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■更新履歴■  そらごと


9月26日 更新
「小説」→「本編」→「過去からの来訪者」up
お幸せに



そらちゃばこぽけっと。


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2020/11/1  3:00

石の記憶7  小説

「もう、シェールくん。話が違うじゃない」

宿への帰り道、二人はいつ終わるともしれない押し問答を延々繰り広げていた。

「だって、こんなにうまくいくなんて思ってなくて、もったいなかったんだもん」

「いいこと、シェールくん。今日のうちに必ずタリウスに話して。もし、シェールくんが寝た後なら、私が…」

「無理だよ」

皆まで聞かずにシェールが首を振った。

「とうさん今日当直だもん」

「え?そうなの?!」

ユリアが絶叫した。

「そ、それなら、これから兵舎まで説明しに行ってくるわ」

「やめてよ。ただでさえ忙しいときにそんなことしたら、絶対めちゃくちゃ怒られる」

一転して、今度はシェールが焦る番だ。

「このまま勝手なことをするよりは良いわ。それに、私が行く分には大丈夫よ、きっと」

「で、でも、それだとおねえちゃんまで怒られるかもしれないし…」

宿屋の玄関を入ってもなお、話し合いは平行線を辿った。

「ぼっちゃーん!ぼっちゃん!」

すると、遠くから女将の呼ぶ声がした。

「おばちゃん?どうしたの?!」

「ちょっと来とくれ!」

「女将さんの部屋からだわ」

いくら気心が知れているとはいえ、普段の女将ならば、こんなふうに自分を呼びつけるようなことはまずしない。どうにも様子がおかしかった。

「おばちゃん!」

「女将さん!」

慌てて女将の居室に向かうと、彼女は扉の前に両手を付いてうずくまっていた。身体は震え、額には玉の汗である。

「どうしたの?お腹痛いの?」

「いや、腰が痛くてね。動けないんだよ」

「ええ?!」

「本当にもう情けなくていやんなるよ」

女将は今にも泣き出さんばかりである。

「ベッドまで歩けますか」

ユリアが女将に肩を貸そうと、隣に屈んだ。

「無理だよ、ユリアちゃんひとりじゃ」

女将の言葉通り、ユリアでは女将の身体を支え切れず立ち上がることもままならない。

「僕も手伝う」

言うや否やシェールは反対側に回り、女将の腕を持ち上げた。

「せーの!」

そうして、掛け声と共にふたり同時に立ち上がり、そのままそろそろと引きずるようにして、ベッドまで送り届けた。

「待ってて、おばちゃん。今お医者さん呼んでくるから」

「悪いね、ぼっちゃん。そうしてくれるかい」

「いいよ、おばちゃんはゆっくり寝てて」

シェールはもう女将のことが心配でいても立ってもいられなかった。ここへ移り住んでからというもの、こんなことは初めてだった。

「ああ、ぼっちゃん。外に行くついでに表の看板、引っ込めておくれ」

「看板?」

「今日はもう台所に立てないから、お客さんが来たら困るだろう。夕飯は下ごしらえまではしてあるから、悪いけど二人で適当にやっておくれ。余ったら、明日の朝でも、ぼっちゃんのお弁当でも…」

「わかった!」

シェールは駆け出した。まず女将に言われたとおり店の前の看板を下げ、それから街の診療所へ全速力で向かった。

「先生!先生!いますか」

そうして荒い息のまま、診療所の扉を叩いた。

「シェールか、どうした?」

ややあって、顔馴染みの医者が玄関の扉を開けた。

「おばちゃんが腰を痛めて動けないんですけど、診てもらえませんか」

「そりゃ大変だ。だが、今儂も手一杯でな、とりあえず薬を出すから持っていってくれるか」

待ってろ、と医者は慌ただしく奥へと消えていった。

「とにかくこれを貼って安静にしてることだ。いいか、絶対無理に動かしちゃだめだ。揉んだりもしないように」

「わかりました」

シェールは医師に礼を言い、すぐさま宿へ取って返した。それからユリアと二人女将の世話を焼き、食事の準備をし、床に付く頃には夜もすっかり更けていた。


翌朝、シェールはいつも通りの時間に目覚め、それから、はやる心をおさえ昨日の店に向かった。

初日は、店主に付いて配達の手順をひととおり学んだ。初めに店主の言った通り、新聞もまとまれば結構な重さがある上に、覚えるべきこともまた多くある。シェールが考えていた以上にきつい仕事だった。それ故、仕事を終え、宿へ帰り着く頃にはくたくたに疲労してした。

