2021/10/8 1:14
☆彡☆彡☆彡 小説
ノア=ガイルズが緊張した面持ちで教官室にやってきたのは、その日の夕刻のことだ。
「一体どういうことか説明しろ」
開口一番、紅白戦のリーダーを降りたいと言うノアを、タリウスは鋭く威嚇した。
「申し訳ありません」
「謝れとは言っていない。この期に及んで、何故お前は自分の役目を放り出す?無責任にも程があるだろう」
「すみません、先生。でも決して、指揮官をやりたくないわけではないんです。ただ自分よりもふさわしい人がいるように思えて…」
「相応しい人?誰のことだ」
ノアは当代きっての頭脳派で、温厚な人柄とあいまって仲間からの信頼も厚い。成績優秀で周囲から好かれているという点では、ポーター=カヴァナーも同じだが、あいにくポーターは敵陣営のリーダーである。彼らに代わる存在がすぐには思い付かなかった。
「オーデンです」
「オーデン?」
予期せぬ名前にタリウスは思わず聞き返した。くだんの人物は、つい二日前まで作戦会議にすら出席していなかった筈だ。
「最新の戦略図です」
ノアは手にしていた紙の束を教官に手渡した。それは紆余曲折を経て、イサベルと共に形にしたものだ。
受け取った戦略図に、タリウスは黙々と目を落とした。模擬戦の作戦表は、要所要所で教官に提出する決まりになっていたが、今目にしているものはほぼ初めて見ると言って良い。
「最後に見たものから随分と変わっているようだが」
そこには、授業では教えたことのない戦術や、ここ最近誰も使わなかった類いの戦術も多数あり、正直なところ目を見張るものがあった。
「半分以上、オーデンが考えました。誰が書いたかは言わず、自分の案と比較検討するよう言ったところ、ほとんどの者がこちらを選びました。これを自分が指揮するのは違うと思いました」
「オーデンがそう言ったのか」
「いえ、彼女は何も」
「他の者は?何と言っている」
「みんなにはまだ何も言っていません」
「話にならないな」
タリウスは露骨にため息を吐いた。
「今指揮官が変われば、間違いなく勝敗どころの騒ぎではなくなる。それどころか、お前の班は壊滅的な状況になるだろう。そんなものを統括にお見せするつもりか」
「で、ですが…」
「それともお前はオーデンに恥をかかせたいのか」
「違います!そんなつもりは…」
「紅白戦は遊びではない。今指揮官を降りると言うなら、二度と指揮棒を握ることは許さない。これがどういう意味かわかるだろう」
本来、指揮棒を手にすることが出来るのは士官以上に限定される。指揮棒を握れないということは、すなわち士官を諦めざるを得ないということだ。
「でも、先生。もし、自分が指揮することにみんなが反対したら…」
「オーデンが指揮することに全員が納得したのなら、そのときは指揮官の交代を認めてやっても良い」
「わかりました」
言い終わるや否や、ノアは一礼して踵を返した。その姿に一抹の不安がよぎる。
「ガイルズ」
遠ざかる背中に向かい、タリウスは声を発した。振り返ったノアは浮き足立ち、見るからに焦燥に駆られているのがわかった。
「一時の感情に流されるな。冷静になれ」
教官の言葉に、ノアははっとして動きを止めた。まるで胸の内を見透かされているようだった。
「ノア!どこに行ってたんだよ」
教官室から食堂に向かう廊下で、ノアは級友たちに取り囲まれた。
「ジョージア先生のところに、ちょっと」
「えっ?!」
「オーデン、違う。あの件じゃない」
明後日のほうから聞こえた小さな悲鳴に、ノアは慌てて頭を振った。あの後、ノアはイサベルが時間稼ぎをしている間に、窓から塀伝いに脱出を図り、事なきを得たのだ。
「何だよ、あの件って。だいたい、何だって急に食堂なんかで作戦会議するんだよ」
急ぎイサベルを取りなしたいところだが、級友に阻まれ今はかなわない。ひとまず大丈夫だと目で合図し、ノアは級友に向き直った。
「居室でやったらオーデンが出られない」
「は?」
