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2010/2/19  1:20

鬼の後継  小説

「どこに行くの?」

 ある日の朝、いつものように身支度をしていると、不審そうに弟から声が上がった。

「仕事」

 タリウスは手を動かしながら、短く答える。弟がどんな反応を返えすか、もう分かり切っていた。

「なんで、お休みの日なのに」

 いつもなら非番なはずの週末のことである。当直に当たっているならば、前もって話しておいてくれているだろう。

「急いで片付けなくてはならない仕事があってね。お昼までには帰ってくるから、それまで良い子に…」

「いーや!」

「シェール。悪いと思っているよ」

 とてもではないが、良い子でいてくれる様子はない。こうなると予想はしていたが、いかんせん対応策が浮かばなかった。タリウスは深い溜め息をこぼす。

「だったら行かないで。ね?」

「そういうわけにもいかないんだよ。良い子だから、聞き分けて」

 兄が忙しいのはよくわかっている。このところ連日帰りが遅く、自分が起きている間に戻ってくることなどなかった。それでも文句も言わず我慢していたのは、週末になれば遊べると思ったからだ。はっきり約束していたわけではなかったが、シェールは裏切られたおもいでいっぱいだった。

「じゃあ一緒に連れてってよ」

 ふと思い立って、そのまま言ってみる。口にしたら案外良い考えなような気がしてきた。

「連れてって、って。冗談言うな。無理に決まっているだろう」

 全く何を言い出すかとタリウスは呆れる。だが、弟は大まじめだった。

「なんで?」

「そりゃお前、遊びに行くんじゃないんだから。みんなだって働いて…」

 言いながら、休日である今日は、候補生の大半が外出しているだろうことを思い出す。兵舎にいるとすれば、それこそ当直の教官くらいなものである。うまくすれば誰にも会わずに済むかもしれない。

「良い子にしてるから。ねえ、連れてって」

 考え込む兄に、脈ありと思ったシェールは、駄目押しを試みる。

「本当に、絶対良い子にしていると約束出来るか?」

「約束する!」

 それからしばらくして、小さな弟を連れて、タリウスは士官学校の門扉をくぐり抜ける。嬉しそうに自分にまとわりついてくる少年に、結局負けてしまったのだ。なんとなく後ろめたくて、彼は足早に教官室へと向かった。思ったとおり、ここまで誰とも会わなかった。

「そこで大人しくしていろよ」

 タリウスは弟を応接セットへと座らせ、自分は書庫へと入って行った。候補生の成績を処理するには、どうしても個人別の記録が要る。教官室は当直の教官用に充てられているが、幸いにも本来の主が不在だったため、彼は少しの間この場を借りることにした。

 記録を手に戻ってくると、シェールは持参したスケッチブックにかじりついていた。何はともあれ静かにしていてくれるのはありがたい。タリウスは弟をそのままにして、記載台で作業を始める。

 本科生の卒校が近付くにつれ、必然的に事務処理の量も増えた。同僚たちは空き時間に適当にこなしているようだったが、慣れないと勝手がわからず、また、彼の場合は持って生まれた完璧主義な性格も災いし、すべて終わらすにはそれ相当な時間を要した。

