2022/2/27 2:56
* 小説
シェールは街を走っていた。日はとうに落ち、代わりに月明かりが煌々と照りつけている。暗闇を苦手とする彼にとって、それは一見望ましいことのように思えたが、今日ばかりは事情が異なる。
「しつこいなもう」
シェールが横目で背後を確認すると、彼と付かず離れずの距離で、相も変わらず自分を追跡してくる影をみとめた。こちらに姿が見えるということは、無論相手も然りだろう。
角を曲がれば、すぐそこが目的地である。シェールは最後の力を振り絞り、全速力で夜の路地を駆け抜けた。
そのまま玄関の木戸をくぐり、部屋の中へ勢い良く駆け込んでいく。手早く閂を掛け、反射的に見上げた時計の針は、約束の時間丁度を指していた。
「良かった…間に合った」
シェールは模擬剣を脇に置くと、両手を膝について深く呼吸した。
「辛うじて、だが」
「とうさん?!なんで?」
再び視線を上げると、何とも渋い顔でタリウスが時計を見ていた。瞬時に背中が寒くなる。
「俺も今しがた帰ったところだ。別段、お前を待っていたわけではない」
シェールが弁明の台詞を探そうとした、そのときだ。突然、ドンドンと音を立てて扉が叩かれた。
「ここを開けろ!応じなければ、戸を蹴破るぞ」
「ウソでしょう?!」
男の声にシェールは血相を変えた。無遠慮に戸が鳴る度、閂が揺れ、彼の心臓もまた音を立てた。
「追われていたのか」
シェールがコクリと頷ぎ、更に先を続けようとするのをタリウスが制した。
「そのように物騒なことを言われ、戸を開ける馬鹿がどこにいる」
「公安だ!どんな馬鹿野郎でも阿呆でも、ここを開けてもらう」
「な…?!」
タリウスは絶句し、すぐさま息子に目をやった。数秒後、シェールの瞳が怯えながらも肯定するのを見て、彼は黙って閂に手を掛けた。
「ここに子供が逃げ込んできた筈だ。隠しだてするとただでは…」
扉が開かれるや否や、公安の男が押し入り、シェールの姿をみるなり、言葉を切った。
「息子が何か問題を?」
「それを確かめるために、こんなところまできたんだ。あそこで何をしていたんだ?盗みか?それとも…」
「別に何もしていません」
「嘘つけ!人の顔を見るなり逃げ出したんだ。やましいことがあったに違いない」
「誤解です!僕はただ家に帰ってただけです」
「家にって、あんな全速力でか」
「だって、門限に遅れそうだったから」
「門限?」
男は顔をしかめ、即座に父親を窺った。
「息子には帰宅時間を守るよう厳命を」
「いや、だが、こちらが何を言っても応じず、ひたすら逃げ続けたんだぞ。何かしら後ろ暗いことがあったからだ」
「門限破りの仕置きを恐れたのでしょう。シェール、正当な理由があれば、酌量するに決まっている。何故誤解を招くようなことをした」
「だって、公安に呼び止めれたなんて言ったら、とうさん、絶対怒るじゃん。それに、まさかうちまで追っかけて来るなんて思わなかったんだもん。てっきり、逃げ切れるって思って…」
「この馬鹿者が!!」
「ご、ごめんなさい」
久方ぶりに聞く怒声に、シェールはすっかり震え上がった。
「こんなところまで御足労いただいて申し訳ない限りだが、聞いてのとおり行き違いがあったようだ。息子の無礼は謝りますし、二度としないよう言って聞かせます」
「今の話だけで、本当に何もしていないと?証拠もなしに、すべて信じろと言うのか」
「何もないことの証明など不可能だ。どうかお引き取りを」
「ならば、身体検査だ。それで何も出なければ、引き上げる」
「しんたい…けんさ?」
しばらくは大人たちのやりとりを静観していたシェールだったが、思ってもいない展開に目を見張った。
「やましいことがないなら、構わない筈だ」
呆然と立ち尽くすシェールをそのままに、大人たちは話を進めた。
公安の男は、まずシェールの模擬剣に目を向けた。鞘から剣を引き抜き、刃引きしてあることを確かめると、すぐさま元へ戻した。
続いて、今度は服の上からシェールの身体に触れた。
「ポケットの中のものを」
「何も入ってません」
シェールはズボンのポケットに手を入れて裏返して見せた。
「上着は?」
男が外套のポケットに触れると、カサカサと音が鳴った。
「これは、その、違います」
「出しなさい」
「でも、本当に関係ないんです」
言いながら、シェールは助けを求めるべく父親を窺った。だが、当の父は険しい表情で首を横に振った。
「事と次第によっては、場所を変える必要がありそうだ」
