2012/11/11  16:34


細い路地が入り組み、古い家が軒を連ねる町でお隣さんは親戚のような存在です。
老後は海の近くでと両親が引っ越して行くと、ひとり残った私の所に
隣りのおばさんが度々顔を出してくれるようになりました。

彼女はいつも玄関からではなく我が家の出窓からやって来ます。
少しのお菓子、庭で咲いた季節の花を持って窓をコンコンとたたき、
窓越しに植木の話をして「じゃあね。」と笑顔で帰って行きます。
ひとりで暮らす私をさりげなく気にかけてくれていたのでしょう。
私が幼い頃から、数十年のお隣りさんです。

そんな彼女が亡くなりました。
いつかはこういう日が来ることをわかっていましたが
私には突然のことでした。

長い通院生活の中、

「お加減はいかが?」

なんてことはききませんでした。
会う度にそれを尋ねられることがどれだけストレスになることでしょう。

植木の手入れをしながら聞こえてくる彼女の歌声で
今日は元気だな、よかった…
最近声が聞こえてこないな、大丈夫かな…

もう長いこと、母も私もそうやって彼女の体調を判断していました。

亡くなったとの知らせをもらい母と二人、最後のお別れをしにおじゃましました。
お隣りにおじゃまするのは小学生の時以来。

廊下はこんなに狭かったかしら…

そうではなく、私が大きくなり過ぎたのです。
その感覚は長い月日が経ったこと、彼女が年をとったことを物語っていました。

「眠っているみたいね…」

ベットに横たわる彼女を見て、母がそうつぶやきました。
彼女の名前を呼びながら泣き出す母の横で私も感情がこみ上げ涙を流しました。

すべすべした肌、穏やかな顔で眠る彼女を前に
いつもと何ら変わりないような雰囲気を感じながら、
でも間違いなくその時が来たのだ…
冷たい彼女の頬がそうおしえていました。

母と私が泣く横で、ご家族は穏やかな表情を浮かべていました。

ここに1枚の写真があります。
子どもだった兄と私、犬を抱えた彼女が写っています。
母が玄関先で遊ぶ兄と私を撮っていたところに彼女が犬を連れて通りかかったのです。

彼女は今よりもずっと若く元気で、兄と私は幼く…
子どもは成長し、大人は年老い、
それが時の流れ、世代交代というものなのでしょう。

もうこの窓をたたいてくれる人はいないのです。

心にぽっかりと穴があいた、今年春の出来事でした。

それからしばらくして、プランターの花に水をあげようとした私はハッとしました。
彼女がいつもたたいてくれた出窓の真向かいに一本のオニユリがたたずんでいたのです。

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「おばさんだ…」

見た瞬間そう思いました。

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細く、長く、我が家の出窓を見つめながら咲くその姿が
スレンダーだった彼女の姿と重なったのです。

こんな所にユリなんてあったかしら。
あれば気づくはずなのに…

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不思議に思いながらも、花が好きだった彼女がユリになって
今でも私を気にかけてくれているのかもしれないと心強く思い、
アスファルトの隙間から生えるその根元にそっと水をかけました。

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タグ: 路地 お隣り ユリ



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