その番組はとても象徴的なことを言っていた。
キツネを50年間交配実験したロシアの研究者(女性)が、たったそれだけの短い期間でキツネの形質が変わる、つまり「進化」することがとても興味深いと言うのだ。
今までキツネが家畜化されたことはない。それはキツネがとても用心深い習性を持っているからだ。それならば例えば狼を犬に「進化」させた要因とはなんだろうか、ということになるだろう。
そして彼女はキツネを人に慣らすために実験を繰りかえしている。警戒心の少ない個体を掛け合わせているのだ。しかしそれだけで「人に慣れる固体」がこれほどできあがることに驚いているという。今までの突然変異の理論では説明ができない。
それによると、キツネが人に慣れるためには、その中で起こっていることがあるという。それはキツネの中で子供の形質が保たれていることだという。
動物の子供はトラでさえ子供のうちは人になつく。それは動物の幼児期には種としてのアイデンティティがまだ芽生えていないからだ。しかしその「人慣れ」はそのうちに消えてしまい動物としての習性が現れてくる。
ところがあるキツネにはその幼児期の気質が消えずに成獣になるまで保ち続ける固体があるという。それがけっこう多いのだ。驚いた。人の手を舐めたり尻尾を振ったり腹を見せて寝転がってみたり、それはもう「犬」のようだ。
慣れるということは人(他者)の習慣に馴染むことである。またそれは他者への好奇心を持つことであり争わないことであり警戒心を発達させないことである。要するにそれを一口で言い表せば子供の形質を保つことなのだ。
つまり家畜化とは子供のままでおとなに成長させることでもある。
考えてみれば人間も実は、おとなにならない動物だと言われていた。それは身体に毛の生えない唯一の哺乳動物でもあったのだ。それを古人は子供の形質を残したまま発達してしまった哺乳類と表現した。
そして警戒心を解いて他者と交流し他文化を受け入れることも人の特徴なのだ。そうして人は「発展」してきた。
確かに子供の脳は開かれていてどんな異文化にも馴染めるようにできている。だからこそ数々の歴史上の「発見」はティーンエイジャーが担ってきた。子供の脳は「柔らかい」ともいわれる所以だ。
家畜化された動物は、そのように未発達のうちに人の習慣に同化できる「能力」があったということだ。原初の細胞はいくらでも変化が可能だということは今常識となりつつあるが、それと同じことが動物の一生にも起こっているのかもしれない。ひょとすると人間も自分自身を家畜化し合うことで他人と交流し他人と交わって文化を作り上げることができたのかもしれない。
しかし逆にいえばその「文化」の担い手は身を守るための能力を発達できなかったということでもある。
身を守る能力がない、とは実に奥の深い言葉であって、人は昔から身を守るべきか身を投げ出すべきかということの答えを得るために四苦八苦してきたふしがある。宗教といわれるものを作り上げてきたこともそのうちの一つだ。そして戦う道を選ぶこともその苦悩の表れなのである。
ということはつまり未発達こそが平和の鍵だと言えないだろうか。未発達を受け入れることが未来への道かもしれない。
「子供文化」の盛隆を誇るわが日本はその意味で、確かに「平和的な」国だし一方で家畜化しやすい国民だったのかもしれない。
今までそれは「無能力」の代名詞にされることが多かったが、何かその「子供化」された文化こそが平和の鍵を握るものかもしれないと、ぼくは柄にもなく思ったのである。「アキハバラ」をバカにはできないかもしれないと。

3