『父ありき』 1942年松竹大船
小津安二郎 脚本、監督
池田忠雄、柳井隆雄 脚本
厚田雄治 撮影
笠智衆、佐野周二、津田晴彦、佐分利信、坂本武、水戸光子、
ことによるとこの映画は、ファザースコンプレクスの一言で語られてしまうかもしれない。コンプレクスという言葉が一人歩きして、これを使えばもうわかったような気持ちにさせるという、いわば類型化して納得するという向きにはもう何も言うことはない。
人間関係の古くもあり新しくもあるつながり方である。人は何らかのコンプレッサーによっていやおうなく影響を受け、それに引きつけられていき、心のある部分を支配される。こういうだれにでもある心のくびきというものを、父と息子という形を借りて現わした映画なのだ。
映画でよく使われる題材が父子の物語だ。世界的によくみられる。ほとんどが強い父の影に怯える息子というたぐいだろうか。しかしエディプスコンプレクスの例を引くまでもなく、多くの昔、父という存在は絶対的な力を持っていたし、その影に怯える息子の物語があって当然の話でもある。
しかしこの映画はその縮小再生産のごとく、父の影はそれほど大きくはない。
それよりも優しい父というべきかもしれない。それでも父という存在にはどこかに強さという要素が潜んでいるのかもしれない。
映画は、妻が死に、男手で育てている父子の関係だ。息子は何でも父の言うとおりにハイハイとうなづく子供だ。自分の考えを父に向かって言うことはない。それで父のほうは何も気づかずに父としてすべきことをしていると思っている。
父は子供を知識職に就かせるために、東京に働きに出るのだが、別れの時、一生懸命やるんだぞと言っておさない息子を励ます時に、一心に涙をこらえる子供の姿が印象的だ。彼の反抗心は涙でしかあらわすことができないのだ。
中学では寮生活をさせ上の学校では仕送りをして息子を下宿させる。そして何年かがたち、25歳になった息子は秋田で学校教師になり教鞭をとるようになる。しかし彼はお父さんと一緒に暮らしたいという小さいころの想いが消えずに脈々と続いていたのだ。
そして父と再会したある日、教師をやめたいと言ってくるのだ。その理由はお父さんと暮らしたくて東京に行きたいというのだ。しかしやはり父は教師の職を全うしなさいと説得して息子を励まして帰してしまうのだ。
社会的には立派な大人だが心に幼いころの影が差しているのである。結婚までも父の言うとおりにしてしまう息子なのである。今でいえばあまりめずらしくもないが当時としてはこの息子の弱さは見る者にしたたかにショックを与えたに違いない。
そしてある日父は教師時代の教え子たちに囲まれて、同期の教師とともに酔うほど飲んだ。それが原因かどうか、脳卒中を起こして家で倒れてしまう。
入院した病院で先日の仲間と息子の目の前で父は帰らぬ人となり、息子は父に見られることを避けるようにして廊下で慟哭するのだ。
父の選んだ妻と秋田に帰る車中、遺骨を前にこれでやっと一緒に暮らせると口走る彼を見て、妻の顔は見る間にくずれていくのだった。
思うに、戦時中これほど弱々しい息子をテーマにして映画を撮った小津は、静かに時の時勢を批判しているのである。やさしい父と、弱い息子。弱さが決して人の欠点ではないという確固とした主張は、当時としてはかなり勇気を必要としたに違いない。
前にここに書いた(14年5月22日)『一人息子』は母と息子の物語だったが、これにしても決して多くを望まない、強くはない息子を描いていたことを思い出す。

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