我慢 仏教用語で言うと
我に執着し、我をよりどころとする心から、自分を偉いと思っておごり、他を侮ること。高慢。
と、あります。
一方、辛抱とは、読んで字の如く「辛さを抱かえる」
我慢と辛抱って、同じように使われますが、少し違う気がします。
我慢は、先が見えない状態で、ただ堪え忍んでいるような気がします。
一方、辛抱はと言えば、何かその先に自分の目標があり、そこに向かって頑張っている・・・ そのように思えるのです。
苦しい練習を、我慢させているのか?辛抱させているのか?では、全然違うでしょう。
ここを指導者が気がつかないといけないのです。
きちんとその選手の目標を見極めさせ、その目標に向かって頑張る、それが辛抱させる事になるんだと思います。
闇雲に、目標もないまま、我慢させて練習させても仕方ありません。
辛抱の「辛」(つらい)という字は、横棒一本加えるだけで「幸」(しあわせ)になるのです。
辛抱の先には、幸せが待っている。なんと素敵なことでしょう。
その横棒を一本足してあげられるのは、指導者しかいないと思うのですが・・・

5