2021/4/5 7:04
♪♪ 小説
「ただいま」
数年前のある日のことだ。帰宅を告げる兄の声で、シェールは目を覚ました。つい先程まで、ベッドに転がって絵本を読んでいた筈だが、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「お兄ちゃん!おかえりなさい」
待ち人の帰宅に、シェールはベッドから飛び降りた。
「元気にしていたか?」
「うん」
「それは何よりだ」
まだまだ話したいことはたくさんある。何せ今日一日、ずっとこの時を待っていたのだ。
ところが、タリウスはそんな自分の胸中を知るよしもなく、こちらに背を向け黙々と着替えに取り掛かかった。
「ねえ、お兄ちゃん」
「何だ?」
弟の呼び掛けに、タリウスは背中で応じるだけだ。
「あのね…」
「うん?」
「あの、えっと…」
次第に小さくなる声に、タリウスは何事かと振り返り、それから弟の前に膝を折った。
「どうした?」
思わずうつむくと、真顔で覗き込まれた。もとよりそう大した話ではない。そう思ったら、うまく言葉が出てこなかった。
「…れる?」
「ん?何だ?」
やっとのことで声を絞り出すが、兄には届かない。
「シェール、何が欲しい?」
「えっと、お菓子」
「お菓子?」
咄嗟に口から出任せを言うと、兄が眉を潜めた。
「ついこの間、買ってやったばかりだろう。もうないのか」
シェールは答えない。何故なら、本当は引き出しの中にたんまりあるからだ。
「そんなに頻繁には買えない。ダメだ」
「でも」
「今日のところは我慢しろ」
兄はピシャリと言い放った。本当にお菓子が欲しいわけではないが、ここで引き下がったら会話が終了してしまう。シェールは必死だった。
「なんで?」
「何でって、わからないのか。お前に意地悪するためか。それとも、お前が嫌いだからか」
「そんなの、そんなのどっちもだよ!」
「本気で言っているのか」
タリウスに鋭い視線を向けられ、シェールは泣き出しそうになるのをどうにか堪える。二人はしばらくの間、睨み合った。
「だって」
だが、それもいくらも続かない。先に目をそらしたのは、もちろんシェールだ。
「だって?」
「だって、そんなことないって思うけど、でももしそうだったらって思ったら…」
「違う。お前のことは大事に思っているし、出来る限り望みは叶えてやりたいと思っている」
「お兄ちゃん…」
想像していなかった言葉に、シェールは今度こそ泣きそうになる。
「でもね、シェール。お前には我慢することも覚えて欲しい。きちんとした大人になって欲しいからだ。俺の言っていることがわかるか?」
コクリとシェールは頷いた。
「この次は買ってやる。だから、今日のところは聞き分けろ。良いか?」
「うん」
「良し、良い子だ」
タリウスは微笑み、それから頭をぽんとなでてくれた。今なら本当のことが言えるかも知れない。
「…ってして」
「うん?何だ、もう一度言ってごらん」
「あのね、ぎゅってして」
タリウスは一瞬驚いた様子を見せたが、すぐさま顔をほころばせた。
「これも我慢?」
「いや」
それから、膝を折ったままやさしくシェールを抱き締めた。広くあたたかな背中に触れ、言いようもないくらい心が満たされた。
「これは我慢しなくて良い。いつでも言って良いよ」
「ホントに?」
「ああ。淋しいおもいをさせて、悪かったな」
タリウスはそのままシェールを抱き上げ、ベッドに着地させた。
「今日は何をしていた?」
「えーっと」
そうして並んで腰を下ろし、他愛のない話をする。シェールだけの時間である。
もうちょい続く

2021/4/10 10:07
投稿者:そら
ありがとうございます。最近「書きたいものを書く」から「読みたいものを書く」になってきているのですが、楽しんでいただけて、理想と言っていただけて嬉しいです♡