クリスマスイブに、日頃から尊敬している少年野球の元監督さんから、一冊の本をお借りした。
タイトルは「熱球」(重松清著・新潮文庫)
高校野球の県大会で決勝戦まで進みながら、部員の不祥事で決勝戦を出場辞退。負けて甲子園に行けないなら納得出来るが、戦うことも出来ずに甲子園に行けなかった・・という小説である。
それでも、その後の人生を生きて行かなくてはならない・・・。小説とはいえ、何となく考えさせられる物語だ。
その中で、このような一節が出てくる。
主人公が、友人の子供に野球を教える中で
「これからの努力次第だけれど・・・・俺、甲太くんには『野球選手』じゃなくて『高校球児』になってほしいんだよな。」
駆け抜けたほうが速いと理屈ではわかっていても、一塁にヘッドスライディングしてほしい。守備位置とベンチの往復は全力疾走してほしい。真夏の炎天下を走ることや雨の中でボールを追うことの「意味」など問わないでほしい。真っ黒に日焼けしてくれ。家に帰ったら泥のように眠ってくれ。勝ったら仲間と抱き合ってくれ。負けたら子供のように泣きじゃくってくれ。それが、僕の考える「高校球児」だった。
古くさい根性野球と言われそうだが、共感できる。
この本を貸してくれた、元監督さんは、私に何を教えたかったのか?
一度読んだだけでは、頭の悪い私に明確な答えが見つからない。
正月に、もう一度じっくり読んで、答えを見つけたいと思う。
皆さんも機会があったら読んでみて下さい。

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