2021/7/30

萩尾望都「一度きりの大泉の話」  いろいろ

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少し前に話題になり気になっていた本を、コメントをよく書いてくださっているhedghogさんにお借りして読むことができました。

実は私は中高校時代にはマンガ家になりたいと思ってたほどマンガが好きだったので、あっという間に読んでしまいました。

テーマである人間関係の話はもちろん人の「才能」について、考えるところがありました。

初めて気づいたことは、私は高校の時にマンガを2本商業誌に掲載してもらいながら、その後編集さんにネームを出しても良い評価もなく大学受験もあり編集部に「進学するまで休みます」と言ったっきり消滅した体験がトラウマになっていた事です。

要するに自分に才能がなかった結果であるとはわかっていたのですが、萩尾望都の子供時代からのマンガを読んだ量と描いた量がハンパないほど大量だとこの本で知りました。

私は中学生の時にクラスの子に「なんでうまく描けるの?」とベタにきかれた時に考えて「小学校低学年の頃はみんなお絵描きってするじゃない?でも大抵の子はそのうちやらなくなったんだけど、私は描くのが好きでずっと描いてるから何回も描いてるうちに描けるようになった」と答えました。

萩尾望都が学生時代から絵や構想を書き留めたクロッキーブックを10~20冊親に隠れて常備していたということを知り、私が中学の時に考えた説は真実だった!と思いました。

才能とは、描き続ける愛や情熱(エネルギー?)を注いだり出す魂の力なんだな、と。そういうものが私にはないな、と納得したらトラウマを客観的に見られるようになり溶け始めました。



それと親の問題。実はマンガから遠ざかっていた私をまた萩尾望都に引きつけた要因の一つに「親との関係」があります。

萩尾望都が成功してからもまだ「マンガは恥ずかしいもの、いつ辞めるのか」と母親にいい続けられ、お父さんからも認めてもらった記憶はないのに、実は実家の玄関に娘の著作をずらりと飾りお客さんに自慢していた心理が不明すぎる、と書いていました。

私も実家でマンガを描いて「食べていける人なんて本当に才能のある人だけ」と否定されたことしかないのに、私のまんがスクール投稿作が入賞して掲載されたら私の知らないところでそれを親戚の人に見せたり話していたと知った時のショックたるや・・・あれが親への不信感の第1歩でした。

私はその親のネガティブ刷り込みのせいで漫画家になれなかったのだとも少し思っていましたけど、萩尾望都はもっとひどい仕打ちを受けても描き続けて巨匠になっているので、やっぱり100%私の才能がなかったせいだったか、とスッキリしたわけです。

ところで今や大英博物館でも講演をされ、マンガ大使のような活躍をされてる方が、実はコミュ障の部分もある(感情が爆発するのを防ぐため黙ってしまうので自己弁護ができない)と知り、それも親から否定され抑圧をかけられた結果じゃないかなあと思うのです。聞いてもらえないと話す訓練がされませんから。

でも萩尾望都はマンガという表現手段を自分の力で手に入れたので、書き手と読者にとってはありがたい体験のみですが、描いてる人も生身の人間ならば生身の関係もあり、同業者という他人は同じ思考回路ではないので、生身は傷つく・・・

本書が個人的なことながら執筆された理由が後ろの方に書いてあります。つまり、本人が触れたくないことや人との企画を出版社など第3者から盛んなアプローチがあり断り続けるのが難しいほどの状態になり断る理由を提示したのです。

きっと賛否両論あるのでしょうけれど、ちょっと違うけど、人気→プレスの餌→犠牲者になってしまったダイアナ元英国皇太子妃のようにならず、自分を的確に表現出来る手段を持つ人は強いなあと思いました。ネットで誰でも自己表現できる時代に書籍という形でこんな強力な表現ができるとは。

傷ついた自己を癒すノウハウ、セラピー、カウンセリングなどには「許すことで自分の苦しみを手放す」というセオリーが出てくるんですけど、「許さない選択」があるお墨付きをもらったようなセラピー効果が私にはありました。



まったくの余談ですが、本書に出てくる映画「寄宿舎」「if もしも...」が70年代の少女マンガ家に影響を与えていたのは、よく考えればわかるけどあまり考えてませんでした。私にとっては順序が逆で、マンガを読んだ後にそのあたりの映画に出会ったので、「ああ、これが本物だ、萩尾望都みたいだ」という感想を持ちましたけど、本当にあの映画が作家たちをインスパイアしていたとは思いつかなかった。
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2021/8/1  10:29

投稿者:しましま

hedgehogさん

>>美術の実技で学年最下位
>>音楽と体育の実技でも学年最下位

そ、それは余程の進学校だったのですね・・・・^^;
私には美術音楽体育で順位を出された覚えはないです。
上手な人は認められて賞をとったりしてたけどダメな子はただただ
存在を消すよう努力をしただけ・・・

