『残菊物語』 1939年松竹京都
村松梢風 原作
溝口健二 監督
依田義賢、川口松太郎 脚本
菊之助:花柳章太郎 お徳:森赫子
中村福助:高田浩吉 栄寿太夫:川浪良太郎 尾上松助:高松錦之助 守田勘弥:葉山純之輔 尾上多見蔵:尾上多見太郎 待合の客:結城一朗 新富座の頭取:南光明 小仲:伏見信子 茶店の婆:中川芳江 五代目尾上菊五郎:河原崎権十郎
歌舞伎役者の身分違いの恋。『鶴八鶴次郎』の芸道もの、『近松物語』の身分違いの悲恋を合わせたようなすご味である。
画面の緊張感が半端ではない。これは溝口映画の神髄である。
ありきたりの物語が溝口健二の手にかかるとこれほどまでに、二つとないようなものになってしまうことに全く驚嘆するのだ。
二代目尾上菊之助は、親の七光りで人気はあったが芸はまだ未熟だった。しかし周りはちやほやとするばかりで身になる評価はしてくれない。ところが奉公人のお徳はそういう彼の役者としての身を思い、つい、周りのおだてに乗ってはいけません、若旦那の芸は人が言うほどではないですよとつい口走ってしまう。
菊之助はお徳のこの言葉に怒るどころか、初めての親身な言葉に心を動かされるのだった。彼はそののちは人が変わったように遊びを控えるようになった。
おぼっちゃん然としたたたずまいの菊之助の正直な素振りがとてもうまい。お徳の控え目でありながら屹然とした物言いがまた素晴らしい。
ある晩花火に行かずに台所で二人だけでスイカを食べる場面はこの上なく美しい。
しかしこの二人が近づいたことを知った菊之助の母がお徳を解雇してしまう。驚いた菊之助はすぐお徳の実家に行くが、そんな彼の行動を父菊五郎はひどく怒ってついに勘当してしまうのである。
世間体ばかりを重んじる音羽屋の面々に愛想を尽かした彼はついに東京を去り、大阪の多見蔵を頼って出て行った。そしてお徳も彼を追って大阪に行き二人でしがない宿で生活をすることになる。
しかし大阪でやっと目が出ようとしたときに座長の多見蔵が死んでしまう。芝居小屋も売られることになり一座は解散する羽目になる。菊之助はついに旅役者として地方に出ることになる。
そしてだんだん生活は荒れ、彼の心も荒んでしまい、お徳は疲労のために肺病を患ってしまう。彼女もつくづく芝居というものは家柄が大事だと感じるのであった。
そんなときに東京時代の役者で親友の福ちゃん(中村福助)が大阪に公演に来ているということを知る。お徳は菊之助に内緒で福助のところを訪ね何とか芝居をさせてほしいと頼み込む。なんとか彼は舞台を踏むことができたのだった。大喝采の中、奈落でこの舞台の成功を祈るお徳の姿には鬼気迫るものがある。
そしてこの公演は大当たりをし菊之助は晴れて東京に帰れることになるのだ。
歌舞伎の芸とは家柄なのだと、骨身にしみて知ったお徳の心にはある覚悟があった。彼と別れて音羽屋という家柄に夫を返すという決断をする。彼女は理不尽な選択をしたのだ。
舞台を終えて菊之助が晴れて夫婦になれることをお徳に告げる。そして死の床にある彼女から離れたくないと言うのを聞き、彼女はごひいき筋に挨拶をしてきなさい、これは妻の言うことですと言って彼を送り出す。
やんやの喝采の一方で、下宿屋でお徳は静かに息を引き取るのだった。
とにかく一分の隙もない画面つくりが見事である。劇中劇の歌舞伎舞台を見ていてもなぜかハラハラするほどなのである。
真実一路な女、を描いたらほかには比べるものがないほどの溝口の映像美である。

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