 彼があらかた作業を終わらせたときには、昼少し前だった。そろそろ片付けて帰ろうかと思ったときに、遠慮がちに扉が叩かれた。

「先生」

 幼い声に候補生だと確信する。タリウスは慌てて返事を返し、細く扉を開ける。

「どうした」

「あれ、ジョージア先生。すみません、ミルズ先生がいらっしゃると思って」

 少年は一瞬驚いた後、気まずそうにした。 

「こちらにはいらっしゃらない。急用か」

「いえ、資料室の鍵をお借りしたくて、当直はミルズ先生と伺ったので」

 自分以外の当直の割り振りは把握していない。一瞬、タリウスの表情が引きつる。だが、教官のほんのわずかな変化に気付くほどの観察眼を少年はまだ持ち合わせていない。

「わかった。俺が開けよう」

 鍵は詰所にある。何事もなかったかのように言って、タリウスは部屋を出ようとした。だが、背後の弟が気になって仕方がない。

「すまない、少し待ってろ」

 少年を部屋の前で待たせると、彼は一旦扉を閉めた。

「シェール、ちょっと出てくるが、すぐに戻る。絶対にこの部屋から出てはいけない。わかったか?」

 いつにも増して真剣な眼差しを向ける兄に、シェールはこっくりと肯く。これならば大丈夫だろうとタリウスは踵を返した。

「誰かいるんですか?」

 部屋を出るなり少年にそう問われ、もはや観念するほかないと彼は自嘲気味に笑った。

「うちのチビがね、一緒に来るって聞かなくて」

 嘘をつくのも、口止めをするのも憚られ、結局馬鹿正直に答えてしまった。

「そう、なんですか」

 そういう少年の声は震えていた。

「おかしいだろう」

「いえ、そんなことは」

 候補生にとって教官とは畏怖の対象である。泣く子も黙ると思っていた教官が子供に翻弄されているのだ。おかしいに決まっている。 

「そうか。仮にミルズ先生が子供と戯れているとして、俺ならば笑ってしまうかもしれないが」

 候補生に言うことではなかったが、考える前に口にしてしまっていた。少年は教官の言ったことを想像したのだろう。今度こそ笑っていた。

「なるほど。君は陛下からお借りした徽章を、恐れ多くも粗末に扱いなくした、そういうことか」

 時を溯ること十余年、ゼイン=ミルズは大層不機嫌な面持ちで教官室に座していた。視線の先には候補生がひとり、直立不動で起立していた。

「粗末になどしていません。昨日だってきちんと引き出しに…」

「そんなことはどうでもよろしい。現に今、君の襟には徽章がない。そのことが問題だ」

 必死に釈明する言葉を冷ややかに断ち切る。

「己がどれほどの罪を犯したのか、わかっていないようだね。昔は徽章が曲がっていただけで、訓練に出してもらえなかったのだよ。それをなくそうものなら…。口にするのも恐ろしい」

 吐き捨てるように言って、身震いする。

「私は徽章をなくしました。愚かな私を罰してください」

 ゼインはまるで暗唱でもするかの如くすらすらと述べた。そして、キッと少年を睨む。

「言え」

 意志の強そうな瞳と目が合う。その目が大きくしばたく。

「とっとと言え!私に許しを乞うんだ!」

 手にした鞭でピシリと机を叩き、あらん限りの声で怒鳴りつける。少年は恐怖におののき、口だけが動いた。

「結構。君の望み通りにしてあげよう。3秒で用意しろ」

 ゼインはひゅんと鞭をひと振りし、椅子から立ち上がった。迷っている暇はない。少年は慌ててベルトに手を掛け、罰を受ける姿勢になる。

「遅い!」

 少年の後ろに回り込み、ゼインは大きく腕を振り上げる。

「っ!」

 ピシリと言う僅かな音、そしてそれに見合わない刺すような痛みが少年を襲う。前の痛みが引かないうちに、何度も何度も繰り返し鞭打たれる。これでは息も出来ない。

「泣いたり喚いたりしようものなら、始めからやり直す。当然だな」

 ここで一旦ゼインの手が止まる。少年は苦しそうに息をしながら、返事を返した。

「だが、今日限り候補生でいることを止めるというのなら、解放してあげても良い。私が思うに、君なんかが士官になれるはずもない。もう止めてしまったらどうだね」

 少年の身体には、無数の赤い筋が浮かび上がっている。ゼインは、そんな彼の皮膚の上をぴたぴたと触った。少年は思わず飛び上がりそうになる。彼の理性が、辛うじてそのままの姿勢を保たせたが、今度は涙がこぼれ落ちそうになった。

「もうこれ以上、鞭打たれたくはないだろう?」

 ゼインは記載台に手を付くと、少年の顔を覗き込む。声音こそやさしいが目は笑っていない。

「いいえ、最後まで受けます」

 唇を噛み締め、ゼインを睨み返す。

「つくづく愚か者だ。最後がいつ来るかもわからないというのに。まあ良い。君が望んだことなのだからね。姿勢を直せ」
 
 ゼインは再び少年の真後ろへと立った。そして、何事もなかったかのように、少年へ鞭を当てる。まるで機械のように、何度も何度も繰り返し打ち据える。少年は苦痛に顔を歪める。

