2021/1/12 16:31
【森】1 小説
「リュート、大丈夫?足痛い?」
岩肌が露になった崖をそれ以上浸食しないよう、シェールは両手両足を使い慎重に下りていく。この場所は少し前に地滑りを起こしたばかりだ。
「いや、大丈夫。動かなければ痛くはない。それより、上に上がれそう?」
「うーん、ちょっと厳しいかも」
最後にストンと着地すると、シェールは今下りてきたばかりの崖をまじまじと見上げた。
「途中までは行けたんだけど、結構滑るし、うまく上まで上れたとしても、その後ひとりで迷子になるのも嫌だし。やっぱりここで大人しく助けを待つことにする」
「助けを待つったって、そんなのいつ来るかわからないだろ!何日、いや、何週間ってかかるかも…」
「大袈裟だな、リュートは。暗くなっても僕たちが帰らなければ、大人が、たぶんとうさんが捜しに来てくれるよ。ひょっとしたら、もうおばさんたちが騒ぎだしてるかも」
少し前に傾き始めた太陽は、今や急速に力を失い、あたりはすっかり暗くなっていた。怪我を負ったリュートが心細く感じるのも無理はない。
「そうだとしても、この広い森の中だぞ。そもそもオレたちがこの森にいることだって、知らないだろうに」
「それでも何でだか来てくれるんだよ、とうさんは。鼻が利くって言うのかな。だから、ここでリュートとふたりミイラになる心配はしてないんだけど、問題なのは助けが来たその後だよ…」
シェールは空を仰ぎ、続いて大きな溜め息を吐いた。
「シェールんちのお仕置きって、どんな感じ?」
「どんなって、リュートんとこと同じだよ、たぶん」
「ムチ?」
「パドルは門限破ったときと、めちゃくちゃ悪いことしたときだけ。それ以外は平手」
「なんだ、意外と甘いんだな。見るからに怖そうな人だから、もっと普段からビシバシされてるのかと思った」
「全っ然甘くないよ。平手って言ってもとうさんのは下手なパドルより痛いし、それに今回はみんなに迷惑掛けただろうから、もしかしたら…」
「もしかしてパドル持ち歩いてるの?」
「まさか!家にあるよ。でも、これを機に出掛けるときは持ってけって言われるかも」
シェールは両手で顔を覆い、ガタガタと身震いした。
「シェールはさ、あの人についてここを出てから、帰りたいって思ったことはないの?」
「そりゃあるよ。特に最初の頃は、知らない街で知らない人ばっかりで。とうさんも仕事が忙しくて、あんまりかまってくれなかったしね。だから、しょっちゅう帰りたいって思った。けど、言ったらいけないんだって思って、ほとんど言わなかったな」
「やっぱり強いな、シェールは」
「強くなったんだよ。リュートだって、いきなりおじさんとおばさんがいなくなったら、そうなるしかないって」
リュートには返す言葉が見付からなかった。二人はそれきり沈黙した。
「あ、でも。ああ見えて、とうさん結構やさしいところもあるんだよ」
思い出したとばかりに、シェールは手のひらをぽんと叩いた。
「まだ学校に行き始める前の話なんだけど、とうさん仕事が忙しくて、毎日帰りが遅いときがあって。そしたら、めちゃくちゃ早起きして、朝から散歩とか鬼ごっことかしてくれたんだよね。雨の日は本読んでくれたり、いろいろ」
「なんつうか、ちょっと意外」
「あのときはすごく嬉しかったし、毎朝楽しかったな。だけどよくよく考えたら、とうさんほとんど寝てないんだよね。ただでさえ忙しくて疲れてた筈なのに。でも、そういう人なんだよ、とうさんって」
「なんかオレの思ってたイメージとちょっと違うかも」
「そう?ていうか、リュートはとうさんに興味があるの?」
「あの人にっていうか、何て言うか。オレ、まだちゃんと決めてないけど、あと何年かしたら士官候補生の試験受けたいって思ってて、そしたら…」
「十中八九、とうさんにしごかれることになるね」
