『花筐』HANAGATAMI 2017年日本
監督、脚本、編集:大林宣彦
原作:檀一雄
脚本:大林宣彦 桂千穂
これが面白くて、何だかネジ式映画じゃんかと思ったり、黒沢明映画と感じたり、いや、やはり大林宣彦のたとえば「時をかける少女」のようだったり、と思いながら、も一つこれは例えば今の青年たちに送る遺言だともいえるし、かつての戦争に対する悔しさを直に映像にしてやったぜ、という感じにも受け取れる。同時に山中貞雄に捧げるとはっきりセリフとして言ってしまったり、戦争へ駆り出された青年たち、残った青年たちもが皆死んでいくというあからさまな表現もある。実写アニメ風の映像もなんだかアバンギャルド映画に似て、ぼくらの世代を感じさせる。
死を前にして彼大林監督は今までのファンタジーの手法を駆使して、死のイメージを過去の戦争に対する、うしろむきのファンタジーとして描いてしまったのだ。
たしかに彼の言う通りがんを得て覚悟が定まった映画なのである。
そこにあらわされる世界のとらえ方は紛れもなくぼくたちの文化である。彼が、ちょっと下の青年だったぼくらに残した文化である。
だから面白くて時間を忘れて観切ってしまったのである、2時間50分をである、信じられない!
映画は1時間半にまとめろ!と言っているぼくとしては、驚きである。
そして、ぼくはこれを見た後に、初めて大林亘彦監督が一昨日亡くなったことを知った。何てことだ!一昨日までこの人は生きていて今はもういないのだと思うと殊更に、彼の遺書がわりの仕事を今見たことに、ある意味を見出したくなった。享年82歳。
★コロナ事情は相変わらず危機を維持し続けている。
このあと人は人を監視する傾向が強まると思う。真っ先に国が国民を監視しようとしている。ウイルス感染には監視が必要だ、と。
このように全く逆のことが進行しようとしている。どういうことかと言えば、本来、国民が政府を監視することが民主主義において必要なことだったはずなのに、その逆現象が起きようとしている。ウイルスはそれを後押ししているように見える。ウイルスが民主主義を放逐しようとしているかのように見えるのだ、あたかも国民を監視せよそれが必要だ、と言っているようだ。
さしあたっては今の危機脱出のためにそれは必要かもしれない、とだれもが感じている。
そして人同士がたむろしてはいけない、と?このウイルスはぼくらにそう言わせている。そして感染ルートを突き止めるためには行動履歴を明らかにしなければならない。と。ぼくらは今叫んでいる。
何とこれじゃぼくらは「自由や民主主義」の反対物じゃないかっ!
だが、地球上、ぼくらの大大先達であるはずのウイルスが、人が自由を叫ぶ地に舞い降りたのだ。まるで映画『地球が静止する日』なのである。かつて無いことが今起こっている。
あの映画の宇宙人はまるでウイルスのようだった。ウイルスと言うまでもなく微生物全般だ。その「彼」が地球を救いに来たのだ。
それを聞いて、人間たちは一瞬喜んだ。でも彼は不思議な顔をしている、人間に絶望した「彼」は地球を救いたいと言った。人間を滅びさせて地球を救いに来たのにさ、何で喜ぶの?と。
それなのに、動くな、集まるな、行動をあからさまにせよ、まさにぼくがそう言い続けているこの頃。そのあとに来るものがとても恐ろしい。

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