『本当の話』 ルキアノス著
『ハンス・ブファルの冒険』(ポオ)を読んでいて思ったのだが、こういうたぐいの話をもう何回も目にしているなと。
空想が大好きで筆の立つ男の物書きというものは、どうもこういう大法螺話を一度はやってみたいようである。この話のように月へ行くという設定でいかに大きなホラをもっともらしく吹聴するかというのが男作家の一種の登竜門のようなのだ。誰が一番すぐれているかと競争しているかの如しだ。
どう見てもこの話はシラノドベルジュラックの『月世界旅行』を意識しているとしか思えない。(と思っていたら最後にそう書いてあった)。ま、見える星は太陽と月だったからその当時の宇宙旅行は、つまりは太陽か月への旅行ということになるのである。
しかしこのシラノの『月世界旅行』はまたどう見てもセルバンテスの『ドンキホーテ』に影響されているホラ話である。で、時代が下ればそれは『ほら吹き男爵の冒険』(ビュルガー編)に受け継がれている。
しかし元をたどっていくとラブレーの『ガルガンチュア』を超えて、ルキアノスというローマ時代のギリシャ人が『本当の話』という著作で月世界旅行の大法螺をぶち上げていた。
この話は、船が強風に舞いあがって気付いたら月へたどり着いてしまったとか、そこでは月の軍隊と太陽の軍隊が戦争をしていたとか、つまり月に人がいるのだった。
そして月の人びとの風習を描いたあと、出航して星々を回って地球の海に戻るのである。すると今度は大きなクジラに飲み込まれてしまう。
そのクジラの腹の中は広大で、島や海があり人が住んでいて開墾までしているといった風で、その後の時代にたくさん書かれるこのクジラのお腹で生活してしまうホラ話のもとになっている。
しかしこの著者ルキアノスは、私がいうことはウソばかりだと言っておいてから、自分は本当にこういう経験をしたのである、というのだ。つまり自分の話を自分でおちょくっているのである。
彼は見事なパロディ家であって、この先の話の中ではギリシャ神話からホメロスに至るまでのことごとくをパロって大法螺をこいているのだ。
しかししかし、そのまた元になる話がかの『オデッセイア』(ホメロス)である。考えればもとの大ボラ話はオデッセイの冒険だったではないか。あることないこと神をだしにしてホラを吹きまくった話が『オデッセイア』なのだった。
ウソつき、大法螺の元祖は実はホメロスなのである。そしてそれをおちょくったルキアノスが言ってみればパロディの元祖というべきかもしれない。ま、それもぼくの知る範囲でのことだが。
そしてルキアノスも言っているようにたとえばヘロドトスの『歴史』なども、硬い本かと思いきやけっこうホラ話としか思えないような話が頻繁に出てくるのだ。
また考えようによってはダンテの『神曲』などもこれ全編ホラ話とも思えてくる。地獄から天国までまるで行ってきたかのようにして(「実際自分が行った」という設定なのだが)語っているではないか。
ぼくはヨーロッパ人が平気でうそをついたりホラを吹きまくったりするのはこういった長ーい歴史の中で出来上がったものだと思わざるを得ないのだった。
こういうたくさんのホラ話が歴史的名著といわれているわけなのだからね。

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