それからもうひとつ、彼にとって予想外だったのが、朝の配達に加え、夕方にも雑務があることだ。学校を終えると、その足で再び店に向かい、あれやこれやと翌日の準備をする。これには疲れ知らずのシェールも耐えきれず、夕飯が済んだところで記憶をなくした。しばらくはそんな日々が続いた。


「遅い!」

見よう見まねで朝刊の配達を終え、玄関を開けたところで、久々に父の怒鳴り声を聞いた。まさか朝からこれを聞くとは、シェールは思わず首をすくめた。

「こんなギリギリに帰ってきたら、学校に遅刻するだろう。一体どこまで行ったんだ」

「えーと、それは…」

あれ以来、結局新聞配達の仕事をしていることを打ち明けられないまま、時だけが過ぎていた。この際、話すなら今かと思ったが、それをすれば学校に間に合わなくなる。どうしたものかと考えあぐねていると、父がしびれを切らせた。

「もう良い。とっとと食事をしなさい」

そこはかとなく不機嫌な父を見るにつけ、やはり言わなくて良かったとシェールは密かに安堵した。

「シェールくん、まさかまだ話していないの?」

そんな胸中を見透かすかのように、ユリアが苦言を呈した。

「なかなか話す時間がなくて」

「それは言い訳だわ」

いつになく強い言葉にシェールははっとした。

「絶対に今日中に話して。そうでなければ、私からタリウスの耳に入れるわ。良いわね」

ユリアの声はあくまで柔和だったが、目は笑っていなかった。
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2020/10/30  23:06

