夜走るのを怠けているとあっという間に一二週間はたってしまう。
最近は日常的に膝の疼くような痛みがあり、そろそろ来たなと思うようになった。それでしかしどうするかといえばやはり何もしないのである。もうちょっと成り行きを見ようと。
先は読めているのだ。成り行きを見ていても痛みがなくなりはしないことはわかっているのだ。そしていずれは膝がまっすぐに伸びなくなってびっこを引くようにして歩くことだろう。たぶんそれでもぼくはあの時にこうすればよかったなどとは思うまい。今までそのように悔やんだことはない。痛みを引きずって我慢しているときもまた「楽しい」のだった。ことばは悪いが痩せ我慢というのは妙に自分を奮い立たせるものなのである。
先を読んで今を考えることはしない。今は今だけのことなのだ。今我慢ができるぐらいならば我慢しておくのだ。人は出来ないことは望まないのである。死んだ子の年を数えるようなことはしないほうがいいのだ。終わったことは終わったのだ。ただそのことを決して忘れてはいけない、といつも思うのである。
友人と話をすることは良い。過去のことをあれこれと確認し自分の肝に銘じておくことは必要なことだ。だからぼくは友人たちとしゃべるのが好きなのだ。それは過去の記憶を確固としたものにし、日々の喧騒に流されて忘れてしまうことを防ぐのだ。なんとしても忘れることだけはしたくないのだ。あの時はこうだったその時代はこうだったという話をすることは大事なことである。今の世間話をするよりもずっといい。
ひとの価値はその人の過去にある。その人がどのような過去を経験してきたかそしてどんな精神がその時にあったのか、ということはひるがえって今を考える縁(よすが)となるのだ。過去のない思考には何の意味もない。考えるということは過去をどのように「今」考えているかということの連なりでできている。思考とはそういうものだ。
だから過去の感覚を忘れないように、ぼくは友人と話す。
というわけで今日の夜は軽いジョギングをした。いやに風が強くなっていて歩くだけじゃ寒いぐらいだった。
軽く走っていると膝が温かくなるのがわかる。関節を動かせば熱を発するという当たり前のことに今更感心したりする。走っている時は自分の身体と対話しているようなものなのである。それはただ身体だけではなく自分の脳とも会話する。だから走っているとなぜかいろいろなことが思い出されアイデアも浮かんでくる。歩くと頭がよくなるといわれる所以だ。文筆家が疲れると歩いて構想を練るというのはまったく道理なのである。
走る行為は孤独である。いや孤独になりたくて走るのかもしれない。そうすると自分の中で会話が始まるのだ。ああだこうだと言っている。自分が一人ではなくなるのだ。それでふだん見つけられなかった自分が顔を出すのだ。もう一人の自分との会話である。しかしそれも次第にタネが尽きる。自分のキャパを超えた会話はできないからだ。そうすると他人と話をしたくなる。自分だけの会話に足りなかったものを求めるのだ。それで友人と話すことが欲求される。
だから孤独を好む人間は一方で会話好きということになるのだ。そうやって知らない世界に入るのだ。自分で果たされなかった世界の思考を知りたいのである。
テレビの特集もので石牟礼道子が話をしていた。「水俣」が過去のことになりかかっている。今彼女の話を聞くとぼくの知らない過去がたくさん出てくる。もちろん知っている過去もたくさんある。しかし何を知っているのだろうか。石牟礼はその「知っている」ということをもう一度われわれに問うのだ。彼女が問うのではなく彼女の言葉が問うのだ。その言葉は『苦界浄土』の言葉である。それを今聞くことがその頃と違った意味を伝えるのだ。ぼくらが知っているという以上のことを伝えるのである。過去の言葉が今のぼくらを変えるのである。いや、当時とは変わってしまったぼくらが今、同じ言葉を違う意味として聴くのかもしれない。同じ言葉が一人の人間の中で生きもののように動くのである。
「石牟礼道子の世界」と題されたこの番組、こういう番組をテレビの画面で複数の人間と見る気にはなれない。というよりもそうしてはいけない。これは一人でじっと見るべき番組だ。そうして言葉の一つ一つを自分の中で反芻して見るべきもので、これを通りいっぺんに流して見てはいけない。これをいわゆる家族団欒の中で見るべきではない。集団の中で見れば伝わるものがまったく違うのだ。孤独の中で見なければいけない。そうすると大事なことがいくらでも見つけ出せるのである。
彼女が東京に来て放った言葉。「地面が生き埋めにされている」。
石牟礼道子、ただいまパーキンソン病で車椅子の生活である。

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