イスラエルの俳優で、映画『アルナの子どもたち』の製作者でもあるジュリアノ・メール・ハミスさんが、4月4日、ヨルダン川西岸地区ジェニンにある「自由劇場」の前で凶弾に倒れた。
http://www.thefreedomtheatre.org/news.php?id=178
地震、津波、そして原発震災のさ中、あまりにも悲しい報せに言葉もなかなか出ない。
ジュリアノさんの母、アルナさんは、1940年代はイスラエル建国の闘士として部隊に参加していたが、建国後は平和運動家として活動。89年にジェニンのパレスチナ難民キャンプで子どもたちのための「支援と学習」という事業を始め、キャンプに寝泊まりして、絵画やダンスなど自己表現のワークショップを行っていた。そして93年に「もう一つのノーベル平和賞」をスウェーデン議会から受け、その賞金をもとに「子ども劇団」が設立され、ジュリアノさんが指導に当たった。
占領下の難民キャンプの閉そく感と暴力的な雰囲気の中で暮らす子どもたちに、暴力的な教師の姿や日常的なイスラエル兵による圧力などを再現させるなどの手法を用いつつ、そこから自らを見つめ夢を膨らませ、信頼関係を育てていった。
96年のアルナさんの死後、状況が悪化し、イスラエルによる攻撃が激化したことで活動は休止され、2002年にはイスラエル軍の大侵攻により破壊され、多くの犠牲者が出てその地は更地になる。
再び決意してジェニンを訪れ、ジュリアノさんは子どもたちの「その後」の人生と向き合うことになる。『アルナの子どもたち』は、かつてのワークショップの映像を含めた記録だ。ある者はイスラエルの砲弾を受けた少女が自分の腕の中で死んでいった経験から、イスラエルの街で自殺攻撃を行っていた。武装組織のリーダーになった者、兵器を持たない救急隊の道を選ぶ者。こうした青年たちと行動を共にし、淡々と生きていく姿を映像に収めた。
パレスチナ子どものキャンペーンでは、この映画に日本語字幕をつけて発表する際、ジュリアノさんを日本に呼んだ。夜の新宿の街を歩いていた時、道端でアクセサリーを売っている若いガイジン(ほとんどがイスラエル人)が彼に親しげに話しかけていたので、その若者に「Do you know him?」と尋ねたら、「Everybody knows.」と答えたことを思い出す。
近年、「自由劇場」として再建されたと聞き、「今度はジェニンで会おう」と言って別れた約束を果たしに、ぜひ訪ねようと思いつつ時が過ぎ、それもできなくなった。
ジュリアノさんの冥福を心から祈ると共に、彼の思いを力にしていくことを誓った。

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