石の記憶6  小説

それから更に数日後、シェールは浮かない顔で隣人の部屋を訪れた。

「あのね、おねえちゃん。この前のチラシ、まだ持ってる?」

「この前のチラシって求人広告のこと?それならまだあるわ」

「もう一回見せてもらっても良い?」

「勿論良いわよ」

ユリアは棚の上にまとめてあった新聞の束から、先日のチラシを抜き出した。

「それで、お父さんは何て?」

「それがあれから全然話せてくて、まだ聞けてないんだ」

「そう。最近、忙しそうだものね」

「夜は遅くて会えないし、朝もバタバタして話せる雰囲気じゃないんだ」

シェールは特大の溜め息を吐いた。今時季の父は物理的な忙しさに加え、とにかくピリピリしていて、迂闊に近付くと痛い目に遭いかねない。

「それに、一生懸命説得してもし許してもらったとして、肝心な仕事がもう別の人に決まっちゃってたらと思ったら、なんか言えなくなっちゃって」

父にこの話をするにはそれなりの覚悟が要る。要求が通っても通らなくても、その努力が徒労に終わるのだけは避けたい。考えるほどに身動きが取れなくなった。

「そんな顔をしないで」

シェールがすっかりしょぼくれていると、頭上からやさしい声が聞こえてきた。

「それなら、先方がまだ働き手を探しているかどうか、聞いて来てあげましょうか」

「本当に?」

「ええ、これからお買い物に行くから、もののついでに新聞屋さんに寄ってくるわ」

「いいの?ありがとう!」

シェールは嬉しくなって、満面の笑みを浮かべた。

「ねえ、おねえちゃん。僕も一緒に行って良いかな」

「ええ、良いわよ」

そんなシェールに応えるように、ユリアもまたとびきりの笑顔を見せた。


一通り買い物が済んだところで、シェールはおっかなびっくり新聞店を訪ねた。

「働き手を探しているかって?何だってまたそんなことを…」

店主は丁度店を閉めようとしていたところらしく、突然の訪問者に些か面倒そうに応じた。

「まさかおねえさん、新聞配達やろうっての?」

「いいえ、私ではなくて」

「僕です」

「坊主が?」

男はシェールに視線を向けると、上から下まで無遠慮に眺めた。

「新聞もまとまりゃ結構重いし、朝だって早い。坊主に出来るのか」

「毎日朝稽古をしているので、早起きには慣れています」

「朝稽古?」

「剣術道場に行っていて、朝は自主練をしています」

「ふうん、ならそこそこスタミナはありそうだな」

男は顎の辺りを擦りながら、ブツブツと一人言を言った。

「あと、走るのも好きです」

「字は?表札は読めるか」

「読めます」

「そうか。なら、とりあえず試しに雇ってやってもいいぞ」

「本当ですか?」

「ま、待ってください」

予期せぬ展開にシェールが感嘆の声を上げるも、ユリアが慌てて店主を制した。

「ああ、保護者の承諾を取らないとだな。あんたは母親じゃないよな」

「違います」

「そうだよな、いくらなんでも若すぎだ。坊主、お母さんは?」

「えっと、ママは亡くなっていて…」

「そうか、そりゃ悪いこと聞いたな。堪忍な。えーとそれじゃあ、パパは?」

「パパは、えっと、その…」

自分にとってパパとは亡き実父のことだが、今問われているのは恐らくそちらではない。毎度のことながら父親が二人いると紛らわしい、などと考えていると、男が突然世話しなく手を振った。

「ああ、もう良いって良いって」

「へ?」

店主の言っている意味がわからず、シェールは固まった。

「もう何も言わなくて良いから。そうか、坊主は苦労してるんだな」

「いや、でも今は…」

「自分の食い扶持を自分で稼ごうだなんて、今時見上げた根性だ。よし、決まり。採用だ。明日から来い」

「え?本当に?ありがとうございます」

店主が何やら勘違いをしていることは明白だったが、そうかと言ってこのチャンスをものにしない理由にはならない。

「シェールくん、そんなひとりで…」

「ところで、坊主。どこに住んでいるんだ?この近くか」

ユリアが先程よりも更に慌てた様子で声を上げるも、店主の声にすぐさま遮られてしまう。シェールはユリアに申し訳ないとは思いつつ、ひとまず自分たちの住まいを伝えた。

「ここからすぐだな。あんたは?」

「私も同じところに」

「何だ、一緒に住んでるのか。それなら何の問題も題ない」

「いえ、ですが…」

「お願い、おねえちゃん。とうさんには後でちゃんと話すから」

ここで本当のことを話をしたら、折角まとまり掛けた話が台無しになってしまうかもしれない。シェールは必死に懇願した。

「何ごちゃごちゃ言ってるんだ。俺は明日早いからもう帰る。詳しい話は明日だ」

言うだけ言うと、店主はじゃあなと言って店を後にした。

「そんな、自分の名前も名乗らないなんて」

「そういえば、僕もまだ名乗ってないや」

残されたふたりは呆然としてその場に立ち尽くした。
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2020/10/25  3:37

石の記憶5  小説


「ただいま」

数日後、学校から帰宅したシェールは、すぐには部屋へ帰らず、その足で食堂を覗いた。それは、ここ数日の新たな日課である。

「シェールくん、お帰りなさい」

思った通り、そこには目当ての人物がいつものように座っていた。

「宿題のこと、本当にどうもありがとう。本当のパパとママがいない僕には、そんな宿題できっこないって思ってたけど、みんなが手伝ってくれたお陰でちゃんと出せた」

今回の宿題については、教師に言われるまでもなく、早々に諦めてはいたものの、その実心が晴れなかった。ところが、その後、周囲の大人たちの計らいにより、どうにか期限までに形にすることが出来た。

「私もシェールくんと一緒に勉強出来て、とても楽しかったわ」

特にユリアは、俄に忙しくなった父に代わり、この数日間で様々な文献をあたりそこから必要な情報を調べ上げてくれた。

「おねえちゃんはママに会ったことがないのにいろんなことがわかって、すごいと思った」

「それはタリウスやミゼットさんがヒントになることを教えてくれたからよ。でもね、シェールくん。それはあくまでも、可能性の話だということは覚えておいてね。ご本人がいない以上、何一つ確証はない。私が出来るのは、言葉や持ち物から住んでいるところを割り出して、そこに住んでいる人がどんな生活をしているか調べるだけ」

