『有りがたうさん』1936年、昭和11年日本
清水宏監督 上原謙、桑野道子主演
横に書いた文字『んさうたがり有』という題名が、この映画の古さを示している。なんたって「蒲田映画」と銘打っているのだ。しかし内容はまったく古くない。画像は旧い日本だがその内容はちっとも古さを感じさせるものではないのだ。
ロードムービーのひとつの型を示している。しかもそれは「バスの中」だけの人間模様で綴った革新的なものである。しかもさらにそれが見事に成功している映画である。清水宏、恐ろしいやつだ。
天城路を通る小さな定期バスの運転手が主人公。その街道の二つの峠を抜ける20里の間に、幾人ものドラマが語られる。その小気味の良さよ。人々の表情と言葉が多くもなく少なくもなく、これがそれ以上でも以下でもこの映画は、こうは見事に作られることはなかっただろう。
「有りがとうさん」とはこのバスの運転手(上原謙)の愛称である。彼は道行く人々を追い越すたびに誰彼となく「ありがとー!」と言って通り過ぎるのだった。美男子で気立てのいい彼は、それで誰からもそう呼ばれて親しまれている。気のいい彼はバスに乗らずに言付けだけをたのまれることもある。特に若い女性の人気の的である。
そんな彼のバスに乗り合わせた年老いた母と娘。この娘は身売り同然にして製糸工場に働きに出される旅の一里塚としてこのバスに乗り込んだのである。この峠を越えた娘は二度と戻っては来ない。
道行く人々もだれもが貧しさにあえいでいるのだった。その中には白い朝鮮服の一団がいて、道路を造ってはさすらっているのである。その中の一人の娘がバスに追いついて、私は自分のつくった道を一度でいいから歩きたいと言う。そして「有りがとうさん」に、工事で死んだ父の墓に水をやってくれと頼むのだ。彼女にとってもこの土地は二度と戻ることのない場所なのだ。これは印象に残る場面である。
こうして、普通ならばロードムービーとは二度と訪れることのないのは車のほうなのだが、この映画は時としてそれが逆転したシチュエイションなのだ。おもしろい。
桑野道子演ずる不思議な女も流れ者だが気丈な美人で、バスの客たちと丁々発止のやり取りをするのが、このあまりにも暗い世の中を反映したバスの空間を和ませるのだった。この映画の中では彼女と「有りがとうさん」が二輪の花なのだ。
そして彼女はくだんの娘を流し見て「有りがとうさん」の耳元に、中古のバスを買って事業をする金があればこの娘を何とかしたら?と謎めいた言葉をかけてバスを降りていくのだった。
何ともまいったな。こんな良作が昭和11年の映画にあろうとは。
世界のロードムービー史上でも、これほどの作品は5本の指に入るだろう。
ついでにもう一本
『もぐら横丁』1953年日本
尾崎一雄原作 清水宏監督 佐野周二 島崎雪子主演
新人小説家とその妻が辿りついたボロ長屋での人々の人情物語。
島崎雪子演ずる妻の姿がその貧乏生活に不似合いなほどとてつもなく明るいのだが、そのアンチリアリズムをすんなり受け入れられるようなファンタジーである。こういうことが可能なのは演技に大仰なところを一切つくらないという清水の一貫した姿勢だろう。見るものに感動を押し付けるということがない。物語の中にあえて「感動的なドラマ」を持ち込まないのだ。
そして清水宏の描く人物像には不思議な優しさがある。それは出てくる人々がいい人ばかりという非現実でもあるのだが、不思議とそれがちっともいやらしくないのだ。
総じてこの時代の日本映画はこうした淡々とした日常を切り取った、いやアンチリアリズムを日常風景としてつくった映画に秀作が多い。

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