ぼくはこれからの4年間、日本サッカーは低迷すると感じていたが、なんだかW杯で景気がついて、日本はこれからいいんじゃない?という風に世間は変わってきている。そうであればぼくも嬉しいが本当にそうだろうか。
期待はしているし希望はいつも持ってはいるのだが、どうにもその空気が感じられないのだ。その一つの原因は、リーダー素材がいない。長谷部の後にはもっと有無を言わせぬ人物が欲しいのだ。若手でその資質があるのは誰だろうか、と考えてしまうのだ。
それというのも、若手の生きのいいプレイヤーたちは個性が強いというかわがままなところがありそうである。それは良い素質かもしれないが、だからこそそのチームをまとめるリーダーは彼らをまとめられるだけの力を持っていなければならない。とぼくは堂安、中島、久保、森岡、小林などを思い浮かべているのである。彼らの個性の強さは並ではない。
しかし何よりも今回のW杯、果たしてあれでよかったのだろうか。終ったあとで、日本サッカーの未来は明るいってな雰囲気づくりだけが先行してしまって、あのドタバタ劇の総括ができていないじゃないか、というのが本音なのだ。
いったいサッカー協会もテレビの解説者たちも、W杯前の冷め切った事態とそのあとの浮ッついた狂乱の差異をどう受け止めているか、あの時に何がありそのあとに日本サッカーに何が起こったのか、という議論がまったくなされていない。
その挙句に、はやり日本人監督が良いのだ、なんて根拠の薄い確信めいたものをぶち上げていいのだろうか。などなどぼくには不安ばかりが残る。マジメに議論しろよって感じなのだ。
と、閑話休題
熱中症は突然くる
二回目のやつは、もうそうなったときにすぐ、ああこれが熱中症なのかとすぐ理解したほど判りやすいものだった。
オフロードバイクで利根川の河川敷の葦のやぶの中を走っていた時だ。当時は河川敷といえば背丈より高い葦が、迷路のように入り組んだスキマを作って、繁茂していたものだ。この中に入ると周りからは見えず、ちょっとした秘密基地といった所だった。
この迷路を走っては転び、転んではまた走る、ということを繰り返していた。真昼間で太陽は頭の上から容赦なく照りつけ、ヘルメットの中はもう熱の逃げどころがないありさまだ。
藪に入り込んでしまい出るに出られず、Uターンしようとして転倒する。バイクを引き上げようとすると葦に引っかかってなかなかできない。と、嫌な寒気がして、こんな暑いのにおかしいと思う間もなく、クラっとして座り込んでしまった。
こりゃおかしいと思い、藪を出ようとするが、足が上がらないのである。
と、身体がいやに熱を持っていることに気付くが身動きができないのだ。同時に身体に着いているものが苦しくて、ヘルメットはもちろん、ズボンもシャツもすべて脱ぎ捨てた。葦の枝を曲げて日陰を作り横になって、飲み残しの水をTシャツにかけてそれを身体に乗せても、大した効果はなくただじっとしていたのだ。
筋肉の力が抜けてしまうと、声を出すにも腹筋が働かず、むこうに川の流れが見えていてもそこまで歩けないという始末だ。参ったな、とぼくはまだそれほど危険を感じずに、とにかくじっと待つことにした。葦のやぶの中でパンツ一丁で寝ころんでいたわけである。
そのままでいること一時間を過ぎた!なんと長いのかというよりも何だかあっという間に過ぎたとも思える、時間の観念が消えていた。飛んでいる鳥が無性に愛しかった。
ただ一人、人家に遠くはない所だというのにこの孤独感は何?
土手を行く人影もなく、真夏の昼の河川敷とはこういうものなのであった。ぼくは空を見上げて、これが日射病(当時はそう名付けていた)なのかと、変な納得をした。ポイントは暑いのに寒気がするという時がヤバい。
こののち数十分して、急に体が動き出したのである。この時もほぼ一時間半だ。
その後何をしたのか、覚えていないのが不思議だ。とにかく家に帰ったのだから、ぼくは服を着てバイクを起こしそれに乗って道路に出たのだろう。
これが二度目の体験だった。(つづく)

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