「ちがっ…!」
男は動揺するシェールを羽交い締めにし、瞬時にポケットを探った。ポケットの中には、紙切れのようなものが折りたたんで入っていた。男は紙切れを取り出すと、丁寧に広げた。そして、中を見るなり失笑した。
その後、男は紙切れをもとあったようにたたみ、シェールに向けて差し出した。
「あ!」
だが、シェールの手が紙切れに触れる直前、ひょいと高く上げ、背後に控えていた父親に手渡した。
「確かにこいつは業務外だ。夜分に邪魔をした」
男は言うだけ言うと、くるりと踵を返した。
「人騒がせな親子がいたものだ」
そうして引き上げる途中、終始文句をたれていた。
タリウスは一礼して公安の男を見送り、それから先程受け取った紙切れを広げた。 その間、シェールは、こそこそとその場を離れようと画策していた。
「シェール!!」
紙切れを一目見るなり、タリウスは本日二度目の雷を落とした。
「この恥さらしが!部屋へ戻って、反省していなさい」
タリウスはその足で女将の私室を訪れ、夜分に騒がせたことを謝罪し、事の経緯を簡単に説明した。女将はと言えば、大して驚くこともなく、いつもの事とばかりに笑って許してくれた。
無論、タリウス自身はそういうわけにはいかない。彼は深呼吸をひとつし、息子の待つ自室へと向かった。
「不満そうだな」
シェールは、反省とはまるで無縁の様子でベッドに座っていた。
「だって、折角門限守ったのに、公安のせいで!」
「公安に怪しまれるような帰り方をしたお前が悪い」
「そんな!とうさんは公安の肩をもつの?」
「いい加減にしろ。お前を追い掛けてきたあの公安は、ただ職務に忠実なだけだ。何故非難する?」
「それは…」
「全力疾走しなければ、門限に間に合わないことが問題だろう。だいたい、いくら急いでいるからと言って、人から話しかけられているのをあからさまに無視するなど、無礼極まりない。違うか」
「………違わない」
「どうやらお前を甘やかし過ぎたようだ」
「そんなこと、なくも…ないけど」
息子の声は尻窄みになり、視線も脇に反れた。そんな息子を見て、タリウスは思わず苦笑した。
「自分でも自覚はあるようだな」
「だって、最近あんまり怒られてないもん。でも、いろいろあったから、その、遠慮してるのかなって」
図星だった。
「そういうわけではないが、ただお前のことが心配だった」
これでは真っ向から認めているようなものだが、事実は歪めようがない。
「あのね、とうさん。僕ならもう大丈夫だよ」
シェールは父親の瞳を凝視し、きっぱりと言い放った。
「そうか。ならば、これで心置き無くお仕置きしてやれるな」
「へ?」
そこから先は、いつもと大差なかった。シェールは、怒れる父によって膝の上へ組み伏せられ、思い切りお尻を叩かれた。
「何だってあんなところへ出来の悪い答案を隠したりした。お陰で恥の上塗りだ」
「とうさん、違うんだ。別に隠してたわけじゃなくて、ただ明日見せようと思ってて」
「何故だ」
「確かに昨日受けたテストはひどい出来だったんだけど、でも今日のはそこそこ出来たから、明日まとめて見せようと思って」
「ほう、年相応の浅知恵がついたようだな」
「えーと」
「下らんことを考える暇があるなら、他にするべきことがあるだろう!」
「痛ったぁ」
「当たり前だ!」
久しぶりに受けるお仕置きの苦痛は、想像を絶した。初めの頃こそ大人しくお仕置きを享受していたシェールも、今となってはひとつ打たれる度に両足を蹴り上げ、金切り声を上げていた。
「とうさん、ごめんなさいぃ。もう無理だって」
「何が無理だ。きちんと反省しなさい」
「ごめんなさい!もうしません!ちゃんと反省します!本当に本当にごめんなさいぃ!!」
お尻がまんべんなく赤く染まる頃には、シェールは喚き疲れ、ゼーゼーと肩で息をする程だった。
「言った筈だ。公安の世話になどなったら許さないと。それをお前は、全くとんでもないことをしてくれたな。ほら、もう良い」
シェールは父親の膝から下りると、ヒリヒリと痛むお尻を懸命にさすった。
「平手のお仕置きってこんなに痛かったっけ」
「久しぶりだからな、骨身に染みたのだろう。これに懲りたら、当面良い子にしていることだ。良いな」
「はぃ」
シェールがほうほうの体で返事を返すと、大きな手がくしゃくしゃと髪をなでてくれた。叱られるのが久しぶりなら、こうして慰められるのも久しぶりだった。
FIN