「それでもすごいよ。ママのことわかって嬉しかったし、それにいつか行ってみたいって思った」

亡き母に会うことはもはや叶わないが、その母が生まれた場所へ行くことは可能である。ひょっとしたら何かしら母を感じさせるものがあるかも知れない。

「実は私も前から行ってみたいと思っていたの」

「本当?ねえ、お願い!連れてって」

シェールは思わず叫んだ。流石に我儘が過ぎると気付いたときには言い終えた後だった。

「是非そうしてあげたいところだけど、私ひとりではシェールくんを安全に東方まで連れていってあげられないわ」

「危ないところ?」

「ええ、ここよりかは。それに、それなりにお金も必要よ」

「そっか」

ユリアの現実的な一言に、一気に膨らみ掛けた気持ちがたちまち勢いをなくした。思わず目を伏せると、彼女の手元が視界に入った。

「何を見てるの?」

「ああ、これ」

昨日まで地図や辞書などが並んでいたテーブルに、今は広告のようなものが広げられている。

「求人広告といって、働き手を募集しているチラシよ。仕事の内容やお給金が載っているの」

「仕事を探しているの?」

ユリアは士官学校で働いてはいるものの、それ以外にもちょくちょく単発の仕事を請けていた。

「ええ、そうなんだけれど、なかなか条件に合うものがなくて」

「条件って?」

「年齢や働くのに必要な資格のことよ」

ふうん、とシェールは相槌を打ち、それから少し考えてからこう切り出した。

「僕でも働けるかな」

「子供は滅多に…ああ、でも確かこれなら大丈夫かもしれないわ」

「うっそ?」

予想に反して、意外にもユリアは広告のひとつを指差した。

「新聞配達?」

「ええ、新聞屋さんなら子供でも合法的に働けた筈よ。お給金はたかが知れているけれど」

「それでもいい。やりたい」

「本当に?朝は早いし、結構大変そうよ」

「平気だよ。どうせいつも稽古で早起きしてるし変わらないよ」

それに新聞を持って、街を配り歩くなら、朝稽古の代わりに充分なり得ると思った。

「それなら、おとうさんにお願いしてみたら?」

「やっぱりとうさんに言わなきゃダメかな」

再び思いは失速し、シェールは溜め息を吐いた。

「それはそうよ。保護者の許可なく働けないわ。そもそもどうしてシェールくんは急に働きたくなったの?」

「働いて、お金をもらって東方に行きたい」

「待って待って。お金の問題じゃないわ。本当に行きたいならまずタリウスに相談するべきだわ」

ユリアはとんでもないと、少年を諌めた。

「無理だよ。とうさんは仕事があるし、それに危ないところなら絶対ダメって言うと思う」

「それなら尚のこと、私と二人では行かせてくれるはずないわ」

「ああ、確かに」

シェールはしばらく考え込み、それから急に思い立って宿を後にした。


それから、宿題のお礼方々訪れたミルズ邸で、シェールは渾身の策を披露した。

「めちゃくちゃ楽しそうだし、私を仲間に引き入れるってのは良い案だとは思うけれど。でも残念。ミゼットも仕事あるのよ」

「だよね」

「私だって行けるものなら行きたいもの」

思った通り、ミゼットは気持ちの上では大賛成してくれたが、現実はやはり厳しかった。

「おとうさんに頼んでみたら?あんたのためなら、頑張って仕事を調整してくれるかもよ」

「ミルズ先生、良いって言うと思う?」

「うーん、それはちょっとわからないけど、とにかくダメ元で言ってみたら?」

「嫌だよ」

「どうして?」

「だって、きっととうさん、何とかしようってするもん」

「良いじゃない」

「ダメだよ。困らせたくない」

毎年のことだが、現在士官学校は繁忙期を迎え、父の帰宅時間は深夜になることも多く、最近ではろくに言葉も交わしていない。この上、厄介な頼み事など出来る筈がなかった。

「そういうところは律儀よね」

少年の意志の強そうな瞳に、ミゼットは親友の面影を見た。
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2020/10/22  23:21

