住職・大河内秀人の徒然グサリ

仏教の「縁起」の思想は、一人ひとりが世界を変え、一瞬一瞬の行動が未来を変えていくと説きます。平和・人権・環境にかかわる活動を通し、足元から、そして現場主義をモットーに、言いたいことを言わせていただきます。

 

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投稿者:一人の子供・教師・ペン
仏教は、信長・秀吉・家康の頃まではとても大きなものでしたね。仏教教団と言う「組織」が「権力」をもつのは如何かと思いますが。宗教の力にこりごりした江戸幕府は、檀家制度や先祖教との融合?により仏教者の生活を安定させて牙を抜きましたが、寺子屋(教育機関)として悩みの相談相手、駆け込み寺などで、世間に役割を果たしていたのではないのでしょうか?
仏教には2千年以上の「苦に対する知恵」があるではないですか。
物が豊かになっても、自殺者が1年に3万人以上という、心が荒廃した、生きるよすが(縁)が無い現代に、仏教の智慧を生かして欲しいと思います。広めて欲しいと思います。
細かい事はどうでもいいのではないですか?
まずは衆生を苦から救う事。その為に何か行動する。
それが宗教者では?
それとも、僧侶は宗教者ではなかったですか・・
投稿者:Shahpuhr
エンゲージド・ブッディズムに違和感を覚えるとお書きになっておられたので、興味深く読ませていただきました。お書きになっておられる点はそれはそれで、坊さん達の偽善的なことを指摘なさっておられるのはもっともなことで、納得できます。
 しかしいかなる場でおも最後に言われるおきまりの
「釈迦の教えを見出すべき」ということはつまり<人間を解放するとは一切衆生が輪廻から解放されるように僧侶は道筋をつけること>となる筈です。 輪廻観は四法印・四聖諦に含まれ一切皆苦・苦諦です。

 ところがこともあろうにそれを否定している運動(アンベードカルによる空き巣狙い的な手法による仏教の政治利用)を引き継ぐ偽龍樹佐々井が行なう賤民一揆をエンゲージド・ブッディズムとして讃える連中が真言宗・天台宗・臨済宗・日蓮宗etc.殆ど全てにに存在する。
偽龍樹さんは実質的に日蓮宗です。

解放の神学同様にこうした社会運動は仏教に名を借りた新手の共産主義です。四法印を否定することは破戒以上の根本罪であって波羅夷どころか越法罪の修復不可能な領域となる。それを判っていない人々は因果も業の作用も輪廻を否定しているからどうでもよいのでしょうか。

昨今ではエンゲージド/ブッディズムの看板で輪廻観を抜きにした仏教がなりたつかどうか検討する者が日本人にちらほらいるようですが、律の研究に補助金を出さずして、追放に処すべき連中に檀家さんに由来するお金を宗派が出す事自体が泥棒であり犯罪です。

エンゲージド・ブッディズムを語るならこうした観点をもお持ちになられた方がよいと思います。
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