きんぴらを一面的に考えて作ってきた。
ごぼうもにんじんも繊維に沿って千切りにする。
きんぴらのポリポリという歯ごたえはそれで出る。それがきんぴらの美味しさなのだと、何も疑問をいだかずにそう作ってきた。
しかしである。ここんとこ入れ歯一歩前というところまで来て、歯医者に余り強く噛まないでくださいなんて言われたりする。それで、きんぴらが美味くない物になってきた。これはマズイ事態だ。と思っていた。
先日、時間に追われてきんぴらを作ろうとして、きちんと繊維に沿ってきざむのが面倒になって、エイッとごぼうをまな板に放りだして「斜めに」ざくざくと刻んだ。マッチ棒ほどの長さにだ。
それを指の腹で倒して端からまたざくざくといい加減にやったらあっという間にマッチ棒がたくさんできた。短いのもあるが出来て見ればそう悪くはない。で、にんじんもそうやって刻んだ。
はじから水に放していって水を切り、ごま油で炒めてからつゆを入れ蒸し炒めにした。
これで終わり。出来てみるとなんかこっちのほうが今の俺に合っていると思った。
今まできんぴらを同じやり方でつくり続けてきて、なんでそれに呪縛されていたかと不思議に思った。
考えてみると、料理っていうものは一旦受け継いだ方法から抜け出るのが、けっこう難しいジャンルだなと思った。
だから、他人の家に行くと、ちょっとしたお新香の切り方ひとつでも、奇異に感ずるものだ。

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