石の記憶4  小説


その夜遅く、シェールが眠りについた後、タリウスは食堂に下り、ひとり黙々と作業をしていた。

「ああ、すみません」

そこへコトリとカップが置かれ、彼は反射的に目を上げた。見れば、ユリアが盆を手にひっそりと佇んでいる。盆の上にはカップがもうひとつ乗っていた。

「どうぞ」

タリウスはテーブルの上に広げた件の石やナイフを自分の方へ引き寄せた。

「遅くまで大変ですね」

「いいえ、少々訳あって、シェールの宿題に手を貸してやっているところでして」

「それはそれは」

ユリアはまるで自分のことのように喜び、タリウスの向かいに腰を下ろした。

「本当に良いお父さんですね」

「そうでもないですよ。現に何の役にも立てていません」

「そうですか?これは、古代文字…象形文字ですね」

言いながら、彼女はタリウスの手元にある紙を覗き込んだ。紙には、石の入った袋に描かれたものと同じ図形が書き写されている途中だった。

「文字?模様ではなく」

「ええ。恐らくは東方の古代文字の一種だと思います。部屋に行けば資料がある筈ですが、お持ちしましょうか。それとも…」

そこでユリアの瞳がいたずらっぽく光る。

「私が片付けて差し上げましょうか?シェールくんの宿題の下請け」

「違います。別にあいつの宿題の下請けをやっているわけでは、誤解しないでください」

「大丈夫です。秘密は守ります」

彼女はクスクスとさもおかしそうに笑った。

「だからそういうことではなくて…まあ良いです。最初からお話しします」

タリウスは溜め息をひとつ吐くと、息子の宿題を手助けすることになった経緯を説明した。

「その手の宿題には私も苦慮した口なので、シェールくんの微妙な気持ち、お察しします」

ユリアは苦笑いをして、それからタリウスの手元から書き途中の紙を拾い上げた。

「よろしければ、本当に私がお調べしますよ。一応専門領域ですから」

「ありがとうございます。実を言うと、ぼちぼち相談に伺うところでした」

ユリアの申し出は、まさに願ったり叶ったりだった。息子の力になってやりたいとは思ったものの、異国語も地理もまるで門外漢で早くも音を上げそうになっていた。

「なんならひとっ走り東方まで行ってきましょうか」

「ひとっ走りって」

「東方というと、なんとなく物凄く遠い地にあるようなイメージがありませんか?」

「正直なところ、その辺りの地理には馴染みがなくて」

だが、海を隔ててすぐ隣が異国であることから、漠然と遠いところにあるという認識はあった。

「実際には、ここからそう遠くないところにあります。移動距離で言ったら、北に行く半分もかかりませんし、交通網も発展しています」

「そうでしたか」

教官になってからというもの、方々に出向くことが増えたが、唯一東方にだけは行ったことがなかった。何故なら東部には士官学校がないからだ。だが、考えてみれば、士官学校をおかないということは、中央へ難なく往き来できる場所にあるということでもある。タリウスにとって、近くて遠い地だっただけだ。

「方向で言ったら、前にシェールくんが誘拐されたあたりから、もう少し先に行けば辿り着けます。恐らく、盗賊は東方の港でシェールくんを売り捌こうとしていたのだと思いますよ」

「それはまた随分と生々しい話ですね」

「失礼いたしました」

ユリアはハッとして自身の発言を詫びた。

「様々な文化が混じり合う都市ですから、交易が盛んで活気もありますが、治安が悪いのがネックです。一度行ってみたいとは思っていますが、二の足を踏んでいる理由がそれです」

「思ったより真っ当な判断が出来るようで安心しました」

ユリアは一瞬きょとんとした後で、もうと言って頬を膨らせた。

「ところで、シェールくんのお母さんは言葉や生活様式が周囲と異なるようなことはありましたか」

「いえ、そういうことはなかったように思います」

「いわゆる部族と呼ばれる人々が多いのが特徴でもありますが、元来好戦的ではない上に、早くから文明も受け入れていたと聞きます。それに加えて、ここ何十年かで都市化が進んで、もう昔ながらの遊牧生活をしている人は滅多にいないようです。なので、シェールくんのお母さんも、その親の世代から既に都市に住んでいたのかもしれませんね」

「都市に出て何を?」

「人によりますが、ラクダや馬を使って人や物資を運んだり、あとは旅人向けの宿泊業を営んだり、そんなところだと思います」

宿泊業と言えば、エレインが最後にやっていたのもまた宿屋である。そんなことを考えながら、再び石の袋に目をむけると、ふとある可能性が浮上した。

「翼…」

「はい?」

それまで単なる幾何学模様にしか見えなかったものが、突然明確な図形となって浮かび上がって見えた。

「これ、見ようによっては、翼に見えませんか」

「ええ、そうですね。言われてみれば確かにそうかもしれません。図案化されているのに、よくわかりましたね」

「いえ、単なる思い付きです」

ふいにエレインのやっていた店の屋号を思い出したのだ。

「銀の翼、それがあいつのいた店の名前です」
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