2022/1/31 0:44
続カーラさん2 小説
それから程なくして、タリウスはひとりユリアの生家を訪れた。
リードソンの私邸は、想像していたとおり広大で、決して華美な装飾が施されているわけではないものの、一個人の住まいと呼ぶにはあまりに豪奢だった。
ひととおり挨拶を終えたところで、タリウスは勧められるまま着席した。客間にはリードソン夫妻以外の姿はなく、そのことがほんの僅かだが彼の心を軽くさせた。
「お一人でお見えになったのですね」
最初の問いは、想定内のものだ。だが、続く台詞は全くもって予想外だった。
「ユリアはともかく、ご子息にはまたお会いできるものと楽しみにしていましたのよ」
「また?」
一瞬、心の声がだだ漏れになったのかと思った。だが、声はあくまで他所から聞こえてきた。
「会ったのか」
「ええ。王都のお友達のところへ行った帰りに、あの娘を訪ねました。あいにく大人は皆お留守でしたけれど、代わりにご子息が立派に家を守っておいででした」
初耳である。少なくとも息子からは、一言もそんな話は聞いていなかった。
「聡明で、心優しくて、素晴らしいお子をお育てですのね」
「いえ…」
「話すことなど何もない。帰れ」
タリウスが口を開き掛けるが、苛立った声に掻き消された。
「あなた」
夫人が制止するのも聞かず、リードソンは席を立った。タリウスもまた反射的に立ち上がった。
「だが、帰る前に庭を案内してやっても良い」
リードソンはこちらに背を向けたまま、歩みを止めた。
「是非そうなさって。お宅のお庭もそれは素敵だけれど、当家の庭園もなかなかのものでしてよ」
話の真意がわからず、困惑していると、夫人はそう言って笑い掛けた。ふいにユリアのことが思い出された。
「どうするんだ」
「お供いたします」
断わる道理はない。タリウスは物言わぬ主人に付き従い、どこまでも果てしなく続く廊下を黙々と歩いた。
目的の場所へ辿り着くと、リードソンはおもむろに扉を開けた。それからしばらくの間、空を見上げた。
促され、開け放たれた扉から一歩外へ踏み出すと、一瞬、時が止まったように感じられた。草木の香りが身体をつつみ、小川のせせらぎが耳を打つ。吹き抜ける風が何とも心地好かった。扉の向こうは別世界だ。
「どうだ、気に入ったか」
無論そうなのだが、いかんせん目の前の光景に圧倒され、気の効いた台詞が出てこない。リードソンはそんな心中を見透かすように、更に続けた。
「言葉を飾る必要はない。思ったままを口にすれば良い」
思ったままと、タリウスは腹の中で反芻した。
「何からか、解き放たれたような、そんな心地になりました」
「ふん。だだっ広いわりに窮屈な屋敷だと?」
「決してそういう意味では」
「儂はそう思った。何年も昔、初めてこの家に足を踏み入れたときは、まるで息が詰まりそうだった」
これには肯定も否定も出来ず、タリウスは黙したまま次の台詞を待った。その昔、ユリアもまた同じようなことを思ったのだろうか、と考えながら。
「あれは気位が高くて、滅多に人を褒めん」
すぐには誰のことかわからず、咄嗟に聞き返すと、リードソンは面倒そうに妻だと答えた。
「子供が真っ当に育っているということは、貴殿がまともな男だということだろう。それで充分だ」
「それでは…」
「不束な娘だが、どうか幸せにしてやって欲しい。多くは望まん。人並みにで良い」
そこでリードソンは初めてまともにこちらを見ると、深々と頭を下げた。タリウスは慌てて最敬礼を返した。
つづく
8
リードソンの私邸は、想像していたとおり広大で、決して華美な装飾が施されているわけではないものの、一個人の住まいと呼ぶにはあまりに豪奢だった。
ひととおり挨拶を終えたところで、タリウスは勧められるまま着席した。客間にはリードソン夫妻以外の姿はなく、そのことがほんの僅かだが彼の心を軽くさせた。
「お一人でお見えになったのですね」
最初の問いは、想定内のものだ。だが、続く台詞は全くもって予想外だった。
「ユリアはともかく、ご子息にはまたお会いできるものと楽しみにしていましたのよ」
「また?」
一瞬、心の声がだだ漏れになったのかと思った。だが、声はあくまで他所から聞こえてきた。
「会ったのか」
「ええ。王都のお友達のところへ行った帰りに、あの娘を訪ねました。あいにく大人は皆お留守でしたけれど、代わりにご子息が立派に家を守っておいででした」
初耳である。少なくとも息子からは、一言もそんな話は聞いていなかった。
「聡明で、心優しくて、素晴らしいお子をお育てですのね」
「いえ…」
「話すことなど何もない。帰れ」
タリウスが口を開き掛けるが、苛立った声に掻き消された。
「あなた」
夫人が制止するのも聞かず、リードソンは席を立った。タリウスもまた反射的に立ち上がった。
「だが、帰る前に庭を案内してやっても良い」
リードソンはこちらに背を向けたまま、歩みを止めた。
「是非そうなさって。お宅のお庭もそれは素敵だけれど、当家の庭園もなかなかのものでしてよ」
話の真意がわからず、困惑していると、夫人はそう言って笑い掛けた。ふいにユリアのことが思い出された。
「どうするんだ」
「お供いたします」
断わる道理はない。タリウスは物言わぬ主人に付き従い、どこまでも果てしなく続く廊下を黙々と歩いた。
目的の場所へ辿り着くと、リードソンはおもむろに扉を開けた。それからしばらくの間、空を見上げた。
促され、開け放たれた扉から一歩外へ踏み出すと、一瞬、時が止まったように感じられた。草木の香りが身体をつつみ、小川のせせらぎが耳を打つ。吹き抜ける風が何とも心地好かった。扉の向こうは別世界だ。
「どうだ、気に入ったか」
無論そうなのだが、いかんせん目の前の光景に圧倒され、気の効いた台詞が出てこない。リードソンはそんな心中を見透かすように、更に続けた。
「言葉を飾る必要はない。思ったままを口にすれば良い」
思ったままと、タリウスは腹の中で反芻した。
「何からか、解き放たれたような、そんな心地になりました」
「ふん。だだっ広いわりに窮屈な屋敷だと?」
「決してそういう意味では」
「儂はそう思った。何年も昔、初めてこの家に足を踏み入れたときは、まるで息が詰まりそうだった」
これには肯定も否定も出来ず、タリウスは黙したまま次の台詞を待った。その昔、ユリアもまた同じようなことを思ったのだろうか、と考えながら。
「あれは気位が高くて、滅多に人を褒めん」
すぐには誰のことかわからず、咄嗟に聞き返すと、リードソンは面倒そうに妻だと答えた。
「子供が真っ当に育っているということは、貴殿がまともな男だということだろう。それで充分だ」
「それでは…」
「不束な娘だが、どうか幸せにしてやって欲しい。多くは望まん。人並みにで良い」
そこでリードソンは初めてまともにこちらを見ると、深々と頭を下げた。タリウスは慌てて最敬礼を返した。
つづく