「とにかくみんなに食堂に集まるように言って。そんなに長くはかからないから」
らしからぬ強い物言いに、級友たちはこぞって食堂に移動した。
「どういうことだよ。この戦略図はノアが書いたんじゃないのか?」
「書いたのは俺だよ。ただ元はオーデンの案だし、手伝ってはもらった」
「何でそんな勝手なことするんだよ」
「勝手?みんなには両方見せて、その上で選んでもらったじゃないか」
イサベルを伴い初めて開いた作戦会議は、予想したとおり紛糾した。これまで彼女とは個別にやり取りをしており、その存在を表に出してこなかったが、流石にそれでは良心が咎めた。
「それはどっちもお前が書いた前提だからだよ」
「作戦の内容より誰が考えたかで良し悪しを判断するのか」
「そりゃそうだろう。女が考えた戦略なんか、読む分には面白くても、実際に使えるかどうか話は別だ」
「ちょっと…」
「どういう意味だよ」
イサベルが異を唱えようとするが、それに被せるようにしてノアが声を荒らげた。
「別にそのままの意味だよ」
「意味がわからない!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
一触即発の空気を破ったのは、それまでおろおろと事の成り行きを見守っていた、コナー=デリックである。
「先輩たちの戦略図の中で、これと似たようなのやつを見たような気がする。だから、そこまで的外れじゃないし、むしろ実効性は高いんじゃないかと思う」
「コナー!?いつの間に?」
ノアの問い掛けに、コナーは些か興奮気味に更に続けた。
「最初に資料室で記録を漁ったときに、結構古いのまでいろいろ見たんだ。切れ端とかしか残ってないのもあったけど、参考になると思ってだいたいのやつは見た」
紅白戦の戦略図は、公平を期すため、すぐ下の後輩に譲ることは禁じられている。だが、時期が過ぎれば解禁になり、一部は資料室に所蔵される。ただし、どれもかなりの悪筆で、解読するにはなかなか骨が折れた。
「けど、前の案もバランスがとれてて、悪くなかった。せっかく固まりかけてたのに、わざわざ書き換えたのは何で?」
コナーの疑問はもっともである。皆の視線が再びノアに集中する。
「向こうにはラサークがいるからだよ」
「ラサーク?!」
以外な人物の名に、イサベルを含め皆が耳を疑った。
「彼女はあのミルズ先生に何を聞かれても、どう突っ込まれても、整然と答えてた。半端ない知識があるからだ。カヴァナーがどう考えているかわからないけど、あっちだって奇をてらった作戦でくる可能性はある。今年はいつもと同じ、並みの作戦じゃダメだ」
言われてみれば確かに一理あると、少年たちは互いに頷き合った。
「オーデンの作戦も、本から拾ってきたのか?」
「もちろん本も読んだけど、私もあっちで先輩たちの作戦を何年分もあたった」
「北の演習場のことはわかんないんだけど、こっちでも応用効くんだよね?」
「それは…」
「それについては、今俺が調整してる」
口ごもるイサベルに代わり、またしてもノアが助け船を出した。
「なら、大丈夫じゃないか?」
コナーの一言を皮切りに、気付けば辺りの空気が弛緩していた。
「この際、使えるものは何だって使ったほうが得策だし、それに向こうにだって女はいるし」
「まあ、コナーがそう言うなら…」
何となくの着地点が見えたところで、この夜はお開きとなった。
「コナー」
居室へ引き上げる途中、ノアはコナーの背中に声を掛けた。
「さっきは助かったよ」
「別に、思ったことを言っただけだよ。ねえ、ノア。一体どうしちゃったの?」
「どうって?」
「いきなり怒って喧嘩するとか、らしくないよ」
「あんなこと言われたら、怒って当然じゃないか。ろくに勉強してない人には、あの戦略の凄さがわからないんだよ」
よくもまあ恥ずかしげもなく、あんな無礼なことを言えたものだ。思い出したら、再び怒りが戻ってきた。
「確かにすごいとは思うけど、けど俺はノアの戦略も良いと思った。実際に指揮するのは、ノアなんだよ」