「やっぱりそうか」
うーんとリュートは唸り始めた。
「なんか複雑」
「え?」
唐突に不機嫌そうな声を上げた友人をリュートは見詰めた。
「だって、そうなったらリュートはとうさんにいろんなことを教えてもらえるんだよね。なんかいいなって」
「は?おじさんもおばさんも将校だったって聞いてたから、てっきりシェールも士官学校に入るんだとばっかり思ってたんだけど」
「そう出来たら良いけど、だとしても中央には行けないよ。親が働いてるんだもん」
「そっか、そういうもんか」
リュートが呟き、それからまたしても沈黙が訪れた。
「ねえリュート、少し休んで」
「シェールは?」
「見張り。灯りが見えたら大騒ぎするから、そのときは手伝ってよ」
「わかった。途中で交代するから」
リュートは大きくせりだした木の根にもたれ、目を閉じた。思ったとおり、体調が思わしくないのだ。シェールはそんな友人を一瞥すると、再び先程の崖に手を掛けた。
そのまま半分くらいまで崖を上り、少しだけ広くなったところにそっと腰を下ろす。ここならば周囲の様子を窺うことが出来る。父はもう自分達の居場所にあたりを付けただろうか。
リュートにはああ言ったものの、ひとりになるとやはり心細かった。自然と溜め息が漏れた。
どのくらいそうしていただろう。ふいに周囲が明るくなった。
「とうさん!!」
反射的にシェールは叫んだ。
「シェール!どこだ!」
「ここ!崖の下にいる!」
ややあって、目の前がパッと明るくなる。そして、心配そうな父と目が合った。
「大丈夫か」
「僕は平気。でも、リュートが足を怪我してて、もしかしたら折れてるかも」
「今どこにいる?」
「この下」
シェールは友人のもとへ父を案内するべく、再度崖を下り始めた。
「灯りを持っていろ」
下まで下りると、父は腰に付けていたランタンをこちらに寄越した。
「痛めたのはどっちの足だ」
「右です」
「いいか、触るぞ」
「うぅ…」
リュートが呻き声を上げる。患部に灯りを当てつつも、自分は正視出来なかった。
「恐らく挫いただけだろう。少なくとも折れてはいない」
「良かった…」
父の言葉に安堵するも束の間。
「良いわけないだろう!!」
特大の雷が落ちた。油断していたわけではないが、このタイミングで来るとは思わなかった。心臓がきゅっと萎縮し、もう少しでランタンを落とすところだった。
「自分達が何をしでかしたのか、わからないのか。どれだけの人が心配したと思っている」
「ごめんなさい」
「すいません」
揃って謝罪を口にすると、闇の中から大きな溜め息が聞こえた。
「ともかく戻るぞ。立てるか」
そのまま二人に灯りを当て続けていると、リュートに向けて父が背中を差し出したのが見えた。
「つかまれ」
「で、でも」
リュートが躊躇する。それはそうだとシェールは思った。だが、続く台詞に悪餓鬼たちは度肝を抜かれる。
「嫌ならシェールに背負われるんだな」
「え?」
「は?」
「皆待っているんだ。早くしろ」
凍りつく悪餓鬼ふたりをそのままに、タリウスは立ち上がり崖に向かって歩き出した。
「リュート、とうさんマジだよ」
「ウソだろ?」
「ホントだって。もう、おぶってあげるから早くして。これ以上、怒らせたくないんだ」
シェールはその場にランタンを置き、友人にそっと耳打ちした。
「何をごちゃごちゃ言っているんだ。なんならこの場でお仕置きしてやっても良いんだぞ」
「とうさん!」
恐れていた事態にシェールは悲鳴を上げた。
「あ、あの!」
そんな父子の間に、リュートが割って入る。
「やっぱり連れてってください。シェールにはこれ以上迷惑掛けれない」
「良いだろう。シェール、お前は灯りを付けて先に登れ」
シェールはほっとして、ベルトにランタンをひっかけた。
サクッとお題を書くはずが、思いの外長くなったので分けます。お出掛けネタが楽しい今日この頃。
