★ウイルスは自分を主張しない
しかし考えてみると、すごいことが地球上で起こっているのだ。誰が悪いとかこの犯人は誰かとか攻撃すべきところのない恐怖が我々を襲っている。まだこれに恐怖していない人もいるが、変えようと思っていたこの社会が、あっという間に変わってしまわざるを得ない事態が起こってしまった。恐怖という言葉が似つかわしくないかもしれないけど、人の生活、人生の考え方を根本から変える何かが起こってしまったのだ。
今自由を叫ぶ人も変革を言う人も幸福を追求するという言葉はもちろんのこと、愛するなんてことをつぶやく人も、あっという間にいなくなった。ウイルスは自分を主張しない。そんなことが今の事態には無効であり言葉が何かをもたらすこともないとわかってしまったのだ。とにもかくにもこのウイルスといかに共存していくかという答えしかもう残っていないからだ。
言葉では撲滅とかウイルス戦争に勝つとは言うが実のところこのウイルスを無くすことも殺すこともできない。ただ人の周りで静かにしておいてほしいだけの保証を得たいのだ。
全世界の国に同じことが起こっているのである。まさにスーパーグローバルにコロナが広がったのである。今まで未知の死のウイルスがこれだけ全世界にまき散らされたことはない(多分)。まさに歴史的な大事件なわけだ。ぼくは初めて未知との遭遇の怖さを知ったわけ。
今その渦中にいる我々はまだそれに気づいていない、太陽系にいるぼくが太陽系の姿を見れないごとし。
そしてこのエイリアンたちとの遭遇は今に始まったことじゃない。
『からゆきさん』 1973年今村プロ
カラー/スタンダード/16mm/75分
監督=今村昌平
出演:善道菊代
インタビュードキュメンタリである。かつて騙されて「からゆきさん」とならざるを得なかった、今は老人になった女性の生涯の一こまをインタビューで訊く。訊き手は今村昌平、この老女は18歳の時に海を渡った善導キクヨという人だ。
映画や活字ではわからないその人の実像に迫った貴重な映像である。ふつうはなかなか聴くことのできないからゆきさんの実生活やその後の身の振り方を実に巧みにきき出す技量も今村ならでは。
前にこの監督の『マダムおんぼろの生活』という横田基地の娼婦の母娘のインタビュードキュメントを思い出した。この映画も面白かった。不幸を強いられた女性にマイクを向けるのがうまい人だ。躊躇が無い、これも才能である。
この映画の後半はキクヨさんが聞き役となって、幾人かの他の「彼女たち」を訪ねていく。
まるでその短い間にキクヨさんは見事な尋ね手に変じた、それだからこそインタビューされる女性たちもじぶんの今の思いと過去をさらけだす。寝たきりの老女が、一言「だまされた・・」とつぶやくのを、マイクはとらえていた。
その見事な今村との連携ぶりもすごいなと感じた。いや、というよりも気丈でありしかも繊細な心使いが、とても18歳からずっと異国で暮らした人とは思えないほど、今の日本人らしいたたずまいなのである。そうした日本人「らしさ」を一体どうして持ち続けられたのだろうか。
彼女に過去のことをどう感じているかという質問に対しても、キクヨさんはまるで求道者のように、全て諦めましたとだけ答え、その微笑は変わらないのだ。
絶望に鍛えられて作り上げた精神の透明さなのだろうか。
映画の内容は別にして、この人の在り方に惹かれるものを感じた。
ふとぼくはジャングルから出てきた小野田さんを思ってみた。あの人も日本人をそのまま持ち続けていた人だったから。

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