にわかに自転車が注目されている。今年の震災後に改めて人が動く機械として車より自転車が便利ということが判明した結果なのだ。
地面が壊れたり災害がおきれば移動手段は自転車かオフロードバイクが良いということは少し考えれば分かることだ。そういうことはしかし、ことが起きてからでないとなかなか気付かないということである。
さて、自転車が注目されてきたといっても良いことばかりじゃあない。お決まりの自転車迷惑論だ。今までは何かというと車側から危ない邪魔だと言われていたがこのところは歩行者に迷惑だという論調である。
ころっと変わるニュースの顔。でもこれは悪くない。いつだって歩行者が重視されなければいけないからだ。
いつの間にか自転車は車道を走れということになって、何だかその代わり身の早さに唖然としていたのだが、これは良かったと思っている。それまでの「自転車は歩道を走れ」「なんとなれば自動車の邪魔だから」というのはどうみても暴論だったからだ。
それが突然、自転車は車道が原則ということになった。
しかしこれを徹底されたら子供や年配者はたまらない。それだけでなくちょっと隣の店に行こうというときも遠回りしなければ行けなくなる。つまりどうみても例外を設けなくてはならないのだ。そしてそれはそういう風になりそうだ。なるに決まっている。
もともと自転車というものは気ままに乗れるからいいのであって、それを二人乗ってはいけないの、ケータイはいけないの、ウォークマンはいけないの、後ろのブレーキがないからいけないの、となればなんだか恐ろしげである。そんなものは各自の判断に任せなければいけない。
これを同じ論理でいえば重い荷物を積んではいけない、片腕の利かない人は乗れない、耳が聞こえない人は乗ってはならない、、注意散漫な人(どうやってそれを決めるのか)はいけない、ブレーキが利かない自転車は乗れないと、ま、そんなことになってしまう。そんな事をいちいち法令化しなさんな。
車のように何百キロもあるものがすっ飛んでいくわけじゃなし、そこそこのもんじゃないか。必要なのは心構え。
自転車は車道の左側という原則は悪くない。桎梏になるのはとにかく道の左に停めてある自動車の存在が道を塞いでしまっていることだ。
だからといって車を利用している人もちょいと降りるくらいで駐車場を探すわけにはいかないし、配達の車は停まるしかないだろう。そのときの自転車の車線変更の際が問題だ。スピードを落とさずにふくらんで車道の中央に出るか止まるかを瞬時に判断しなければならなくなる。
それも自転車に乗る者の判断と技術に任せるほかはない。
さて決まり事の好きなこの国で自転車がこれからも自由に走ることができるだろうか。

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