『風の中の子供』 昭和12年(1937年)松竹
清水宏監督
河村黎吉、吉川満子、葉山正夫、爆弾小僧
子供を主題にした映画というのはこの時代たくさん作られていたが、今思うと優しさに満ちているということに改めて気づかされる。日本では昔から子供を温かい目で見るという機運が旺盛だったように思う。もちろんそれだけ子供という存在は社会から疎外されたものだったことも事実である。当然それゆえにこういう映画がたくさん撮られたのである。
また、小津安二郎の『生まれてはきたけれど』『お早う』なども男の子が二人いる家庭を描いていたし、どちらかといえばまだ女の子は蚊帳の外だったこともうかがわれる。この作品もお父さんと子供の強い絆であり、やはりまだ女の子共には目が向いてなかったように思う。
それはさておいてもこの監督は子供の世界というものをじわじわとぼくらに伝える術が大変うまい。子どもを使って観客を泣かせるようなことをしないで、子供の世界というものが大人の世界とは別にあるのだということを強く打ち出していく。子どもは決して大人の添え物じゃないのだと。その世界に大人とは別の政治があり論理があるのだと、そう言っているのである。
蛇足だが、この映画の主役である弟役は爆弾小僧という芸名である。このころの映画はなぜかこういった何々小僧という芸名が見られるのだがなぜそんな芸名が流行ったのかは知らない。この映画に出ているサーカス団の少年役がやはり突貫小僧という名前だし、準主役の金太役もアメリカ小僧なんて名前である。
本名を出さないということは、映画の中では子供の個性を実に明快に描き出しているにもかかわらず、現実の世界ではまだ子供が個性ある人間として扱われていなかった証左でもある。皮肉なことだ。
ぼくの生まれる十年前の映画である。
そう言えば、『しいのみ学園』(1955年)というのも清水宏監督だった。ぼくはこれを全く評価できなかったが、それはびっこを引いているだけで何でこんなに子供が「隔離保護」されなければならないのかと思ったからだ。時代の要請だったのだろうか。
清水の作品にはどんなにいじめられようがどこか図太いものを持っている子供たちが登場するが、それが、「ある世界」を雄弁に語っているからこそ見るに値する映画となっているのだ。記憶では『しいのみ学園』にはそういうものがなかったように思う。とても清水宏の映画とは思われないような出来だった。
因みにぼくは『しいのみ学園』を子供時代に見て大いに感動して泣いた覚えがある。
子供時代に感動して、大人になって見るとまやかしがばれてしまうような映画を子供だましの映画という。その『しいのみ学園』を見て真っ先に思い出したのが『つづり方兄妹』(久松静児)である。これも子供時代に見たが『しいのみ』と同じように感動したものだった。
しかし今改めてみても『つづり方』はまったく見事な映画で、それは子供の優しさがスクリーンからにじみ出てくるような朱玉の作品だったのだ。子どもたちにカメラの前でとってつけたような演技をさせないことがこの監督の真骨頂のようである。
これは「聖家族」だと思った。とにかく慈愛に満ちた子供たちの群像である。
『つづり方兄妹』1958年日本
久松青児監督
織田政雄、望月優子、香川京子、津島恵子、森繁久彌、仁木てるみ、頭師孝雄
これできょうだいと読む。実話である。
ふうちゃんといわれる文雄役は頭師孝雄。とてつもない貧乏物語なのだが、見ていてまったく嫌味もなければ作為も感じない。それは言ってみれば、どこか気持ちをすっきりとさせる映画だったのだ。これもぼくは子供の時代に見ている映画だ。当時はなにかとても悲しかったし貧乏のつらさを感じたものだった。ところが今見ると辛さよりも潔さに深く感動してしまったのだ。見終わってこれは「聖家族」物語じゃないかと思ったぐらいだ。すべての人が慈愛に満ちているのだ。
これが実話でなかったら、できすぎていて興ざめになるほどのドラマである。次男のふうちゃんを演ずる子供がすばらしい味を出していることと、みつくちの妹の存在感この二つだけでも名作になりえる。望月優子と森繁もしっかりと脇を固めている。
忘れてはいけない、ふうちゃんにいつもくっついて来る女の子・二木てるみが生きている。ふうちゃんがぼくは何か月も風呂に入ってないよ、というと、二木が私は毎日よとまったく屈託なく言って二人で駆けていく場面が感動的だった。子供にとってそんなことはどうでもいいことなのだ。
『しいのみ学園』『にあんちゃん』『次郎物語』『路傍の石』『女中っ子』『警察日記』とぼくは少年のころなんと貧乏物語ばかりを見てきたのだろうか。

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