濤川栄太さんの「父親は今何を語るべきか」に、こんな話が載っていた。
バスで、足腰の弱っているお年寄りのために、席を譲ろうと立ち上がったら、英単語を勉強している高校生が、間髪を入れず私の席に、座ってしまった。そのお年寄りも、残念そうな寂しそうな顔をして立っている。不思議に思って、しばらく見ていると、その高校生は、表情も変えず英単語を勉強している。
これは注意してあげた方が良いと判断した濤川氏は、話しかける。「私は、この老人のために立ったのだよ、立って席を譲ってあげてくれないか?」と。その高校生は、またも視線も合わさず、表情も変えず立ち上がって席を譲ると、英単語を勉強し続けたという。濤川氏はぞっとする悪寒を感じて、この国は一体このままだとどうなってしまうのか?と危惧の念は深まるのであった。
今度は、僕の体験。数年前に、秋田県鷹巣町(現在の北秋田市)出身の私は小学の同級会に参加していた。二次会で、町の繁華街にあるスナックに10人ぐらいではいると、カウンターで飲んでいた若者がたちが全員立ち上がった。何事かといぶかしく思うと、「どうぞこちらにお座り下さい」という。
店員でもないのに、何という親切な若者達だろう。しばらく涙が止まらなかった。東京でこんなに親切にされたことはない。同級生達は、皆不思議そうに私を見ていた。あいつは何で泣くのだろうと・・・同級生のアイドルだった(今でも美人さんだ)S子ちゃんがいう。「康正さんも東京でいろいろつらいことがあったのよ・・」有り難う、S子ちゃん。
俺の田舎は、過疎化が進み、さびれていく一方だけど、こういう素晴らしい思いやりの心を持った若者がたくさん居るんだぞ!!とおおいに誇りに思う。我々はそういう、思いやりの心を、息子達、後輩に伝えて行かなくてはならない。
またも、濤川氏の本による話、シベリアに抑留されていた、御主人が、戦後引き上げてきた。待っていた奥様は、心ばかりの宴席を用意する。しかしお酒が配給になっていて、調達できない。そこでしょうがないので、とっくりに水を入れて置いた。戦争には負け、生死の間を戦って帰ってきた御主人は何も言わずそれを飲み、本当に酩酊したかのようであった(振りをしていた)。
それを見た奥様はなんて優しい人なのだろうと、本当にこの人と一緒になって良かったと思ったそうな。御主人は一年後に亡くなってしまうのだが、どうしても再婚する気になれなかったという。もう駄目だ。書きながら、涙を止めることが出来ない。・・・この御主人の様な思いやりのある人になりたいものだ。

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