バカの壁で、養老猛先生(解剖学者)は、人間の心など、皆同じだと言っています。身体が違うのだと・・
イチローや松井は、その身体的能力が、古舘伊知郎はその脳の構造という身体的能力が並はずれているのだと。心が同じでなくては、言葉というコミュニケーションツールで意志の疎通が不可能だと。社会は、個性など求めていない、本当に個性的な人が出てくると、(サラリーマン金太郎のように)周りは大いに迷惑を被ることに・・
たぶん、どんな人でも良い音楽には、生理的に「気持ちいい」という風に感じるのは有る程度同じかも知れません。
でもそれを、更に文章として表現して出力するというのは、また言葉の世界における創作であり、別分野の才能、能力なのでしょう。
コンサートに来た人に、どうだったと聞いても「良かった」だけで終わる人もいれば、ブラックホールのように、全てを吸収して、外には全く表現しない人も居ますし、それはそれで、ちゃんと感じてくれているのだなぁと信じてあげることにしています(笑)。
面白いのは、「あの曲で、小学生時代の田圃のあぜ道を散歩していたときの古い記憶を何十年ぶりに思い出した。」 とか、
「昔の彼女と付き合っていた頃の、甘く苦い思い出が甦ってしまったよ。」
と言う種類の感想を頂くときがあって、これこそが音楽というコミュニケーション手段の醍醐味ですね?
有るライブで、エブリシング(「My Spanish key」の中のバラード)を演奏した後、某女性歌手が涙を浮かべていたのには、自分でも感心しましたね?(何にって?曲の良さと、楽器でもちゃんと歌えば、心を揺さぶることが出来るのだと言うことに・・)
「生きていく勇気が湧いてきたよ!」とか、「優しい、世界に愛を注ぎたくなるような気持ちになったよ」と言われるような音楽を目指したいものです。

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