コタが生まれてから5621日目です。
心臓病末期で余命宣告され闘病を続けていたコタさん。
お昼の12時1分、虹の橋へと旅立ちました。
15歳と4か月19日の犬生に幕を下ろしました。
以下コタさんの写真があります。愛犬をなくし見ることがつらい方やに写真を不快に思われる方は読み進むのをお控えください。
前日15日 晩ご飯も補助、夜中1時のヨーグルト(お薬)もなんとか食べていました。
ただ、夜10時頃のヨーグルト(お薬)の頃から、フセができず、お座りの態勢で息を整えている感じでした。
夜間、家の者がコタさんの横で寝てみてくれていて、puは隣の別室で休んでいました。
咳自体はあまり出ませんが、明らかに呼吸が苦しそうということで酸素と頓服を飲ませたのですが、あまり改善はなく、朝がた4時頃、家の者にpuも起こされました。(その前少しは寝ていましたが、毎日の習慣で、コタさんが咳混み動く時間帯には何となく起きていました)
支えてなんとか座ってるような感じだったので、ゆっくり横にならせて、普段は嫌がる酸素室へ。しばらくは入っていましたが、嫌みたいで出せとアピールもしていました。なのでコタさんの様子を見ながら出したり入れたリ(。
今までも何度も同じような状態から復活してきたコタさん。今回も!!と期待しましたが、かなり辛そうで・・・。朝6時頃実家にも連絡、pu母もタクシーで朝8時前に駆けつけてくれました。
明るくなってからは少し、酸素室内で横になってくれるようになりましたが、状態は思わしくなく何度か立ち上がろうとしては力が入らず唐鼾桙゙ような感じでした。
朝10時過ぎ、病院へ電話で相談。
寝たままで立ち上がろうとした時に緩めのうんちが出たリ、おしっこも立ち上がることなく下に敷いていたシートにそのまま。気持ち悪かったのか立ち上がり、2度ほど、ワンワンという咳とは違う鳴き方をしました。今思えば綺麗好きのコタさんが訴えていたんだと思います。おしっこで汚れてきていたので、シートを変える際、うんちにも気づき、少し拭いてあげました。その際、口もとのよだれの汚れも、口からの分は無色にみえましたが、シートについていたものは血が少し混じっており、それも先生に伝えました。
おそらく、肺水腫を起こしており、連れてこれるならということでいたが、もう今までの治療でもmaxレベルだったこともあり、利尿剤をかけることと酸素室ぐらいしかないとのことで
かなり厳しい状況ということでした。
一度電話を切ったものの、連れていくのは無理な状態と判断、家の者が利尿剤(注射)を取りに行くことを電話で再度伝え、家の者は病院へ、pu母は自分の薬を忘れてきたので自宅へ一度帰ることになり、11時過ぎに家を出ました。
コタさんは酸素室ですでに力なく横たわっている状態でした。
puはコタさんに声をかけながら、酸素ホースを口元で支えることしかできませんでした。
皆が出ている間、コタさんの呼吸が大きく、止まるようなことが何度か続き、その度に、もうすぐ帰ってくるから頑張って、としかもう声がかけられず、puは既にコタさんの旅立ちが近いことをもう確信していたと思います。
一度、病院へ向かっている家の者にも電話をいれたのですが、とりあえず薬をもらいに行くと。コタさんの回復に希望を持っていたのだと思います。
薬をもらって病院を出るメールの後、しばらくしてコタさんは帰りを待てず、旅立ちました。
最後はあんなに咳で苦しかったのが、ウソのように、大きな息を何度か吸い、静かに、酸素室内で、手を握り、体をさすり・・・目にはpuを映していましたが、もう意識はなかったように思います。。。

家の者やpu母にも連絡。
待っている間、コタさんによく2年も頑張ったねと声をかけつつ、リビングの片づけ。
もう、柵も嫌いな酸素室も入らなくても良くなったのと、何かしていないと落ち着かなかったこともあります。
コタさんのお友達にもラインで知らせました。
家の者やpu母が戻ってきてからはコタさんを綺麗にして、お友達もお別れにかけつけてくれました。

ハナちゃんとのお別れ
この後は、pu母にコタさんを見ていてもらい(一人はかわいそうなので)
葬儀の依頼(宝塚動物霊園)とお棺とドライアイスを受け取りに行く
コタさんにお花を買いに行く
ため、家の者と出かけました。
帰宅後は家の者が母を送り、コタさんの祭壇の準備、翌日のお葬式でコタさんに持たせるものの準備などをし、和室で川の字ならぬHの字(コタさんは北向き・酸素室内で保冷のため)で寝ました。