「そうだけど」
何故だろう。級友の賞賛を素直に喜べなかった。
「一体どういうことか説明しろ」
開口一番、紅白戦のリーダーを降りたいと言うノアを、タリウスは鋭く威嚇した。
「申し訳ありません」
「謝れとは言っていない。この期に及んで、何故お前は自分の役目を放り出す?無責任にも程があるだろう」
「すみません、先生。でも決して、指揮官をやりたくないわけではないんです。ただ自分よりもふさわしい人がいるように思えて…」
「相応しい人?誰のことだ」
ノアは当代きっての頭脳派で、温厚な人柄とあいまって仲間からの信頼も厚い。成績優秀で周囲から好かれているという点では、ポーター=カヴァナーも同じだが、あいにくポーターは敵陣営のリーダーである。彼らに代わる存在がすぐには思い付かなかった。
「オーデンです」
「オーデン?」
予期せぬ名前にタリウスは思わず聞き返した。くだんの人物は、つい二日前まで作戦会議にすら出席していなかった筈だ。
「最新の戦略図です」
ノアは手にしていた紙の束を教官に手渡した。それは紆余曲折を経て、イサベルと共に形にしたものだ。
受け取った戦略図に、タリウスは黙々と目を落とした。模擬戦の作戦表は、要所要所で教官に提出する決まりになっていたが、今目にしているものはほぼ初めて見ると言って良い。
「最後に見たものから随分と変わっているようだが」
そこには、授業では教えたことのない戦術や、ここ最近誰も使わなかった類いの戦術も多数あり、正直なところ目を見張るものがあった。
「半分以上、オーデンが考えました。誰が書いたかは言わず、自分の案と比較検討するよう言ったところ、ほとんどの者がこちらを選びました。これを自分が指揮するのは違うと思いました」
「オーデンがそう言ったのか」
「いえ、彼女は何も」
「他の者は?何と言っている」
「みんなにはまだ何も言っていません」
「話にならないな」
タリウスは露骨にため息を吐いた。
「今指揮官が変われば、間違いなく勝敗どころの騒ぎではなくなる。それどころか、お前の班は壊滅的な状況になるだろう。そんなものを統括にお見せするつもりか」
「で、ですが…」
「それともお前はオーデンに恥をかかせたいのか」
「違います!そんなつもりは…」
「紅白戦は遊びではない。今指揮官を降りると言うなら、二度と指揮棒を握ることは許さない。これがどういう意味かわかるだろう」
本来、指揮棒を手にすることが出来るのは士官以上に限定される。指揮棒を握れないということは、すなわち士官を諦めざるを得ないということだ。
「でも、先生。もし、自分が指揮することにみんなが反対したら…」
「オーデンが指揮することに全員が納得したのなら、そのときは指揮官の交代を認めてやっても良い」
「わかりました」
言い終わるや否や、ノアは一礼して踵を返した。その姿に一抹の不安がよぎる。
「ガイルズ」
遠ざかる背中に向かい、タリウスは声を発した。振り返ったノアは浮き足立ち、見るからに焦燥に駆られているのがわかった。
「一時の感情に流されるな。冷静になれ」
教官の言葉に、ノアははっとして動きを止めた。まるで胸の内を見透かされているようだった。
「ノア!どこに行ってたんだよ」
教官室から食堂に向かう廊下で、ノアは級友たちに取り囲まれた。
「ジョージア先生のところに、ちょっと」
「えっ?!」
「オーデン、違う。あの件じゃない」
明後日のほうから聞こえた小さな悲鳴に、ノアは慌てて頭を振った。あの後、ノアはイサベルが時間稼ぎをしている間に、窓から塀伝いに脱出を図り、事なきを得たのだ。
「何だよ、あの件って。だいたい、何だって急に食堂なんかで作戦会議するんだよ」
急ぎイサベルを取りなしたいところだが、級友に阻まれ今はかなわない。ひとまず大丈夫だと目で合図し、ノアは級友に向き直った。
「居室でやったらオーデンが出られない」
「は?」
「とにかくみんなに食堂に集まるように言って。そんなに長くはかからないから」
