昨日、手を包丁で切ってしまいました。
結構グサッ と言ったので、無茶苦茶痛くて大騒ぎしました。(>_<)
それで思い出した事がありました。
20歳過ぎの頃だったと思います。その時も、包丁で手をグサッと切ってしまったことがありました。
血は吹き出し、痛さで悲鳴をあげんばかりになっていたにも関わらず、見つからないよう耐え抜いた経験があります。
それは、その場に、兄がいたから・・・
その日は、兄が暴れていたとかそういうわけではないし、どちらかというと、暴力はおさまりつつあった頃で、雰囲気としては、兄と母は、普通に会話していたと思います。
にも関わらず 包丁で手を切った瞬間私の心は、血の気がひいてしまってました。
というか、詳しく書くと、兄がいたから 動作がぎこちなくなり、手元が狂い、切ってしまったのです。
「しまった。よりによって兄の目の前で切ってしまった」
「見つかったらどうしよう」
「隠し通さなきゃ」
「恥ずかしい」
血は噴き出しているし、痛みで そんな状況にないにも関わらず、何事もなかったように隠し通したのです。
¨どうして見つかったらダメなの?¨
そう問われても、うまく答えられないのですが、
子供の時からの支配されてきた過程、恐怖の日々が、一瞬のうちに上記のような心の状態にしてしまったんだと思います。
長年の恐怖体験、抑圧された心は、心の奥深くに染み込み影響を与え続けます。
☆現在 私はカウンセラーとして活動しています。
AC(アダルトチルドレン)のカウンセリングルーム/相談室
私のカウンセリングルームです。
私のメインブログ(兄の家庭内暴力の事、虐待の事、強迫性障害の事 私の人生記録をいろいろ綴ってあります)最近は 日常の話題も多いです
強迫性障害克服体験記 も 書いています。
家庭内暴力のある家に生まれ育ち 今カウンセラーとして/カウンセリングも書いています。
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