたてるのだ。
村の小学校の教室で、見知らぬ少年が座ってじっと前を見つめているのを見つけた子供たちは驚いた。そしてこの少年にそれぞれが異質なものを見つけて勝手に想像するのだ。ある少年(嘉助)はそれを、あいつは二百十日の風にのって来た風の又三郎だと言うのだった。風の又三郎というのはこの土地に吹き荒れる風を擬人化した子供たちの想像の産物なのだった。
しかし彼は遠くの学校から転校してきた子供だった。先生に紹介されて、三郎という名前と知ったとき嘉助は、やっぱり風の又三郎だ!と言った。
たしかに彼は異質な子供だった。村のことばを話さないし、その話し方やしぐさが村の子供とは違っていた。彼は子供たちにとって異界から来たふしぎな人間なのだ。しかし子供たちは三郎を受け入れその仕草におどろいたりはやしたりするのだった。子供の中にある寛容と差別は好奇心にすっかりと置き換えられてしまったのだ。
あるとき子供たちは馬のかけっこをしようとして馬の群れを追いたてて牧場から逃がしてしまう。嘉助は森に迷ってしまい疲れて倒れたまま眠ってしまった。眠りから覚めるとそこにガラスのマントをつけた又三郎がいたのだ。そして又三郎はそのまま空へ飛んで行ってしまった。
駆けつけた仲間に発見された嘉助はすっかり水に浸って風邪をひいてしまっていた。
そして家で寝ている嘉助のところに子供たちが集まってきた。嘉助は空を飛んで行った又三郎のことを話すが、又三郎はおらたちと一緒におまえを探していたんだ、おまえは夢を見たんだ、と言われてしまう。
しかし彼の中では三郎はすっかりと風の又三郎になってしまったのだった。
またあるとき、川で泳いだり相撲を取ったりして遊んだあとに、負けて悔しかったら風を吹かしてみろと言われて又三郎が歌うのがあの、どーどどどどーど、どどーど、どどーという歌である。
すると風が吹き出し空は暗くなり雷が落ちてくるのである。子供たちはずぶ濡れになりなんだか怖くなって逃げ出してしまう。一人残った嘉助だけはなんだか嬉しそうに、おれはお前が風の子だってことを知ってた!と叫んで帰って行ったのである。
その夜子供たちはそろってまんじりともできなかった。皆なにか同じように又三郎がいなくなるのじゃないかと思っていたのである。そしていつもより早くに学校に行くとみんな集まっていた。
そしてやはり先生に、又三郎はもう遠くへ帰ってしまったと告げられるのだ。しばらくすると風が吹いて木々を揺らした。子供たちは窓から入道雲をながめて、あの歌を歌い始めるのだった。
実に気持ちのいい作品である。子供の本質をついた作品だ。

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