『女優と詩人』 1935年PCL
成瀬巳喜男 監督
永見隆二 脚本
宇留木浩、千葉早智子、藤原釜足、戸田春子、三遊亭金馬
どうもこれは落語をたたき台にしているらしい。売れない自称詩人と芝居の女優の夫婦。
旦那は妻の給金に頼って、炊事洗濯と家事一切をやっている。その気のいい旦那のところに近所のおかみさんが取り留めもないおしゃべりをしに来る。おかみさんの旦那も保険の勧誘の仕事をしているが尻に敷かれっぱなしだ。
こういったコミカルなシチュエイションはお決まりの構図だが、それは映画だけのことで実際の世の中は男の世界だったはずだ。しかしこういう気分が当時の世の中にあったことも確かである。それは時代を下って現在においても構造的にはあまり変わってはいない。
成瀬作品では珍しく笑いの要素がたくさんある。まるで漫画を見ているような気分だ。もちろん当時の毒っ気のない漫画である。
エプロン姿のダンナはよく気が利いてかいがいしく動く働き者だ。詩人とはいっても童謡の歌詞を書いているらしく、あまり実入りはよくない。
その代り奥さんが女優をしているので家計は奥さんに頼っている、当時では典型的な夫婦像が逆転した家庭なのだ。これをコミカルに描いて面白さを出している。
ここにダンナの友人の風来坊が下宿をオン出されて転がり込んでくる。かわいそうだからいいじゃないかという夫と、下宿代も払わない人なんてダメという妻とでひと悶着起きる。
このセリフがちょうど妻の舞台稽古用のセリフと全く同じで、風来坊氏は芝居の稽古だと思って見物するが実際のけんかとわかった。
夫が、こんな風で悪いけどやっぱり家に置くわけにはいかないというと、一家の主人がそういうならあきらめるよと帰ろうとする。
するとやにわに妻の風向きが変わり、夫を主人と認めてくださって気持ちが変わりました、といって、それ以降かいがいしく家事をするようになったのである。もちろん風来坊氏は間借りをすることに成功したわけだ。
この話に隣の保険勧誘員をしている旦那(三遊亭金馬)とおかみさんの夫婦喧嘩がはさまり、こっちも一度は大ゲンカになるが、結局は元のさやに納まる話がついている。
これで一件落着。マンガみたいな話である。
こういう話をうまい具合に作ることもできるという成瀬巳喜男の別の才能を確認した。
『秀子の車掌さん』 1941年東宝(南旺映画)
成瀬巳喜男 脚本、監督
東健 撮影
高峰秀子、藤原釜足、夏川大二郎、勝見庸太郎、清川玉枝
成瀬監督が高峰秀子と組んだ初めの作品である。まだ子役時代の面影が消えていない高峰がちょっときつい面差しだ。タイトルに「秀子の」と入れたのは高峰秀子を売り出す会社の意図が見える。
藤原釡足が藤原「鶏太」という名前で出演しているが、これは時の内務省が歴史上の「藤原鎌足」を冒涜しているという理由で変えさせたという。それで彼は「変えた」=「鶏太」としたそうな。(「ウィキペディア」による。)
当時流行った田舎のバスガールものである。
新興のバス会社に客を取られて、乗ってくるのは大きな荷物を持った客ばかり。つまりトラック代わりに利用しているのだ。
若い車掌のおこまさん(高峰秀子)と運転手(藤原釜足)は何とか楽しく仕事をしたいし客を取り戻したいと思い社長に、路線の土地にまつわる謂れをガイドしたらどうかと持ちかける。するとその件はあっけなくOKということでさっそくガイド用の文を知り合いの売れない小説家に頼むとこれもあっさり引き受けてくれた。
ある日その小説家を載せてガイドの練習を兼ねて走っていると、バスが子供を避けた際にみぞに落ちてしまった。大したことはなかったのだが、その件を会社に報告すると社長は保険がかかっているのだからそんなボロバスは壊してしまえという。壊れていないなら今すぐエンジンでもなんでも壊せ、などと言う。
しかしそこにいた小説家は嘘偽りを言って利をむさぼることは人のすることじゃあない、といやに道徳的な人なのだった。
社長は、あれは冗談で言ったのだとごまかすのだが、どうもこの社長もあまり悪人ではないようだ。かえってバスをきれいにしたり社員の待遇を良くしたりと妙に機嫌がいいのだ。
こういうのんびりとした欲も悪意もない人間ばかりを描く成瀬の意図は何だったのだろうか。時は戦々恐々とした味気ない時代だったはずである。
物語が事件になりそうになると、観客のある「期待」を裏切って、なにごともなくストーリーを進めてしまうところが、かえって新鮮である。

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