どっ

 

2014/8/19

『シークレットレース』 
タイラー・ハミルトン、ダニエル・コイル共著(小学館文庫)

何とも面白い本だった。苦々しくも面白く読んだ。
かつてツールドフランスで7年連続総合優勝を果たしたとされる、アメリカの英雄ランスはとんでもない男だったのだ。あらゆる意味でとんでもない男であった。
彼が岩のような決意で成し遂げたことは、素晴らしい優勝の数々ではなく、とてつもなく狡猾な詐欺だったのだ。彼はまんまと世界をだまし続けていたのだ。
いまさらドーピングをこの世界の(つまりサイクルスポーツの)病巣だといってもだれも驚かないだろう。それほどツールという競技はいわばドーピングが当たり前として通用してしまっているのだ。

しかし、ああドーピングね、と今まで納得してきたほど事は単純ではなかった。ぼくはこの本を読んで改めて驚いてしまったのだ。ドーピングというものは単に個人のパフォーマンスを上げるということではなく、一つの「世界」を形作っているのだった。
そこに入った者は否応なく人を傷つけ支配し蹴落とし騙し人生を破壊し、それでいて平然と嘘をついて黒を白と言いくるめることを学ぶようにさせる、そういう世界なのだった。そういう鉄面皮を堂々とできるものが勝者となる仕組みなのだった。
ランスはそういう技においては群を抜いて人より勝っていたし、それだからこそ7連覇という人間離れしたことができたのだ。

この本はランスの所属していたUSポスタルでのチームメイトだったハミルトンが、当時いったい何があったのかを告白した懺悔録である。
ツールドフランスで各チームが行っていたドーピングの実態と駆け引きが赤裸々に語られている。普通われわれが違法行為と考えているものがこの世界ではどのようにして実在できているのか、そこにハマった選手たちがそれを日常としていながら秘密にするということがどういうことなのか、読んでいるうちに空恐ろしくなるのは、ぼく自身がもしそこにいたらやはりそうしたかもしれないという心持になってしまうことだ。
戦場にいると人を殺すことがもはや悪ではなく、しかもそれを市井の人には内密にするという事実と符合することに、戦慄を覚えるのだ。この本を読んだ時期が日本の「終戦」の時だったことで、ぼくは思いがそちらに飛んでしまったのだ。

かくてランスの7連覇はすべてが剥奪され、自転車競技から永久追放ということになった。英雄から犯罪者に塗り替えられてしまったのだ。ぼくはあたかも終戦時の日本やドイツ国民のような気分になったわけだ。今までの英雄が戦犯となったわけだから。
これを読んでサイクルスポーツから退却するもよし、わかったうえでさらにツールを楽しむもいいと思う。
どちらにせよぼくらは真実を知ることが肝心である。そのうえでやはりすべきことと、してはならないことを考えるべきだとつくづく感じたのだった。

ランス・アームストロングがこれほど密にドーピングと係わっていたとは実際のところ意外であり驚いた。今までにひとが「皆やっているよ」という一言に感じていた軽い気持ちはすっ飛んでしまった。「それ」がこの世界で常識になりいかにして「検査」という網をすり抜けているのかをこれほど克明に具体的に知ってみれば、もう「それは常識だよ」とだけ言っているわけにはいかない。
もはやサイクルスポーツだけでなくプロスポーツというものの見方を考え直さなければいけないのだ。数秒数センチという世界で、莫大な金の動きが変化する場所においては、もはや「ドーピングの世界」を考えないわけにはいかないのだ。
『シークレットレース』。スポーツが好きな人間は、必読の書だ。
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2014/2/9

先日から雪だ雪だとマスコミが騒ぐので、降るんなら降ってみろと思った。最近の天気予報はどこか大げさでいいかげんなのであまり信じてはいないのだ。
しかし本当に降った。11時に起きると一面の雪だったし、それよりも吹雪になっていて景色があまり見えないほどだったのだ。
ここまで来ると自転車で遊ぶなどということもできそうにない。しかも今の自転車はスリックタイヤである。雪をつかむブロックパターンがついていないのだ。ああ、MTBを修理しておけばよかった、と思った。

しかし自転車で出てみると意外に走れたのだ。家を出てまっすぐに馬込中学まで進んで坂を上ったところでタイヤが滑ってしまい一度降りたが、そこを左に曲がってすぐに乗り込んだら意外と乗れるのだ。タイヤは滑ってもバランスをとっていればそのうちに走り出すのである。そうして何とか保育園の急坂に出た。この16パーセントの下りを恐る恐るじんわりと下るとそれもクリアしたのだ。まわりに車はほとんど走ってないし、そのまま走って次の坂は登り切った。最後のヘアピンカーブもこなして院についた。ほぼ完走である。雪の深さは5センチほどでこのぐらいならいけることが分かったのだ。