「貴様はいつになったら愚かな自分に気付くんだ!」

 怒鳴りながら、振り上げた手を一際大きく振り下ろす。

「申し訳ありません!」

 少年の声に涙が交じる。

「何故徽章をなくした!答えろ!」

 教官の怒声が轟く。答えなければもっとひどい仕打ちを受けることになる。そう思って懸命に考えるが、いくら考えてもわからない。自分でも知りたいくらいだと思った。 

「貴様本物の馬鹿か?」

「申し訳ありません」 

「寝る前に確かに引き出しに入れたのだろう?徽章には足も羽も生えない。だったら、誰かに盗られたんだろうが!」

 少年の身体に衝撃が走る。鞭打たれる以上の痛さに、思わず上半身を起こした。

「嫌がらせを受けたのか、自分のをなくした奴に持っていかれたのか、その辺のところはわからない。だがな、これが悪意の結果だということだけははっきりしている」

「そ、そんな…」

 少年はかすれた声を絞り出す。

「仲間がそんなことをする筈ないと思うかね?しかし、君が仲間と思っている彼らは、果たして君のことを仲間だと思っているだろうか」

 教官の言葉が鋭利の刃物のように、ズキズキと心に突き刺さる。耳を覆ってしまいたかった。

「君は確かに有能だ。成績も素行も、驚くほど良い。だが、君の周りの候補生たちはどうだろうか。皆なにかしら不得手なことがあり、苦悩している。そこへ、もし君の手助けがあったとすれば、救われた者も少なからずいるだろう。君は自分さえよければそれで良いのか?」

 少年の脳裏に先日の一斉点検のことが映し出される。教官たちは、不定期に「点検」と称して候補生の身の回りを検める権限を持っている。そこで、頭の天辺から爪先に至るまで、候補生としてふさわしいかどうかを吟味され、机やベッドは勿論のこと、床や果ては窓のサッシまで塵ひとつなく清掃されているかを徹底的に調べ上げられる。

 このときの点検で、彼は難なく適格と判断された。だが、彼と同室の候補生たちの結果は惨憺たるものであった。激しい訓練の合間のことである。個々の努力では限界があった。他の部屋では、こういったことに長けている者が、リーダーシップを発揮して先導していたため、結果は横並びだった。彼もそんな事情を知らないわけではなかったが、自分には無関係だと思っていた。

 その時ばかりではない。候補生たちは日ごろ、訓練の中で皆それぞれに助け合って生きているのだが、彼に限ってはそうではない。自分が他人の手を借りるのを潔しとしない代わりに、目の前で誰かが困っていたとしても一切加勢しようとはしなかった。言われてみれば、そんな状況では仲間も何もないだろう。

「我々教官が、何故規律規律と言うかわかるかね」

 自らを振り返り放心する少年に、教官はもうひとつ質問をした。

「規律は、守るべきものだから」

 ずっとそう思ってきた。それ故、理不尽と思われることにも耐えてきたのだ。

「集団で生きているからだ」

 だが、ゼインの答えは違った。

「このままだと君は、戦場で見殺しにされることになるだろう。それならばまだ良いが、仲間を平気で見捨てるようなことをしでかしたら、それこそ私の、ひいてはこの学校の威信にかかわる。だから、そうなる前にここから出て行ってはくれないだろうか?」

「申し訳…ありません。今日から…」

 もうこれ以上は堪えられなかった。少年はその場にぺたりと座りこむと、床に頭を擦り付けた。

「生まれ変わるとでも言うのかね?」

「そうできるならっ、そうしたい、です。変わりたい、変わりたいっ、変わりたい!」

 少年は涙ながらにそう繰り返す。後悔、羞恥、心の中に様々な感情が入り混じる。猛省しているのだ。

「泣いたりしたら初めからやり直しだと言ったはずだが?」

 教官の声が妙に近い位置から聞こえる。少年が顔を上げると、自分の前にゼインがしゃがんでいた。

「ミルズ先生」

「残念だがやり直しだ」

 ゼインは満面の笑みで宙に向かって鞭を振るった。少年はその言葉に自分が赦されたことを知った。

 資料室を開けに行くと、どういうわけか候補生、それも予科生ばかりでごった返していた。彼らはタリウスの姿をみると、矢次に質問を浴びせた。いつもこのくらい熱心だったらと思いながら、適当に答えていくが、一向に解放される気配がない。弟を待たせているからと言うわけにもいかず、結局ある程度彼らの気が済むまで指導する羽目になった。

