純な大人の女、というのは映画になりにくいのだと気づいたのだ。純愛などというのはいくらでもある、けど純な女の映画ってにわかに思いつかないのだ。純な男の話ならいくらでも映画になっている。寅さん?!とかさ。
恋愛にかかわらない女の純、というシチュエイションを描くとすればどうする!という答えの一つがこの日見た作品であった。
体温36.7度。毎日大体このあたりを上下している。あんこでも作ろうと思い、水につけておいた小豆を火にかけて大きなポットに入れ、さらに熱湯をすれすれまで入れてふたをする。
こうして翌朝、鍋に入れるとふっくらしているので、塩、砂糖だけを入れて少し煮込むだけであんこはできる。
『愛を読む人』吹The Reader 2008年アメリカ、ドイツ
監督:スティーブン・ダルドリー
脚本:デヴィッド・ヘアー
原作:ベルンハルト・シュリンク『朗読者』
音楽:ニコ・マーリー
撮影:クリス・メンゲス
編集:クレア・シンプソン
「純」な女の物語。
またまたイイカゲンな邦題のために、いい映画を見落とすところだった!愛を読む人って何?意味不明だし、こんなタイトルで人を呼ぼうとする根性に相変わらずの感あり。ホントにやめてほしい。考えつかないなら、原題を直訳したタイトルにして欲しい。
ミステリアスなドラマである。序章で15歳の少年がそれこそ自分の年ほど離れた女性に惹かれていくさまは、ちょっとした謎かけであった。どう見てもこれがすんなりと続くはずはないと思いつつ、だんだんその女性が何かいわくありげな様子になっていくのだ。
少年と女はただ肉体の喜びの時だけが、そして少年が本を朗読するときだけが楽しい時間となる。これは異常な展開だ。観客にかけたサイコミステリーなのである。そして彼女が突然いなくなってしまう。
アパートに訪れた少年は呆然とする。
そして画面は一足飛びに転換する。彼が娘と汽車に乗っている車内の風景を映し出す。
今までの少年の話は若い時の彼の回想だったのである。そして回想に従って彼と不思議な女性ハンナとの関係が明らかにされる。
少年の彼が8年後に大学にいたころすでにハンナとの付き合いは途絶えていた。
授業の中で実裁判の見学があった。その被告として出廷していたのがハンナだったのである。実は、彼女はナチスの親衛隊の一員だったのである。この場面は非常に辛辣なのだが、この裁判の中でハンナの不器用で正直、思いのままを言葉にしてしまうという人格に、彼は幼い日々の不思議な彼女の行動を納得するのだった。
何よりも、なぜいつも本を朗読してくれとせがんだのか、その理由が、彼女が文盲だということを気付かされた次の所作だった。彼女は無実の証明になるはずの署名を拒否したのである。自分の身を守るすべを知らないかのようなハンナ。判決は無期懲役だった。
彼は、15歳の自分がしょう紅熱で道路わきに倒れた時に、愛想もなく彼を助けてくれた彼女との初めての出会いのことを思い出して涙するのだった。
彼女は刑務所に入り、数年がたち、彼が久しぶりに面会に行ったときは、もうすでに生き生きとした彼女はいなかった、すっかり老いてしまったのだ。このシーンはやるせない名シーンである。そして20年後に釈放の報を聞いたが、身請け引き取り人となった彼の到着を待たずにハンナは獄中で自殺してしまう。
そして現在娘を連れて彼が行こうとしていた場所は、ほかならぬハンナの墓所であった。そして彼は初めて自分の体験を娘に聞かすのだった、ぼくが15歳だった頃…と。
それにしてもこういう「純粋」な女性を、もしくは新しい独特のキャラクターを持つハンナのような女性を、リアルに描き出す演出は素晴らしいと思う。
彼はハンナが獄中にいるときに、たくさんの本を朗読しそれを録音して再生機と一緒に差し入れした。
手紙がたまに送られてくる。たった一行だけのつたない文字で書かれた手紙に胸が痛くなるほど心打たれる。
必見映画である。
背景はドイツ国民の誰にとっても悲しく、辛い物語だ。こういう映画が今も作り続けられる国と、そうでない国の違いをつくづくと考えてしまう映画だ。
残念ながら吹替だったが、声優はとてもよかったと思う。

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