富士吉田に着いて浅間神社にお参りをした。今日は火祭りがあるというのであっちこっちに松明がおかれている。この神社の境内にも大きなそれがおかれている。松明といっても手にかざす小さいものではなく、地面に立ててキャンプファイアーのように火柱をつくる大きいものだ。長さ3,4メートルの円錐形のもので、木っ端を集めて円錐形に仕立て周りを縄できつく縛ったものだ。今は地面に寝かせているがこれを立てて今日の夜に神社といわずこの辺りの大通りといわず路地といわずあちこちで火の手が上がると思うとちょっと気持ちが動く。帰りに覗いてみようか、なんて。
それでとりあえずいつもの北富士演習場の中に入ろうと思い、ゲートまで行ったが閉まっている。日曜日は開放しているはずだが、と張り紙を見ると路肩流出のため他のゲートに回ってくださいとあった。
ぼくはべつだん気にも留めずにほかの入り口を探して滝沢林道を上がった。二三の細い砂利道を入っていくと道はいずれも狭くなって心細い。おまけに雨で道の中央は溝ができてしまってとんでもなく走りづらいのだ。何本か試したあげくついに比較的長くていかにも演習場に抜けられそうな砂利道に入った。気持ちの上ではこれで行けそうだと思ってしまったのだ。
ところが道は狭くなり藪がトンネルのように両側からせり出してきて時折は身をかがめて通る状態になってしまった。するとまた雨で土が流された溝が出てきた。何とか端のタイヤ一本通れるすじを探して走るが、つい広いほうのすじに入ろうとしてその溝を右から左へと超えんとしたときに溝にはまってしまった。
暑い藪道で、もうけっこう身体が熱くなってきていたので焦らずにヘルメットを脱いで休むことにした。この先は道が下っているので、さあどこまでこの溝が続くのだろうかと思い歩いて先のほうに行ってみた。細い藪道を抜けると林の中に入っている。そこらじゅうにシカの足跡がついている。
しかしその先はまた道が荒れていて雨のために土砂が流れた跡がある。そこで思い出した、はじめのゲートに「路肩流出」のため通行止め、とあったのはこういうことだったのか?と思った。それでもう戻ることに決めたのだった。
バイクに戻って方針を決めた。いったん広い林のところまで進み、そこでUターンしてこの溝がついた道を登り返すしかない。
林までは下りなのでそこそこの走りでクリアした。しかしそれからが問題だ。今度はその道を上がらなければならない。ぼくは暑さを回避するためにヘルメットを脱いだ。溝にはまることは覚悟で、そのために脱出する際にまた熱中症なんかになったらことである。以前あせってヘルメットをかぶったままでバイクを押し上げていたら、ぶっ倒れたことがある。
ところがこれが仇、藪のトンネルを上がり始めてすぐに草の葉が目をこすってしまったのだ。一瞬片目が見えなくなってあっという間に溝に落ちた。
ぼくは身の程を知らずに(つまり一年間バイクに乗ってないということ)溝に落ちたバイクを引き上げようと力を入れた瞬間、腰がみしっと鳴った。それきり力が入らなくなってしまった。腰の筋肉の肉離れだ。やっちまったよ。これでバイクを持ち上げるような事態は絶対ゆるされないことになった。
それで今登ったところを溝の浅いところまでずるずると後退させた。そこで一気にエンジンをふかして溝から脱出し、あとは恐る恐るエンジンを止めないように手押しで登っていく。足もとは溝があって心もとなくバイクは絶対に溝に落としたくない。それで何回も藪のほうにバイクを倒してしまった。もう疲労困憊である。しがみついたバイクの傾きがそのまま転倒になってしまう体たらくだ。体力がなくなっていることをつくづく感じた。
こうして何回かの試行錯誤で溝のない道に出た時はほっとして、改めて腰と草でこすってしまった目が痛くなり始めた。
一人で山を走るとなんでこうなるのかといえば、一人だとなぜか「行けるんじゃないか?」と思ってしまう癖があるのだ。本当は一人だからこそ危険は回避するのが上策なのになぜか一人だと冒険したくなってしまうのだ。しかし今回でかなり自信を失ったようである。
浅間神社の下りるともう夕暮れが迫ってきて、人々が火祭りの支度をしている。それを横目で見ながらもう歩く元気はないなとあきらめてカフェに入った。
暗くなってからも渋滞の列が途切れない。赤いテールランプの点滅の中をバイクで縫うように進んでいくともう眼が眩むようだ。談合坂でベンチに横になりしばらくは眠ってしまった。10時を過ぎてそろそろ渋滞が緩んだかといえばまだまだ赤い光の中を進むしかなかった。今日は夏休みの最後の日曜日だったのだ。

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