漱石の『三四郎』を読んでから、ある人が三四郎池に行ってみるとびっくりしたその深い森に、と言うのを聞いて、ぼくも行きたくなった。
安田講堂の攻防戦からこのかた、ぼくはあそこに足を踏み入れるのがなんだか気が進まず、本郷通りを通っても東大の門をくぐることはなかった。些細なことが心の中にとげのように刺さっていたのだ。こういう誰にでもありそうなことを解き放ってくれるのは、事情を知らない人のちょっとした言葉なのである。そしていったん鍵が外れたら今度は無性にそこに行きたくなった。
だから本当は三四郎池というのも一つの言い訳であって、実は安田講堂を見たかったのだ。
自転車で本郷通りを避けて一つ東寄りの道を行くと、前のバスが「東大構内行き」のバスだったのでそれについて行って竜岡門から構内に入った。実は東大構内にバスの停留所があるとは知らなかったのである。
ほぼこのあたりだろうと左に折れるとやはりそこが三四郎池の入り口だった。他にも入り口はたくさんあるが、そこに自転車を止めて石段を歩いて降りた。子供たちがどろんとした水に棲んでいるコイを釣っていた。そうすることを誰も咎めないということがぼくの気分を楽にした。誰だってここに来ていいんだよ、と子供たちの遊びが言っていた。上りの石段は続いている。もうすっかり角が丸く真ん中がくぼんでしまった石段の石が、長い年月にそこを通った人間が夥しくいたことを示していた。ひょっとすると漱石もこの石段を、と思いながらその丸いくぼみに足をかけて歩いた。てっぺんに着くと大きな椎の木があってその横に山上会館というレンガ張りの建物があり、その向こうに網に囲まれたグラウンドがあった。今そこではサッカーの紅白戦のような試合が行われていて、しばらくぼくはその試合を楽しんだ。
ぐるりと三四郎池の周りの高台の森をまわって池に降り、自転車のある所に戻った。そこから三四郎が眺めたという建物を遠くに見て、こんな風景をあの小説があらわしていたのだろうかと思ってみた。ちょうどこずえの先に明るい日差しがあって、ぼくはそこをゆっくり上がっていった。
ところがその右側がもう安田講堂だったのでちょっとびっくりした。講堂の塔の側面に出たのだ。この周りのたたずまいはこんな風になっていたのかと初めて知った。あの頃は塔のまわりは真っ暗で見えるのは人とはためいている旗ばかりだった。
前にせり出した玄関口の有様に愕然とする。あの当時そのままというかあれ以来ひどく傷めつけられたボロボロになった砂岩でできた石積みがそのままなのだ。改修跡は講堂本体だけで入り口はそのまま残されていた。近寄って手を当てるとあちこちにセメントで埋めたあとがあるが朽ち始まった石が脆くも日々刻々と削られているように見えた。だがこうして残されたことをぼくは有り難いことと思った。面影がすっかり無くなってしまえば、何の感慨もなかったかもしれない。
しばらく前の芝生に寝転んであの時を思ってみた。そして、この塔を取り囲んだ奴らが何を見たのか、ぼくは初めてこの塔のまわりを一周してみる。ああこんな光景だったのかと塔のてっぺんをそこから窺ってみた。
ぼくは自転車に乗って裏の弥生門から外に出た。そこには今日の目当ての一つの弥生美術館があって、今やっている「長沢節展」を見に入ったが、もう終わっていて、仕方がなく併設された喫茶店に入って休んだ。口を尖らせた痩せた人物、これが長沢節の人物像で、ちょっとエゴン・シーレを思い出させるスケッチである。ぼくは節の方が好きだけど。
というわけで初めて東大の中を散策したというわけである。
陽が落ちてきてぼくは神保町の沢口書店に寄った。この古本屋は二回がカフェにもなっていてコーヒーを飲みながら本を探すことのできる、いまどき珍しい本屋だ。店内の飲食はご遠慮願います、などと言うわけでもなく、それどころか店内に椅子とテーブルが置いてあるという大胆な発想なのである。客を信頼していることがわかってまことに居心地が良いのである。しかし、大丈夫かい?とこちらが心配してしまう。沢口書店バンザイ、何しろ安いのだ。以前買ってしまった本を恨めしく思う事しばしば。ブックオフなど足元にも及ばないと言っておく。
『日本映画ぼくの300本』双葉十三郎著(200円)、『漱石日記』(200円)、『日本映画はアメリカでどう観られてきたか』北野圭介著(200円)、『道端植物園』大場秀章著(200円)、『私の映画鑑賞法』武田泰淳著(100円)、こんな具合。

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