セミリンガルの恐怖5  1) セミリンガルの恐怖

バイリンガルの心の傷 TB029

私が「英語だけで子供を育てている」と知った途端、私に向かって「子供をバイリンガルに育てなければ!」と叫んだ9歳の女の子の顔は、今でも私の心に焼き付いています。「みんなの言っている事がわからないし、自分の言いたい事も言えないで、どうやってお友達を作るの!」と言って泣きながら学校に通っていた彼女。「バイリンガルになる事はどんなに辛い事があっても絶対に達成するべき事である」と信じて、子供ながら頑張ってきた「バイリンガル信仰」が、根底から覆えされた思いがしたのだろうと思います。

かつて上司だったNさんは某有名大学卒業なのですが、「下からの持ち上がりだった上、大学時代はサッカーに明け暮れて、友人達のノートのお陰で卒業できただけなので、自分にはその学歴に見合うだけの実力がない!」という事を自慢にしている気さくな方でした。そんなNさんの奥様は同じ有名大学にちゃんと受験して入学した才女であり、帰国子女でもある奥様は英語が完璧でそれはそれは有能な方なのだそうです。

「どうしてこんな俺が、そんな才女と結婚できたかと言えば」、Nさん曰く、何でも奥様は中学時代の3年間、オーストラリアで過ごしたので英語はできるけれど、その一方で、帰国してからは「自分は日本語が下手なんだ」という事がコンプレックスとなってしまい、電話連絡網などでメッセージが回って来た時などは、言う事を書いて、何度も練習してからでないと、怖くて受話器も握れない程だったのだという事です。そんな奥さんから言わせれば、時には司会をしたりして大衆の前で堂々と話をしたり笑わせたりできるNさんの能力は、それはもう「尊敬の対象以外の何物でもない」という事になるのだとか。

子供にとって「人と違う事」は、それ自体がストレスなものです。子供の世界は残酷なものですから「みんなと同じ」でなければ必ず指摘の対象となります。日本で普通に学校に通っていたって、「苛め」やお友達との人間関係を苦に、登校拒否や自殺をする子供もいるものです。「言葉が下手」である事は「残虐な子供の世界」の中で生き抜いて行くためには相当に不利な条件となります。その中で何とか生き抜ける子供もいれば、中には生涯抱える傷を負う子供もいます。

「子供だから大丈夫。そのうち慣れるわよ。」と、人は簡単に言うものです。でも「そのうち」の長さは子供によって異なり、それが短い子供もいれば、長くかかる子供も、中にはそれが永遠に来ない子供もいて、時には「それを諦める勇気」を必要とする事もあるものです。その「見極め」の基準は、その子にとって「バイリンガルになる事」による「メリットと弊害のどちらが大きいのか」という事なのではないでしょうか。

それは「人生の挫折」ではなく「子供が幸福になるための選択」に過ぎません。結局、「最終的に目指すべき事」は、「子供が幸せな人生を送る事」であった事を、親が忘れてしまわないように したいものです。


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