しかし雪は思いのほか降り続いた。まったく仕事にはならなかった。宮本常一の『塩の道』を読んでいたが部屋はけっこう寒く、温まらなかった。OKで買ったカニ寿司を食べてコーヒーをいれた。
ラジオで雪の状況を聞いているとちっともやむ気配はないとのことでぼくはニヤリとしたものだ。しかし大雪というよりもこれはもうけっこうな吹雪であって風の音がひっきりなしに聞こえるのだ。雪はどんどんとつもり15センチを超えるほどだ。ラジオでは23センチといっていた。
ぼくは、暗くなってもはや誰も来ない院のカーテンを閉め、今日は30分前に店じまいすることにした。雨合羽を着て庭に立つとすっぽりと足が埋まってしまった。これはすごい、尋常じゃない深さだ。自転車もすっかり雪に埋もれていた。向かいのKさんが枝の雪を落としているのが見えて、挨拶をした。楽しいでしょ?と。

帰りはまったく自転車は機能しなかった。20センチも積もるともうホイールが空回りするばかりでまったく前進しないのである。おまけにブレーキがかからないのだ。これで坂を滑るようにして下るのは危険とみてやめた。
サドルを下げるためにコンビニの明かりに入ったが、そこのタイルに足を踏み入れたとたんに滑って転んでしまう。このタイルという厄介なもの。
しかたなく自転車は引いて歩いた。平らなところにさしかかるとちょっと乗っては見るもののやはりタイヤは雪を噛んでくれない。仕方なく自転車は押して歩き切ったがそれも何となく楽しい歩きではあった。
まだ風の勢いはやむ気配はないが、雪は心持溶けてきたようなところがチラホラと見えた。明日はシャーベット状の雪を走ることになろう。
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2012/8/30

富士吉田に着いて浅間神社にお参りをした。今日は火祭りがあるというのであっちこっちに松明がおかれている。この神社の境内にも大きなそれがおかれている。松明といっても手にかざす小さいものではなく、地面に立ててキャンプファイアーのように火柱をつくる大きいものだ。長さ3,4メートルの円錐形のもので、木っ端を集めて円錐形に仕立て周りを縄できつく縛ったものだ。今は地面に寝かせているがこれを立てて今日の夜に神社といわずこの辺りの大通りといわず路地といわずあちこちで火の手が上がると思うとちょっと気持ちが動く。帰りに覗いてみようか、なんて。

それでとりあえずいつもの北富士演習場の中に入ろうと思い、ゲートまで行ったが閉まっている。日曜日は開放しているはずだが、と張り紙を見ると路肩流出のため他のゲートに回ってくださいとあった。
ぼくはべつだん気にも留めずにほかの入り口を探して滝沢林道を上がった。二三の細い砂利道を入っていくと道はいずれも狭くなって心細い。おまけに雨で道の中央は溝ができてしまってとんでもなく走りづらいのだ。何本か試したあげくついに比較的長くていかにも演習場に抜けられそうな砂利道に入った。気持ちの上ではこれで行けそうだと思ってしまったのだ。

ところが道は狭くなり藪がトンネルのように両側からせり出してきて時折は身をかがめて通る状態になってしまった。するとまた雨で土が流された溝が出てきた。何とか端のタイヤ一本通れるすじを探して走るが、つい広いほうのすじに入ろうとしてその溝を右から左へと超えんとしたときに溝にはまってしまった。
暑い藪道で、もうけっこう身体が熱くなってきていたので焦らずにヘルメットを脱いで休むことにした。この先は道が下っているので、さあどこまでこの溝が続くのだろうかと思い歩いて先のほうに行ってみた。細い藪道を抜けると林の中に入っている。そこらじゅうにシカの足跡がついている。
しかしその先はまた道が荒れていて雨のために土砂が流れた跡がある。そこで思い出した、はじめのゲートに「路肩流出」のため通行止め、とあったのはこういうことだったのか?と思った。それでもう戻ることに決めたのだった。
バイクに戻って方針を決めた。いったん広い林のところまで進み、そこでUターンしてこの溝がついた道を登り返すしかない。

林までは下りなのでそこそこの走りでクリアした。しかしそれからが問題だ。今度はその道を上がらなければならない。ぼくは暑さを回避するためにヘルメットを脱いだ。溝にはまることは覚悟で、そのために脱出する際にまた熱中症なんかになったらことである。以前あせってヘルメットをかぶったままでバイクを押し上げていたら、ぶっ倒れたことがある。
ところがこれが仇、藪のトンネルを上がり始めてすぐに草の葉が目をこすってしまったのだ。一瞬片目が見えなくなってあっという間に溝に落ちた。
ぼくは身の程を知らずに(つまり一年間バイクに乗ってないということ)溝に落ちたバイクを引き上げようと力を入れた瞬間、腰がみしっと鳴った。それきり力が入らなくなってしまった。腰の筋肉の肉離れだ。やっちまったよ。これでバイクを持ち上げるような事態は絶対ゆるされないことになった。