ここのところ、世の中が落ち着かないせいか、自分もまわりも余裕がなく、沈むことが多いのですが、、、考えてみれば、楽しいこともあるっちゃあるんですよね。
16
「しつこいなもう」
シェールが横目で背後を確認すると、彼と付かず離れずの距離で、相も変わらず自分を追跡してくる影をみとめた。こちらに姿が見えるということは、無論相手も然りだろう。
角を曲がれば、すぐそこが目的地である。シェールは最後の力を振り絞り、全速力で夜の路地を駆け抜けた。
そのまま玄関の木戸をくぐり、部屋の中へ勢い良く駆け込んでいく。手早く閂を掛け、反射的に見上げた時計の針は、約束の時間丁度を指していた。
「良かった…間に合った」
シェールは模擬剣を脇に置くと、両手を膝について深く呼吸した。
「辛うじて、だが」
「とうさん?!なんで?」
再び視線を上げると、何とも渋い顔でタリウスが時計を見ていた。瞬時に背中が寒くなる。
「俺も今しがた帰ったところだ。別段、お前を待っていたわけではない」
シェールが弁明の台詞を探そうとした、そのときだ。突然、ドンドンと音を立てて扉が叩かれた。
「ここを開けろ!応じなければ、戸を蹴破るぞ」
「ウソでしょう?!」
男の声にシェールは血相を変えた。無遠慮に戸が鳴る度、閂が揺れ、彼の心臓もまた音を立てた。
「追われていたのか」
シェールがコクリと頷ぎ、更に先を続けようとするのをタリウスが制した。
「そのように物騒なことを言われ、戸を開ける馬鹿がどこにいる」
「公安だ!どんな馬鹿野郎でも阿呆でも、ここを開けてもらう」
「な…?!」
タリウスは絶句し、すぐさま息子に目をやった。数秒後、シェールの瞳が怯えながらも肯定するのを見て、彼は黙って閂に手を掛けた。
「ここに子供が逃げ込んできた筈だ。隠しだてするとただでは…」
扉が開かれるや否や、公安の男が押し入り、シェールの姿をみるなり、言葉を切った。
「息子が何か問題を?」
「それを確かめるために、こんなところまできたんだ。あそこで何をしていたんだ?盗みか?それとも…」
「別に何もしていません」
「嘘つけ!人の顔を見るなり逃げ出したんだ。やましいことがあったに違いない」
「誤解です!僕はただ家に帰ってただけです」
「家にって、あんな全速力でか」
「だって、門限に遅れそうだったから」
「門限?」
男は顔をしかめ、即座に父親を窺った。
「息子には帰宅時間を守るよう厳命を」
「いや、だが、こちらが何を言っても応じず、ひたすら逃げ続けたんだぞ。何かしら後ろ暗いことがあったからだ」
「門限破りの仕置きを恐れたのでしょう。シェール、正当な理由があれば、酌量するに決まっている。何故誤解を招くようなことをした」
「だって、公安に呼び止めれたなんて言ったら、とうさん、絶対怒るじゃん。それに、まさかうちまで追っかけて来るなんて思わなかったんだもん。てっきり、逃げ切れるって思って…」
「この馬鹿者が!!」
「ご、ごめんなさい」
久方ぶりに聞く怒声に、シェールはすっかり震え上がった。
「こんなところまで御足労いただいて申し訳ない限りだが、聞いてのとおり行き違いがあったようだ。息子の無礼は謝りますし、二度としないよう言って聞かせます」
「今の話だけで、本当に何もしていないと?証拠もなしに、すべて信じろと言うのか」
「何もないことの証明など不可能だ。どうかお引き取りを」
「ならば、身体検査だ。それで何も出なければ、引き上げる」
「しんたい…けんさ?」
しばらくは大人たちのやりとりを静観していたシェールだったが、思ってもいない展開に目を見張った。
「やましいことがないなら、構わない筈だ」
呆然と立ち尽くすシェールをそのままに、大人たちは話を進めた。
公安の男は、まずシェールの模擬剣に目を向けた。鞘から剣を引き抜き、刃引きしてあることを確かめると、すぐさま元へ戻した。
続いて、今度は服の上からシェールの身体に触れた。
「ポケットの中のものを」
「何も入ってません」
シェールはズボンのポケットに手を入れて裏返して見せた。
「上着は?」
男が外套のポケットに触れると、カサカサと音が鳴った。
「これは、その、違います」
「出しなさい」
「でも、本当に関係ないんです」
言いながら、シェールは助けを求めるべく父親を窺った。だが、当の父は険しい表情で首を横に振った。
「事と次第によっては、場所を変える必要がありそうだ」
「ちがっ…!」
