暇な時間をなんとなく『古今和歌集』をぱらぱらとめくっていた時のこと、春の歌から始まり夏秋冬ときてひと段落し、次が「賀の歌」という項に入る。そこで初めに目に飛び込んできたのが次の歌だった。
「わが君は千代に八千代にさざれ石のいはほととなりて苔のむすまで」読み人しらず
えっと思った。思わず表紙を返すと確かにこの本は『古今和歌集』だ。
これは平安貴族のうたった和歌だったの?と、びっくりしてしまった。「わが君」という出だしを「君が代」に変えただけじゃん。
この歌がこんなところから取られていたって、知らないのは俺だけか?と思った。これほど知られた歌がこれほど有名な歌集から取ってきたものだとは、ぼくは初めて知ったわけだ。試みにそのあと同年代の人三人にきいてみたのだがいずれも知らなかったと言う。
やっぱりな。
しかしそんなことをなぜ公にしないのだろうとぼくはいぶかしく思った。
ぼくらの世代以前の人にとってはこの歌は軍国の歌であり、今の人にとってはそれを歌わなければ職を失うというほどの、どこか強権的な響きをもっている。そういう歌だ。
自分の国の「国歌」といわれるものがいったいどこで作られどこにその元があるかという事情を知らないくにってあるだろうか。誰もがこれに触るのを避けているのじゃないだろうか。そうでもなければ日本の一番有名な歌集にその元歌があるということを知らないほうがおかしい。この国はどこかおかしい。
和歌を伝授する人がそれをいうことも聞いたことがない。確かにそれほどの歌とは思えないが一応は「国歌」になった歌だぜ?それを隠す必要がなぜあるのだろうか。和歌をやる人はこの歌が国歌になったことでどこか『古今和歌集』じたいがけがれてしまったとでも思っているのだろうか。その気持ちは何となくわかるがはたしてそれでいいのだろうか。
右の人はそんな軟弱な歌が国歌とはいえないとでもいうのだろうか。そして左の人はこの忌まわしい「国歌」が由緒ある和歌集から取られていることを認めたくないのだろうか。
おかしな国である。

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