さて、そんなこんなで馬券を手にしながら何週間が過ぎ去った。
やっぱり、競馬をやらない俺だからその数週間の間、一回も自分が馬券を買ったことすら思い出すことはなかった。
時は、
2001年12月23日。その日は朝から
獣王を打っていた。言うまでも無いが、朝から
マングースや
シマウマ、
ダチョウや
カバなどにすっかり馬鹿にされていた。
ライオンも
象も全く姿をあらわさない。当然だが、あの名曲も俺の前では流れない(
サバンナチャンス)。
サバンナというよりむしろ
サファリパークと言ったほうが適当かも。目の前の猛獣達はすっかり寝そべっている。入園料に1万5千円も突っ込んだ。
昼を過ぎ、逆転を願って
魔法に頼った。
アラジンAに移動。俺のランプからは何も出てこない。
そして、時計は
15時を回った。
福澤諭吉もいよいよ
三男坊の出番になっている。あの、アラビアンな音楽(
アラジンチャンス)は全く流れてこない。っとその時、店内に嫌と言うほど流れていた
宇多田ヒカルの曲がいきなり止まった。そして、
G1レースのファンファーレが流れた。
この時ばかりは、店内に設置されているテレビの前は人だかりになる。普段俺はその曲を聞いてもスロットの手を止めることはないが、「今年最後のG1、
有馬記念です。」というテレビのアナウンサーの声を聞き、俺もここで初めて自分が
有馬記念の馬券を購入したことを思い出す。俺もテレビ観戦をした。
レースが始まった。とにかく、アナウンサーも解説者も回りの観戦者も「
テーエム」「
テーエム」いうもんだから、俺が調子に乗って予想した、「
アメリカ」系の馬のこともすっかり忘れて、視線は
12番の「
テーエムオペラオー」を追った。いつまでたっても、期待の
テーエムは出てこないではないか。最終コーナーを回る。
12番のゼッケンはまだ見えてこない。
最後の直線。アナウンサーの声が大きくなり、周りの人達も叫び始める。
12番、
12番。全然現れない。
4番が先頭。ん?ちょっと待てよ。4番?そうだ、4番買ってたぞ。っとここで初めて「
アメリカ」を思い出す。ゴール。
4番の
マンハッタンカフェが先頭でゴール。2番目以降は全くわからない。
電光掲示板が画面にうつる。
1着4番、
2着1番。となっている。
1番?ん?ちょっと待てよ。1番?そうだ、1番買ってたぞ。っとここで初めて1番が「
アメリカンボス」だったことを思い出す。
「4−1」。俺は、自分の買った馬券を見てみる。
「1−4」。開いた口がふさがらなかった。悔しい。
逆だったら当ったのに。残念。
一応、応援してくれていた前回述べたあの競馬マニア達に結果報告の為電話をかけた。「悔しい。はずれたよ。結果は4−1だったよ、俺は、馬連1−4だから逆だったら当りだったよ。スロットも散々だしついてないな。」と報告。その瞬間、マニアは、
マニア「え?今なんて言った?」
俺「馬連で1−4買ったんだよ。逆なら・・」
マニア「お前いくら買った?あと倍率はどうなってる?」
俺「5000円買って、480倍だって。」
マニア「今、どこ?」
俺「パチ屋。3万負けてるよ。とことんついてないよ。」
マニア「なにもいわず、家に帰って俺に電話して来い。」
俺「なんで?」
マニア「いいから、帰れ」
意味がわからず、俺は帰宅。そして、競馬マニアへ再度電話。
マニア「おめでとう。お前当ってるよ。逆でオーケーなんだよ。しかも、額が凄いぜ。5000円に480懸けてみろよ。」
そう、なんと俺は、
2,400,000円をこの有馬記念で勝利したのである。
しかも、何もわからず適当に懸けただけなのに。ビギナーズラック。まさにそれである。このような経験は恐らく最初で最後。一生味わえないかもしれない。
この金の使い道だが、実は俺は2年だけ東京を離れ、大阪に住んだことがあった。バンドの練習もあった為にほぼ毎週東京に帰ってきており(本当にそれだけかな?)、その時に赤いカードなどにお世話になっていた。それを、真っ白にした。
でも、そんなに借金があったわけではないので当然半分以上はあまった。
何度も言うが、俺はギャンブラーではない。競馬もそれ以来全くやらないし、麻雀もいまだやったことはない。豪遊するタイプでもなければ、貯金をするという堅実派でもない。
では、どういう風に残金を使ったか。それは、ライオンか象のえさ代で使用し、魔法のランプをたくさん購入するのに消えていった・・・・。
何度も言うが、俺はギャンブラーではない。と何回言っても最後の最後に説得力はなくなったかな。使用方法が使用方法だけに・・・。

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