>>研究しなきゃとか勉強しなきゃと思うのではなく、
やらずにいられない人がプロとして描き続けられるんだ

それですそれです!多分自分が描きたいがために!
今思い出しましたが、そういえば私もマンガ描いてた時は
日常何を見てもそれをどうマンガに活かせるかと考えてました!
たまたま人を上から見た時「肩はこの辺にこういう形になるのか」とか
映画や絵画を見てた時は「この構図は使える」「この色使いは映える」とか。
今じゃすっかり「かわいいな〜」「キュン」だけですけど。
それに萩尾先生は、他のマンガも新旧共にお詳しくてびっくり!
我が道を行き他は見ないのかと勝手に思っていましたので・・・
それで色々研究なさってるのに、出来上がったものは誰にも似てないのが
すごいな〜って。強いて思い出すとすれば、ご本人も書かれてたように
少女マンガではなくて手塚治虫とか本当にマンガの巨匠の画面です。
そんな広い視野の方が、どうしても封印したいもの、という点で
「大泉」はまたすごいです・・・

2021/7/31  21:25

投稿者:hedgehog

しましまさん

早速お読みいただきありがとうございます。

高校時代に美術の実技で学年最下位をとったこともある私としては、絵が得意って本当に羨ましいです。ちなみに音楽と体育の実技でも学年最下位をとりました。それでよく高校を卒業できたもんだと思いますが、

>人間の向き不向きというか生まれながらにある適正は確かにありますね。

ありますありますめちゃくちゃあります!!!

……それはさておき、

>巨匠萩尾望都は天才だけどすごく他のマンガも読んでて研究してるんです。

研究しなきゃとか勉強しなきゃと思うのではなく、やらずにいられない人がプロとして描き続けられるんだなあとは思いました。情報のない時代だったとはいえ、現地の気温とか植生まで意識して描くなんて、たとえ私が少しばかり器用に絵を描けたとしても絶対にそこまで考えませんもの。

ただ、そんな萩尾望都先生でさえ、あの「ポーの一族」の大ヒットの後でさえ、一時は本当に漫画家をやめようかとまで考えていたというのは少なからずショックでした。よくぞやめずにいてくださったものよ……。

https://ameblo.jp/hedgehog42/

2021/7/31  10:28

投稿者:しましま

えむさん

こんな個人的な感想にコメントいただいて恐縮です。
それに子供の頃のお友達の話、いいですね!
お教室で教えることもできるなんて、美大には進まれたのでしょうか?
6歳やそこらで違う線を描けたのはやっぱりそれも才能でしょうねえ。
人間の向き不向きというか生まれながらにある適正は確かにありますね。

自分もマンガを描いていた頃は同人誌を作ったりして絵や文学的な
たしなみのある友達ができ、やはりその中にはうまい!って人が数人いました。ほとんどはその後の消息は不明です。
その後大学生になっても仲良くしてたマンガの友人は美大へ行って
グラフィックや雑貨、ファッションのデザイナーをやってます。
私はというとファッション業界で販売時代にはコーディネイトがうまいとか
言われてて、その後宣伝部に入ってからは販促物を作るのに絵的センスが
役立ったり宣伝部なのにデザイナーに気に入られてショーのコーディネイト
のアシスタントになりデザイナーと密室で徹夜で働いたりしました。

絵心があってもマンガに興味がなくなって別の分野で役には立ちました。

でも巨匠萩尾望都は天才だけどすごく他のマンガも読んでて研究してるんです。天才ってそういうことしないと思ってたので、本当にマンガという媒体を
愛してらっしゃることが本でわかりました!

2021/7/31  8:55

投稿者:えむ

しましまさん

なるほど。ささっと描いたイラストがプロっぽい理由が分かりました!

以前コメント欄に画家の友人がいることを書きました。継続する情熱こそが才能という考えには同感です。加えて客観的事実として適性もあるように思います。

引っ越しだらけで友人が少なかった私の記憶に、小一で仲良しだった彼女が描くマンガが強烈に残っていました。鉛筆の先からスルスル出てくる線は生き生きしていて意味があり、自分のとのあまりの違いに鉛筆交換を申し出ましたが、結果は今まで自分の手にあった鉛筆の先から「その線」が出てくるのが分かっただけでした。この子の手が違うんだ、と気づかされました。

その後は縁が切れていましたが、ご実家がお店だったので20数年して突然電話したところ、その思い出話をとても喜んでくれながらも実際には絵と全く無縁の人生で子育て真っ最中とのこと。勿体ないけど現実はそんなものかと思いました。

ところがそれからまた月日は流れ、子育てを終了した彼女は現在画家として自活しています。周囲(とくに同居のin-laws)に「今さら」と侮られ「それならそれで食べて行け」と言われても、描きたいという思いを忘れらなかったそうです。
制作だけでは経済的に厳しいので教室で教えながらではありますが、長い長い中断があっても消えなかった思いもまた情熱ですね。

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