カッターという刃物は今ではどこにでもある珍しくもなんともない文房具だけど、これが市販されたときは驚いたものだった。
刃物は研いで使うものと決まっていた当時、薄い刃に切れ目を入れてそのつど折り取って使うカッターはとんでもない代物だった。こんな頼りないものが使えるとはとても思えなかったのだ。実際安定性を欠くうえにその刃は薄くて折れやすいのでまったく使い物にはならかったのだ。
当時も今もこのカッターで木を削ろうとするとまったく使い物にならない、そういうものなのだ。
しかしその頃からナイフは次第に木を削るものではなくなっていき紙を切るものになってきていたのである。もう日常には木を削るということがなくなってきていたのだった。
だからその頃はナイフでは切りにくい紙もしかたなくそのナイフを鋭利に研いで使っていたわけなのだ。
しかしカッターが出現してからそれまでナイフで切っていた柔らかい素材はすべてカッターに刻まれることになったのである。
ぼくが中学生のときである。ナイフでは切りにくいが、剃刀の刃に似せたボンナイフ(鉛筆削り専門ナイフのこと)では心もとないボール紙を切るために、自分でナイフを作ることにした。それでぼくは使用済みの金切り鋸の刃を拾ってきてそれを研いでカッターを作った。その研いだ刃を杉の木の切れっぱしにはさんだ簡単なものだ。
これはそれまでのナイフと、のちに現れるカッターとの中間的なシロモノなのだった。いわば彫刻刀なのだが、これは両刃であるところが彫刻刀と違うところで、これだと押すも引くも自由なのだ。日ごろ何気なく小さい木を手に持って削るためには便利なものだった。もとがタダだからいくら乱暴に使っても刃を折ってしまってもちっとも惜しくないのだ。
それで何となく硬い木をこじるときなどはまったくもって便利なものだった。
手前がそのカッター。木片に顔を彫ってみた。
その中学時代の手作りカッターが、実は今も健在なのだ。
このたび暇にまかせて木の棒に彫刻をしたのだが、そんな小さな木に細かい刻みを入れるにはうってつけなのだ。だから今も使っている。
思えばこの刃物ももう半世紀もの長きにわたって使い続けていることになるわけである。そう思い返したらちょっとした驚きだ。
ちなみにその木っ片をキリで突いていたときに先の「貫通ものがたり」をやっちまったのである。

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