『はたらく一家』 1939年東宝
徳永直 原作
成瀬巳喜男 脚本、監督
徳川夢声、本間敦子、生方明、伊東薫、南青吉、平田武、大日方伝、椿澄枝
勉強が好きで意志もあるが貧乏ゆえに生き方に悩む息子と、父親と家族の群像である。
一家は子供6人に祖父母と赤ん坊、それに両親で何と11人家族である。この父と三人の息子たちはそれぞれに精一杯働いているが生活はギリギリである。母も袋貼りの内職をしている。
そんな家庭の、男の子4人と下の幼い兄妹、という6人の子供と両親の生きざまを描いている。
これだけのはたらきにもかかわらず生活が苦しいということが日本のこの時代の、下層の人びとがいかに低賃金で働かされていたかという証左である。
成瀬は淡々とこの一家の息子たちのすがたを追うがほとんどドラマとしては成り立っていないのだ。事件があるわけでなし子供が反抗するでもない、かえってものわかりのある親と子供たちなのである。つまり映画は淡々とすすんでいくのだ。
まるで貧乏家族のドキュメンタリーである。しかしそのセミドキュメンタリー映画としての質は高い。
それで彼が、まるで実際の親子の営みを綴ったかのような映像の中であらわしたものは何か。それは親子の確執と愛情のあり方、子供が親と自分自身に向かう姿、ほのかに芽生える恋心、親の誇りとやるせなさ、そしてその底に流れるのはどうしようもない貧しさなのである。
働いても働いても人間らしい生活の見えない苛立ちなのだ。かれが言いたかったことは、下層の人びとがいかに搾取されているかという日本の事実を、決してインテリのようにではなく下層の人の感性であらわしたとも受け取れるのだ。
ほかの成瀬巳喜男の映画とは少し違う印象を受けるのは、はっきりとこの家庭が家族の在り方として「恵まれている」はずだという確信なのだ。
多くの作品にみられる、不幸ななかでもそれなりの喜びと悲しみがあるという庶民の抒情詩ではなく、明らかに恵まれた子と親を持つこの家族が、なぜ不幸としてしか描けないのかというジレンマなのだ。それを真正直に映画であらわしているように思える。
彼らは皆はっきりと希望に向かっているはずなのに、それが悲しい。それが苦しさとしか描けない現実に成瀬は苛立っているように見える。

0