9
岩肌が露になった崖をそれ以上浸食しないよう、シェールは両手両足を使い慎重に下りていく。この場所は少し前に地滑りを起こしたばかりだ。
「いや、大丈夫。動かなければ痛くはない。それより、上に上がれそう?」
「うーん、ちょっと厳しいかも」
最後にストンと着地すると、シェールは今下りてきたばかりの崖をまじまじと見上げた。
「途中までは行けたんだけど、結構滑るし、うまく上まで上れたとしても、その後ひとりで迷子になるのも嫌だし。やっぱりここで大人しく助けを待つことにする」
「助けを待つったって、そんなのいつ来るかわからないだろ!何日、いや、何週間ってかかるかも…」
「大袈裟だな、リュートは。暗くなっても僕たちが帰らなければ、大人が、たぶんとうさんが捜しに来てくれるよ。ひょっとしたら、もうおばさんたちが騒ぎだしてるかも」
少し前に傾き始めた太陽は、今や急速に力を失い、あたりはすっかり暗くなっていた。怪我を負ったリュートが心細く感じるのも無理はない。
「そうだとしても、この広い森の中だぞ。そもそもオレたちがこの森にいることだって、知らないだろうに」
「それでも何でだか来てくれるんだよ、とうさんは。鼻が利くって言うのかな。だから、ここでリュートとふたりミイラになる心配はしてないんだけど、問題なのは助けが来たその後だよ…」
シェールは空を仰ぎ、続いて大きな溜め息を吐いた。
「シェールんちのお仕置きって、どんな感じ?」
「どんなって、リュートんとこと同じだよ、たぶん」
「ムチ?」
「パドルは門限破ったときと、めちゃくちゃ悪いことしたときだけ。それ以外は平手」
「なんだ、意外と甘いんだな。見るからに怖そうな人だから、もっと普段からビシバシされてるのかと思った」
「全っ然甘くないよ。平手って言ってもとうさんのは下手なパドルより痛いし、それに今回はみんなに迷惑掛けただろうから、もしかしたら…」
「もしかしてパドル持ち歩いてるの?」
「まさか!家にあるよ。でも、これを機に出掛けるときは持ってけって言われるかも」
シェールは両手で顔を覆い、ガタガタと身震いした。
「シェールはさ、あの人についてここを出てから、帰りたいって思ったことはないの?」
「そりゃあるよ。特に最初の頃は、知らない街で知らない人ばっかりで。とうさんも仕事が忙しくて、あんまりかまってくれなかったしね。だから、しょっちゅう帰りたいって思った。けど、言ったらいけないんだって思って、ほとんど言わなかったな」
「やっぱり強いな、シェールは」
「強くなったんだよ。リュートだって、いきなりおじさんとおばさんがいなくなったら、そうなるしかないって」
リュートには返す言葉が見付からなかった。二人はそれきり沈黙した。
「あ、でも。ああ見えて、とうさん結構やさしいところもあるんだよ」
思い出したとばかりに、シェールは手のひらをぽんと叩いた。
「まだ学校に行き始める前の話なんだけど、とうさん仕事が忙しくて、毎日帰りが遅いときがあって。そしたら、めちゃくちゃ早起きして、朝から散歩とか鬼ごっことかしてくれたんだよね。雨の日は本読んでくれたり、いろいろ」
「なんつうか、ちょっと意外」
「あのときはすごく嬉しかったし、毎朝楽しかったな。だけどよくよく考えたら、とうさんほとんど寝てないんだよね。ただでさえ忙しくて疲れてた筈なのに。でも、そういう人なんだよ、とうさんって」
「なんかオレの思ってたイメージとちょっと違うかも」
「そう?ていうか、リュートはとうさんに興味があるの?」
「あの人にっていうか、何て言うか。オレ、まだちゃんと決めてないけど、あと何年かしたら士官候補生の試験受けたいって思ってて、そしたら…」
「十中八九、とうさんにしごかれることになるね」
「やっぱりそうか」
