【また水入り長文!スルー歓迎です】
色んな人に聞かれる前にこの話(笑)。
題して『横綱白鵬 待った騒動』
1年納めの九州場所。
世間の話題は、土俵外で盛り上がっている(苦笑)角界だけど、昨日は久しぶりに土俵で起きた白鵬待った騒動(?)に集中した。
長年大相撲を見てきたけれど、今までも目を疑うようなシーンは幾つもあった。
昨日の横綱白鵬関がやってしまった、取組後の待ったアピールには俺も驚いた。
これは、大相撲の魅力の一つである"様式美"にあるのだと思う。
所作・慣例が創り出す伝統的で独創的なルーティンを淡々と繰り返していく"静"の部分と筋骨隆々に鍛え上げられた巨体に時代を錯誤する髷姿という非日常的な大男達が裸一貫で力の限り戦う"動"の部分。
この"静と動のミスマッチなコラボレーション"が、長い歴史の中で「スポーツ・文化・芸能」のどの分野においても、海外への「ジャパンイメージ」の筆頭地位を確固たるものしてきたのだと思う。
そして、国内においても正に空前の相撲ブームの真っ只中。
そんな中での日馬富士問題、そして白鵬待った騒動。
注目されている大相撲なので、ワイドショー、週刊誌ネタにはもってこい、今回の俺もそうなんだけど、ネット社会の現在では評論家専門家でなくても、一個人が良くも悪くも自論を展開できるので、話が相当大きなっていくわけだ。しかも悪い方向に。
さて本題。
昨日の横綱白鵬関の待ったのシーンはコレ↓
https://youtu.be/tkmUTOJfV8g
勝負が決した後での異例の講義。
東西分かれてからの一礼もなく、憮然とした態度で土俵を後にする横綱白鵬関。
多くは、この横綱の態度が、前置きで述べた大相撲の"様式美"を覆す大事件として報道されている。
さぁ、ここから家富論展開。
反論は。。。ライブハウスか飲み屋で聞こうではないか!(笑)
先ずは横綱白鵬関として。
大相撲の様式美を考えた場合は負けは負け。審判、行司などにクレーム抗議などは言語道断。
しっかりと勝者を讃え、1礼して土俵を去るべきだ。
ましてや最高位である横綱だ。
例え動の部分の取組で負けたとしても、静の部分では勝っても負けてもポーカーフェイスで土俵を去る。
これが俺の考えるカッコ良い横綱像だ。
「地位が人を作る」という言葉があるが、白鵬関は最近の横綱の中では、この横綱という地位をかつての大横綱双葉山関を尊敬し、研究し、取口だけでなく、横綱としての立ち振る舞い方も双葉山関から学び、強く清らかな横綱像を守るのに誰よりも努力をしていると聞く。
「横綱は強ければ良い」というかつてのモンゴル横綱の先輩にあたるやんちゃがウリの朝青龍関(俺は大好きだったけど)と東西に並ぶ横綱だった時には、悪の朝青龍、正の白鵬とよくクローズアップされていた。
俺から見ても、横綱像という観点から物を申せば、昨日の待ったは有り得ない。
でも決して白鵬関を悪者にしてはならない。
と考えた。
では、1人のアスリート、ムンフバト ダバジャルガルさん(ん?最近はムンフバティーンなの?)として見たらどうだろうか?
他のチャンピオン達が、騒動や休場で本分である相撲を取っていない本場所をムンフバトさんは、1人でしっかりと場所を支えている。
あれだけ強いチャンピオンが、たった一つの白星へ掛ける執念。昨日は、その表われではないだろうか。
今日は負けた。明日頑張ろうではない。
心の底から勝って連勝を伸ばしたかったのだと思う。
「地位は人を作る」
白鵬関は角界を支える為に、この言葉を1番実行している現役力士だ。
でも、逆にその地位を作るのも人なのだ。
ロボットではない。
昨日の横綱は「人」であったのだ。
感情が出ていて逆にものすごく良かったと思う。
そして、あの1番が"ガチ相撲"である事が証明される要因ともなるわけで、真剣勝負大相撲をしっかりとアピール出来たのではないかとも考えた。
人であった大横綱白鵬関。
これから更に理想の横綱像を学んでいただき、最強で素敵な横綱を目指して欲しい。
そして、たまには人間味を見せてもらっても構わないのでないか。
結論。
非常に悩んだところだが昨日の待った騒動。
横綱白鵬 対 人間ムンフバト
「寄り切り寄り切って、ムンフバトの勝ち!」
としようかな。
あくまで自論だからね。
水入りになりそうな長文。
最後まで読んでくれた方。
ご精読ありがとうございました。


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