男は動揺するシェールを羽交い締めにし、瞬時にポケットを探った。ポケットの中には、紙切れのようなものが折りたたんで入っていた。男は紙切れを取り出すと、丁寧に広げた。そして、中を見るなり失笑した。
その後、男は紙切れをもとあったようにたたみ、シェールに向けて差し出した。
「あ!」
だが、シェールの手が紙切れに触れる直前、ひょいと高く上げ、背後に控えていた父親に手渡した。
「確かにこいつは業務外だ。夜分に邪魔をした」
男は言うだけ言うと、くるりと踵を返した。
「人騒がせな親子がいたものだ」
そうして引き上げる途中、終始文句をたれていた。
タリウスは一礼して公安の男を見送り、それから先程受け取った紙切れを広げた。 その間、シェールは、こそこそとその場を離れようと画策していた。
「シェール!!」
紙切れを一目見るなり、タリウスは本日二度目の雷を落とした。
「この恥さらしが!部屋へ戻って、反省していなさい」
タリウスはその足で女将の私室を訪れ、夜分に騒がせたことを謝罪し、事の経緯を簡単に説明した。女将はと言えば、大して驚くこともなく、いつもの事とばかりに笑って許してくれた。
無論、タリウス自身はそういうわけにはいかない。彼は深呼吸をひとつし、息子の待つ自室へと向かった。
「不満そうだな」
シェールは、反省とはまるで無縁の様子でベッドに座っていた。
「だって、折角門限守ったのに、公安のせいで!」
「公安に怪しまれるような帰り方をしたお前が悪い」
「そんな!とうさんは公安の肩をもつの?」
「いい加減にしろ。お前を追い掛けてきたあの公安は、ただ職務に忠実なだけだ。何故非難する?」
「それは…」
「全力疾走しなければ、門限に間に合わないことが問題だろう。だいたい、いくら急いでいるからと言って、人から話しかけられているのをあからさまに無視するなど、無礼極まりない。違うか」
「………違わない」
「どうやらお前を甘やかし過ぎたようだ」
「そんなこと、なくも…ないけど」
息子の声は尻窄みになり、視線も脇に反れた。そんな息子を見て、タリウスは思わず苦笑した。
「自分でも自覚はあるようだな」
「だって、最近あんまり怒られてないもん。でも、いろいろあったから、その、遠慮してるのかなって」
図星だった。
「そういうわけではないが、ただお前のことが心配だった」
これでは真っ向から認めているようなものだが、事実は歪めようがない。
「あのね、とうさん。僕ならもう大丈夫だよ」
シェールは父親の瞳を凝視し、きっぱりと言い放った。
「そうか。ならば、これで心置き無くお仕置きしてやれるな」
「へ?」
そこから先は、いつもと大差なかった。シェールは、怒れる父によって膝の上へ組み伏せられ、思い切りお尻を叩かれた。
「何だってあんなところへ出来の悪い答案を隠したりした。お陰で恥の上塗りだ」
「とうさん、違うんだ。別に隠してたわけじゃなくて、ただ明日見せようと思ってて」
「何故だ」
「確かに昨日受けたテストはひどい出来だったんだけど、でも今日のはそこそこ出来たから、明日まとめて見せようと思って」
「ほう、年相応の浅知恵がついたようだな」
「えーと」
「下らんことを考える暇があるなら、他にするべきことがあるだろう!」
「痛ったぁ」
「当たり前だ!」
久しぶりに受けるお仕置きの苦痛は、想像を絶した。初めの頃こそ大人しくお仕置きを享受していたシェールも、今となってはひとつ打たれる度に両足を蹴り上げ、金切り声を上げていた。
「とうさん、ごめんなさいぃ。もう無理だって」
「何が無理だ。きちんと反省しなさい」
「ごめんなさい!もうしません!ちゃんと反省します!本当に本当にごめんなさいぃ!!」
お尻がまんべんなく赤く染まる頃には、シェールは喚き疲れ、ゼーゼーと肩で息をする程だった。
「言った筈だ。公安の世話になどなったら許さないと。それをお前は、全くとんでもないことをしてくれたな。ほら、もう良い」
シェールは父親の膝から下りると、ヒリヒリと痛むお尻を懸命にさすった。
「平手のお仕置きってこんなに痛かったっけ」
「久しぶりだからな、骨身に染みたのだろう。これに懲りたら、当面良い子にしていることだ。良いな」
「はぃ」
シェールがほうほうの体で返事を返すと、大きな手がくしゃくしゃと髪をなでてくれた。叱られるのが久しぶりなら、こうして慰められるのも久しぶりだった。
FIN
ここのところ、世の中が落ち着かないせいか、自分もまわりも余裕がなく、沈むことが多いのですが、、、考えてみれば、楽しいこともあるっちゃあるんですよね。