うーんとリュートは唸り始めた。
「なんか複雑」
「え?」
唐突に不機嫌そうな声を上げた友人をリュートは見詰めた。
「だって、そうなったらリュートはとうさんにいろんなことを教えてもらえるんだよね。なんかいいなって」
「は?おじさんもおばさんも将校だったって聞いてたから、てっきりシェールも士官学校に入るんだとばっかり思ってたんだけど」
「そう出来たら良いけど、だとしても中央には行けないよ。親が働いてるんだもん」
「そっか、そういうもんか」
リュートが呟き、それからまたしても沈黙が訪れた。
「ねえリュート、少し休んで」
「シェールは?」
「見張り。灯りが見えたら大騒ぎするから、そのときは手伝ってよ」
「わかった。途中で交代するから」
リュートは大きくせりだした木の根にもたれ、目を閉じた。思ったとおり、体調が思わしくないのだ。シェールはそんな友人を一瞥すると、再び先程の崖に手を掛けた。
そのまま半分くらいまで崖を上り、少しだけ広くなったところにそっと腰を下ろす。ここならば周囲の様子を窺うことが出来る。父はもう自分達の居場所にあたりを付けただろうか。
リュートにはああ言ったものの、ひとりになるとやはり心細かった。自然と溜め息が漏れた。
どのくらいそうしていただろう。ふいに周囲が明るくなった。
「とうさん!!」
反射的にシェールは叫んだ。
「シェール!どこだ!」
「ここ!崖の下にいる!」
ややあって、目の前がパッと明るくなる。そして、心配そうな父と目が合った。
「大丈夫か」
「僕は平気。でも、リュートが足を怪我してて、もしかしたら折れてるかも」
「今どこにいる?」
「この下」
シェールは友人のもとへ父を案内するべく、再度崖を下り始めた。
「灯りを持っていろ」
下まで下りると、父は腰に付けていたランタンをこちらに寄越した。
「痛めたのはどっちの足だ」
「右です」
「いいか、触るぞ」
「うぅ…」
リュートが呻き声を上げる。患部に灯りを当てつつも、自分は正視出来なかった。
「恐らく挫いただけだろう。少なくとも折れてはいない」
「良かった…」
父の言葉に安堵するも束の間。
「良いわけないだろう!!」
特大の雷が落ちた。油断していたわけではないが、このタイミングで来るとは思わなかった。心臓がきゅっと萎縮し、もう少しでランタンを落とすところだった。
「自分達が何をしでかしたのか、わからないのか。どれだけの人が心配したと思っている」
「ごめんなさい」
「すいません」
揃って謝罪を口にすると、闇の中から大きな溜め息が聞こえた。
「ともかく戻るぞ。立てるか」
そのまま二人に灯りを当て続けていると、リュートに向けて父が背中を差し出したのが見えた。
「つかまれ」
「で、でも」
リュートが躊躇する。それはそうだとシェールは思った。だが、続く台詞に悪餓鬼たちは度肝を抜かれる。
「嫌ならシェールに背負われるんだな」
「え?」
「は?」
「皆待っているんだ。早くしろ」
凍りつく悪餓鬼ふたりをそのままに、タリウスは立ち上がり崖に向かって歩き出した。
「リュート、とうさんマジだよ」
「ウソだろ?」
「ホントだって。もう、おぶってあげるから早くして。これ以上、怒らせたくないんだ」
シェールはその場にランタンを置き、友人にそっと耳打ちした。
「何をごちゃごちゃ言っているんだ。なんならこの場でお仕置きしてやっても良いんだぞ」
「とうさん!」
恐れていた事態にシェールは悲鳴を上げた。
「あ、あの!」
そんな父子の間に、リュートが割って入る。
「やっぱり連れてってください。シェールにはこれ以上迷惑掛けれない」
「良いだろう。シェール、お前は灯りを付けて先に登れ」
シェールはほっとして、ベルトにランタンをひっかけた。
サクッとお題を書くはずが、思いの外長くなったので分けます。お出掛けネタが楽しい今日この頃。