らしからぬ強い物言いに、級友たちはこぞって食堂に移動した。
「どういうことだよ。この戦略図はノアが書いたんじゃないのか?」
「書いたのは俺だよ。ただ元はオーデンの案だし、手伝ってはもらった」
「何でそんな勝手なことするんだよ」
「勝手?みんなには両方見せて、その上で選んでもらったじゃないか」
イサベルを伴い初めて開いた作戦会議は、予想したとおり紛糾した。これまで彼女とは個別にやり取りをしており、その存在を表に出してこなかったが、流石にそれでは良心が咎めた。
「それはどっちもお前が書いた前提だからだよ」
「作戦の内容より誰が考えたかで良し悪しを判断するのか」
「そりゃそうだろう。女が考えた戦略なんか、読む分には面白くても、実際に使えるかどうか話は別だ」
「ちょっと…」
「どういう意味だよ」
イサベルが異を唱えようとするが、それに被せるようにしてノアが声を荒らげた。
「別にそのままの意味だよ」
「意味がわからない!」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
一触即発の空気を破ったのは、それまでおろおろと事の成り行きを見守っていた、コナー=デリックである。
「先輩たちの戦略図の中で、これと似たようなのやつを見たような気がする。だから、そこまで的外れじゃないし、むしろ実効性は高いんじゃないかと思う」
「コナー!?いつの間に?」
ノアの問い掛けに、コナーは些か興奮気味に更に続けた。
「最初に資料室で記録を漁ったときに、結構古いのまでいろいろ見たんだ。切れ端とかしか残ってないのもあったけど、参考になると思ってだいたいのやつは見た」
紅白戦の戦略図は、公平を期すため、すぐ下の後輩に譲ることは禁じられている。だが、時期が過ぎれば解禁になり、一部は資料室に所蔵される。ただし、どれもかなりの悪筆で、解読するにはなかなか骨が折れた。
「けど、前の案もバランスがとれてて、悪くなかった。せっかく固まりかけてたのに、わざわざ書き換えたのは何で?」
コナーの疑問はもっともである。皆の視線が再びノアに集中する。
「向こうにはラサークがいるからだよ」
「ラサーク?!」
以外な人物の名に、イサベルを含め皆が耳を疑った。
「彼女はあのミルズ先生に何を聞かれても、どう突っ込まれても、整然と答えてた。半端ない知識があるからだ。カヴァナーがどう考えているかわからないけど、あっちだって奇をてらった作戦でくる可能性はある。今年はいつもと同じ、並みの作戦じゃダメだ」
言われてみれば確かに一理あると、少年たちは互いに頷き合った。
「オーデンの作戦も、本から拾ってきたのか?」
「もちろん本も読んだけど、私もあっちで先輩たちの作戦を何年分もあたった」
「北の演習場のことはわかんないんだけど、こっちでも応用効くんだよね?」
「それは…」
「それについては、今俺が調整してる」
口ごもるイサベルに代わり、またしてもノアが助け船を出した。
「なら、大丈夫じゃないか?」
コナーの一言を皮切りに、気付けば辺りの空気が弛緩していた。
「この際、使えるものは何だって使ったほうが得策だし、それに向こうにだって女はいるし」
「まあ、コナーがそう言うなら…」
何となくの着地点が見えたところで、この夜はお開きとなった。
「コナー」
居室へ引き上げる途中、ノアはコナーの背中に声を掛けた。
「さっきは助かったよ」
「別に、思ったことを言っただけだよ。ねえ、ノア。一体どうしちゃったの?」
「どうって?」
「いきなり怒って喧嘩するとか、らしくないよ」
「あんなこと言われたら、怒って当然じゃないか。ろくに勉強してない人には、あの戦略の凄さがわからないんだよ」
よくもまあ恥ずかしげもなく、あんな無礼なことを言えたものだ。思い出したら、再び怒りが戻ってきた。
「確かにすごいとは思うけど、けど俺はノアの戦略も良いと思った。実際に指揮するのは、ノアなんだよ」
「そうだけど」
何故だろう。級友の賞賛を素直に喜べなかった。