電気に関して、今でも多くの人が信じており、それが省エネや自然エネルギーへの転換の妨げになっているデマがある。
「夏の甲子園真っ盛りの頃、皆がクーラーの効いた部屋で冷やしたビールを飲みながらテレビを見ている時、電力消費がピークになる」
これは電力会社が広めた悪質なデマだ。(ホームページにも載っていた)
確かに東京電力管内でも、夏の暑い日の午後2時から3時ころ、5000万KW以上の需要のピークが出る。しかしその時間、消費しているのは一般家庭ではなく、圧倒的に事業所なのだ。
そして、土・日やお盆の時期に、そのような極端な需要のピークは出ないし、平日は昼休み時間に電力消費の谷があることからも、問題となる(発電所増設の理由となる)電力消費を伸ばしているのは家庭ではない。
実際、家庭の電力消費を1日単位で見てみると、朝のうちに軽いピークが出て、昼間は最も消費が下がり、夕方から夜に向かってもうひと山があるという曲線を描く。誰にでもわかる話だ。
もちろん私たちの家庭生活で省エネすることは大切だ。我々に責任がないとは言っていない。
しかしそのような話をされると、多くの人は、自分たちの今のライフスタイルを維持するためには発電所がたくさん必要なのだと「思い込み」、自然と命を破壊し脅かす原発の建設に反対することができなくなる。
その後ろめたさを伴って確信に近い思い込みが形成され、「お上」と大手メディアに従順な国民性が、現実のメカニズムや本来とるべき対策を見極めることを放棄する。
結局、原発が事故ですぐ止まるのでバックアップの火力を余計につくったり、需要のボトムでも出力を絞れないが故に深山の自然を破壊してダブルのダム(揚水発電所)をつくったり、全体的に稼働率の低い(無駄な)電源開発で、国民的負担や環境負荷を高め、リスクも増大させている。
「必要神話」にとらわれている人は「脱原発」に対して感情的に反発する。放射線の影響で確率的だが確実に生まれる犠牲など取るに足らないリスクだとみなし、料金体系など仕組みの見直しや自然エネルギーの導入で社会の仕組みを変えていこうという取り組みについて、前向きに考えようとしない。
デマに騙されず、自分で調べ、自分で考え、自分で判断することが民主主義の根本だ。

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