 そんなわけで、やっとのことで彼は戻ってきたわけであるが、あれから随分と時間が経っている。幼い弟がひとりでどうしているか、心配でたまらなかった。

「遅い!」

 戸を開けた瞬間、馴染みのある怒声が耳に飛び込んで来た。

「申し訳ございません」

 かつての師、現在の上官に向かって、反射的に謝罪の言葉が口を吐いて出る。

「こんな小さな子をほったらかしにして、どこで油を売っていたんだね。全く困った兄上だ」

 上官は、何故か膝の上に抱えているシェールに同意を求めた。シェールはと言えば、ゼインが急に怒鳴ったことに驚いたのだろう。目をぱちくりさせていた。

「ああ、驚かせてしまったね。大丈夫だよ、私は良い子には怒らない」

 ゼインは手にしていた小さな缶を開け、中のキャンディを摘みあげる。そして、餌付をするようにシェールの口に入れた。途端に弟から笑みがこぼれる。その様子に、お菓子に釣られたなとタリウスは苦笑いをする。

「どうしたのですか、それは」

 自分の知っている上官は甘いものには無縁な筈だ。

「先ほど予科生から取り上げてきた。だから、それをこんなに喜んでもらうと、なんだか申し訳ない心地になるね」

「点検をされたのですか?」

 いくら予科生とはいえ、そうそう馬鹿ではない。おいそれと教官に見付かるような場所に、禁止されているものを置かないだろう。

「そうだ。聞いてくれ、ジョージア」

 そこで、ゼインは何かを思い出したのか、トンと手を打つ。

「全く、揃いも揃って愚か者ばかりだ。彼らは点検は夜にだけ行われるものと、たかをくくっていたらしい」

「つまり、朝一で点検なさったわけですか?」

 抜き打ちで点検すると言っても、大概は教官同士で事前に話し合いが持たれたし、実行するならば就寝前と相場が決まっていた。

「朝一ではない。朝食の後だ」

 それは事実上の朝一番である。

「ともかくひどい有様だった。ここ最近、教官たちが本科生ばかりに掛かり切りだから、へそを曲げたのだろうか」

 ゼインは首をひねる。さあと気のない返事を返しながら、タリウスはあることに気付く。

「それで、休日だと言うのにやたらと予科生が兵舎に残っているわけですね」

 候補生たちは、正しからぬ行いをする度に自らの持ち点を減点された。そして、それがゼロになったところで身分証を取り上げられる。そうなると、必然的に外出も出来なくなるのだ。ゼインのことだ。今回の一斉点検で、容赦なく大勢の持ち点をなくしてしまったのだろう。

「ああ、君には悪いことをしたね。誰も居ないと踏んで、彼を連れてきたのだろう。だが、事前に当直を確認しない君もまた、充分に愚かだったね」

 ゼインは膝の上の少年を撫でまわしながら、平然と言い切る。確かに主任教官である彼には、滅多に当直が割り当てられることはない。それ故、たまの当直には候補生たちを震え上がらせるのだ。せめて彼の担当の日くらいは把握しておくべきだった。

「ところで、先ほどから気になっているのですが」

「何だろうか?」

「何故、シェールを抱いていらっしゃるのですか?」

 部屋に入ってきたときから疑問だった。だが、ゼインがあまりに自然に振る舞うものだから、なかなか突っ込めなかった。

「可愛いからだよ」

 言って、またひとつシェールの口にキャンディを放り込む。

「自分の生徒の子供が、こんなに可愛いとは思わなかった。特にエレイン=マクレリイは、まあ問題児ではあったが、当時から高く評価していたからね」

 相変わらずシェールを撫でながら、昔に思いを馳せる上官は、なんとも柔らかな表情をしていた。自分が候補生だった頃には、決して見ることの出来なかった横顔である。

「私は子供がいないから、孫を持つことももちろんないのだろうが…。それは、ひょっとしたらこんなものなのかもしれないね」

「まだそんなお年ではないでしょうに」

「私も年を取ったのだよ。鬼のミルズも焼きが回ったな」

 ゼインは力なく笑う。  

「オニ?」

 すると、それまで大人しくしていたシェールが短く言葉を発した。

「そう。こう見えて、私は鬼に変身するんだよ」

「オニに?本当?」

 探るような弟の視線にタリウスは笑うしかない。

「頭に角が生えて、それでもって、悪い子を食べてしまうんだ」

 素直な弟がそろそろ本気にしかねない。先生、とタリウスがたしなめる。

「そうだ、ジョージア。この少しも有り難くない二つ名、君に譲ってあげようか?」

「要りません、そんなの」

 考えるまでもなく、タリウスは即答する。自分にとっての鬼は、未だ目の前の上官である。

「そうか?今の君にならあげても良いと思ったのだが」

 ゼインは心底残念そうな声を出した。

「本当に変わったな、君は」

 そう言って、まっすぐに部下の瞳を捉えるのは、あの日と同じ極上の微笑み。

 了      
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