それで今登ったところを溝の浅いところまでずるずると後退させた。そこで一気にエンジンをふかして溝から脱出し、あとは恐る恐るエンジンを止めないように手押しで登っていく。足もとは溝があって心もとなくバイクは絶対に溝に落としたくない。それで何回も藪のほうにバイクを倒してしまった。もう疲労困憊である。しがみついたバイクの傾きがそのまま転倒になってしまう体たらくだ。体力がなくなっていることをつくづく感じた。
こうして何回かの試行錯誤で溝のない道に出た時はほっとして、改めて腰と草でこすってしまった目が痛くなり始めた。
一人で山を走るとなんでこうなるのかといえば、一人だとなぜか「行けるんじゃないか?」と思ってしまう癖があるのだ。本当は一人だからこそ危険は回避するのが上策なのになぜか一人だと冒険したくなってしまうのだ。しかし今回でかなり自信を失ったようである。

浅間神社の下りるともう夕暮れが迫ってきて、人々が火祭りの支度をしている。それを横目で見ながらもう歩く元気はないなとあきらめてカフェに入った。
暗くなってからも渋滞の列が途切れない。赤いテールランプの点滅の中をバイクで縫うように進んでいくともう眼が眩むようだ。談合坂でベンチに横になりしばらくは眠ってしまった。10時を過ぎてそろそろ渋滞が緩んだかといえばまだまだ赤い光の中を進むしかなかった。今日は夏休みの最後の日曜日だったのだ。
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2012/2/27

人はなぜ道を歩いてはいけないのだろう。
いや言い換えると、人はなぜ道の真ん中を歩けないのだろうか。フツーに暮らしている限り人は一生涯広い道の真ん中を歩けないのである。いつもこんな疑問を抱いて道を歩いている。
そこは車が占有している。人はそれを車道といっている。人は車道に入れないが車は時として歩道に入っている。道は車が使うところなのだ。だから人は健気にどんな道でも隅っこを歩く習性になってしまった。
不思議なことである。
広い道の真ん中を歩いていたりすれば危険じゃないか。と人は言う。確かに危険だ。車にあたってその人は大怪我をしてしまうだろう。だが危険なのはその人なのだろうか。危険の出所はその人なんだろうか。モチロン危険なのは人ではなく車である。
人が道の真ん中を歩いていればそういう風に危険だ。それだから人は端っこを歩かねばならないのだ。危険は車のほうだがそれを事前に回避するのは人がすることなのだ。車は危険の出所だが50キロのスピードで走ってよろしい。しかし人は危険の受け所だがむやみに道の真ん中を歩いてはいけないのだ。そうしていると車の人から「アブねえじゃねーか」と声をかけられる始末である。なにか危ないのが歩いている人のようである。ほんとうは車が危ない原因なのに。そうすると人は、アッすいませんとか言うのだろう。
それが交通ルールというものらしい。
一度でいいから道の真ん中を、いや真ん中でなくともふだん眺めるだけで決して歩く機会のないせいぜい端の車線ぐらいは歩いてみたいと思う。狭い歩道を体を横にしてすれ違うのではなくまともに歩いていても人とすれ違うことのできるぐらいの所を歩きたい。
夜ともなると車は少なくなる。その道を俯瞰すると広い道の車道は誰も使わずただ人だけが狭い歩道を歩いている様子はまさにゴキブリが部屋の端だけをこそこそと歩いている図に似ている。人はゴキブリのようだ。道の真ん中を行きたいのなら車という入れ物に入ることだ。そうするだけで人は道の真ん中を行くことができる。
もしくは時おりアルコールという薬物を使ってその思いを遂げてしまう人がいる。最近はそういう手を使う人も少なくなったが、そうすればその人は交通ルールを守らない人ではなくただの「酔っ払い」という人になって決して人格を疑われることはない。この薬は便利なものでこれを飲(や)っていると変人扱いされない。が、素面で車道の真ん中を歩いていたら確実に変人か人格を疑われる人になってしまう。
ぼくはこの薬をやらないのでどうしても道の真ん中を歩こうとすれば、そう、デモという手を借りるしかないのだ。これはいい。一人でとはいかないが徒党を組めばこんなことができるのだ。非常識とか規則を守らない人とかいう誹謗を受けずに堂々と車道を歩ける。それどころか時々拍手なんかもらったりもする。こんないいことはない。車道を歩ける都合のいい機会である。昔は道のど真ん中を歩けたこともあったがその時は棒みたいなものを持っていたし、その夜は家で床に入ることができないかもしれないという感じだった。車以外の危険があったのだ。
ところで、311が近づくにつれモリモリと道の真ん中を歩きたいという欲求が強くなってきた。変人になるか、酒をやるか、デモをするか、どうしようか。
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