2021/9/24 2:43
☆彡 小説
「ですから、何でダメなんですか」
放課後の中央士官学校である。教官室には到底似つかわしくない甲高い声が、廊下まで漏れ聞こえている。
「規則だ」
いきり立つ訓練生を尻目に、タリウスは短く発した。
訓練生の名は、イサベル=オーデン。北部士官学校からの預かりものであり、ここ最近の頭痛の種でもある。片割れのアグネス=ラサークは、身分証の一件で懲りたと見え、この場に姿を見せていない。
「でも、それでは話し合いに参加出来ません」
「話し合いなら、教室か食堂を使えば良いだろう。必ずしも居室でしなければならない理屈はない」
「そうですけど。でも…」
教官の言葉に一旦は引き下がるも、その目は納得出来ないと訴える。彼女の胸中を考えれば、至極当然のことだと思った。だが、あいにくどうすることも出来ない。
「いい加減にしろ。これ以上ごねたところで、どうにもならないことくらいお前にもわかるだろう。そうでなくとも、お前は無礼が過ぎる」
それ故、もはや力で押し切るより他なかった。
「何なら、自分の居室からも出られなくしてやろうか」
「し、失礼しました」
イサベルが慌てた様子で許しを乞う。見るからに上部だけの謝罪だが、それを咎める気にはならなかった。
「わかったら下がれ」
未だ不満そうなイサベルを追い出し、タリウスは吐息した。
イサベルの軽い足音が去り、入れ違いに軍長靴が大股で近付いて来る。今日は来客の予定はない。だとすれば、急を要する用か、はたまた野次馬か。直前の会話を聞かれたとしたら、また面倒なことになる。
「随分とまた威勢の良いのがいるな」
「トレーズ殿」
扉から現れた見知った顔に、ふっと緊張が解けた。
ファルコン=トレーズ、教育隊隊長にして、エレインやミゼットの同期生である。
「騒々しくて申し訳ありません」
「あれが噂の交換なんたらか。見るからに気の強そうな奴だな。一瞬、記憶が昔に返りそうになった」
ファルコンが昔を懐かしむように、いかつい顔をほころばせた。
「こちらとしても寝耳に水の状況です」
「泣く子も黙る鬼教官が、小娘ひとりに翻弄されているのか」
「小娘はひとりではありません。二人です」
「それは、なかなか同情を禁じ得ない話だな。ミルズ先生やノーウッド先生は、この状況を楽しむなり懐かしむなりしているんだろう」
「仰るとおりです。まるで私だけが、はずれくじを引かされたようなものです」
交換訓練生を受け入れることが決まってからというもの、タリウスは常に気苦労が絶えない。しかし、そんな自分とは相反して、主任教官も老教官もどこか愉しげである。そう思ったら、つい愚痴っぽくなった。
「ところで、本日のご用向きは?あいにくミルズ先生は、統括のお供で不在にしていますが、お約束でしたでしょうか」
「いや、先生に頼まれた資料を持ってきたんだが、急ぐようなものでもない。白状すると、半分はひやかしというか、ただの野次馬だ」
交換訓練生の噂を聞き付けてやってくる者は後をたたないが、自ら野次馬と名乗る者はそうそういない。タリウスは堪えきれずに息を漏らし、それからファルコンに来客用のソファを勧めた。
「忙しいだろうに悪いな」
「いいえ、訓練もひけていますし、構いません」
変わり者である上官の知り合いには、当然のごとく少々変わった者が多い。そんな中、ファルコン=トレーズは稀にみる常識人である。
「それで、交換なんたらというのは、具体的に何をするんだ?」
「特別なことは何も。交換訓練生も他の訓練生、予科生ですが、彼らと同じようにすべての訓練に参加します。ただ、今年は急遽、例年より前倒しで模擬戦をやることにはなりました」
「上からの指示でか」
「はい」
上は上でも、かなり上からの命である。無論、二つ返事で受けざるを得ない。
「人目を引く派手なことをして、成果を見せつけたいんだろうな。現場のことなどまるでお構い無しか」
ファルコンはさも不愉快そうに毒づいた。立場は違えど、上に対して思うところは自分たちと大差ないのだろう。
「紅白戦の編成はあらかた済んでいたので、一人ずつばらして班に組み入れたのですが、話し合いひとつとっても、当然のことながらうまくいきません」
「ああ、それで居室が何とか喚いていたのか」
思ったとおり、先程のやりとりをファルコンは聞いていたのだ。
「はい。作戦会議と称して、大概どこかの居室に集まって話し合うのが常ですが…」
「確かに、自分のときもそうだった。建前としては、敵方に聞かれないためだが、実際に聞き耳を立てている奴がいるとも思えない。狭い居室のほうが結束が高まるとか、そんなところだろうな。だがそうなると、必然的に女は排除される」
異性の居室に入ってはならないという鉄の掟があるからだ。これまで有名無実化していた規則が、ここへきて日の目を見た。
「ご自身のときは、どうやって彼女たちと情報を共有されていたんですか」
「そうだな、俺の班にはエレインがいたんだが、普通に教室の隅で話をしていたぞ。あいつのいない間に決まったことを伝えて、それから考えを聞いたりした。あいつの意見は奇抜だが、俺らには絶対考え付かないことを言うから、聞く価値があった」
つまりは、エレインの素養によるところが大きいのだろう。
「多分、ミゼットにはレックスが話していたんだろう。まあ、あいつらは二人で居室にいるところを一回捕まっているけどな」
ファルコンは思い出し笑いを堪えようと必死だ。
「そういったことはよくあったんですか」
「女と居室にいることか?それとも先生に見付かることのほうか」
「あ、いや、そのどちらもです」
「居室を行き来するのは、正直、日常茶飯事だったな。よく覚えていないが、先生にばれたのは、多分その一回だけだった筈だ。少なくとも俺は、そんなへまはしていない」
「そう、ですか」
男女でいがみ合っているのも問題だが、仲良くなったらなったで、また新たな問題が発生するようである。
「話を戻すが、そもそもにおいて、女は信用できないと言う奴もいたな。まあ、あいつらはおしゃべりだし、ミゼットにいたっては、カマを掛ければ大事なことですら、簡単にしゃべっちまうようなところがあったから、仕方ないんだが」
ファルコンは苦笑いを浮かべ、それから一応フォローのつもりか、最近はそんなこともないが、と付け足した。
「だから、必ずしも場所の問題だけではないだろう。それに、教官にこんなことを言うのはなんだが、最近は地方の訓練生のが出来が良い。彼女たちが自分たちの利になると思えれば良いんだがな」
実際、彼女たちは成績優秀で、兵学の知識にも長けている。北部で紅白戦をすれば、恐らく中心となって作戦を立てていたことだろう。本人たちとしても、現状は不本意な状況に違いない。
「そうかと言って、教官がよそ者に肩入れするわけにもいかないか」
「おいそれとは」
そんなことをすれば、確実に拗れる。既に痛いほど経験済みである。
「結局、見守るより他はなさそうです」
そう言えば聞こえは良いが、とどのつまり出来ることがない。タリウスは自嘲気味に言った。
「良いんじゃないのか、それで」
だが、ファルコンは昂然と言い放った。
「手綱さえしっかり握っていれば、あとは多少目を離したところでどうとでもなるだろう」
そうしてニヤリと笑った。
