久しぶりにじっくりと音楽を聴いた。1960年代後半の「ステイプル・シンガーズ」のゴスペル調ソウル。
ボブディランの「The hard rein」も彼らが歌うとこうなってしまうという、まったくゴスペルとしか聴けないものに。
彼らステイプル・シンガーズとはメイブル・ステイプルを中心にした3人姉妹とその父親の4人のゴスペルグループである。教会から俗の世界に出て見事なソウルを歌った。メイブル・ステイプルはその容姿の綺麗さに不相応の野太い声である。流行り歌の世界では珍しいほどの音である。
ゴスペルで鍛えた謡(うた)いが、俗の流行り歌の世界に参じると生半可な歌はひとたまりもないという好例なのだった。
しかしだからといって流行り歌の世界で成功するかというとそうではない。そんなことは星の数ほど、数えたらきりがない。
歌というものはその歌に籠めたものが聴き手に伝わるかどうかなのだ。伝わらないものがいくら良質であってもそれはせんの無いものだ。
そして「あの時代」にはそれが伝わったのである。思えば、良いものがそれなりに伝わりやすい時代だったのだ。
80年代を過ぎてすべての物や事において本物は存在感を失った。本物はケムタイものになってしまったようだ。
ウソが見えるものほど安心できるというか、ほっとするのだろう。ものを見分ける力を失った者が選んだのは始めっからウソとわかるものに拘泥することだったということだ。
それなら安心だものね。
「大丈夫」だったでしょうか?

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