『人間模様』 1949年新東宝
監督:市川崑
脚本:山下與志一:和田夏十
原作:丹羽文雄
製作:児井英生
撮影:小原譲治
上原謙:大輪絹彦 (女学校長の御曹司)
山口淑子:吉野吟子 (わけアリ美人秘書。まだ「李香蘭」を引きずっている)
月丘千秋:新井砂丘子 (活動的な現代女性。行き過ぎだが)
青山五郎:小松原厚 (人をモノ扱いだが、嫌みなし)
江見俊太郎:木下正朔 (怪しげな若社長で、最期は警察に踏み込まれて自殺)
東山千栄子:大輪藤代 (貫禄十分、『東京物語』の母役のしどけなさの前身は、こういう強い女役が多かった)
斎藤達雄:新井寛政 (相変わらずいつも困った風の父親役だ)
現代的な若者たちに交交じって、ただ一人だけぼんやりとした男がいる。だが彼のぼんやりは人間離れしたやさしさなのである。現代女の二人はこの行き過ぎたやさしさと何を考えているのかわからない行動ぶりにイラつきながらも、なぜか彼に惹かれる。彼は分け隔てなく女性に親切にするが、彼女たちはいったいどっちなの!という判断力しか持てないのだ。彼女ばかりではない、男たちも含むところのないやさしさなんて信じてはいない。
こんな男の友人に、バリバリと会社を切りもって女性の付き合いもハキハキと割り切っている、やり手の若社長がいる。
この男二人と女二人が二転三転してさてどちらがどっちの相手になるかという設定の恋愛ストーリーだ。
形としてはこれ以上ないほど定型的なシチュエイションだ。
だがこちらのそんな期待には全く応えようとしないのが、和田夏十の脚本である。うまい具合に物語は複雑になっていき、さあ、どこかで落としどころを作れば、気の利いた恋愛ゲーム映画になるのだ。だが、そうはしないよお立合い。この和田夏十という脚本家はそういう世間的な落しを嫌うのだ。
そして何とはなく、ことは思うにまかせず、収まらずに終章に向かう。その破格はびっくりするほどの勇気のなせる業である。
市川監督がデビューして三作目、ここから和田夏十と二人三脚の市川崑映画の冒険が始まるのだ。
女学校校長(東山千栄子)の息子である上原謙は、友人がキャバレーに秘書と行ったかどで警察に連行され(なんという警察国家!)、その身元引受人として出頭した。友人の青年社長は青山五郎で、秘書は山口淑子である。だが青山は世話になった上原には目もくれずにさっさとタクシーで行ってしまった。残された上原も全く意に介せずに見送る。こんなおかしな関係で始まる。
青山は何でもキリキリとした社長業で人を人とも思わぬやり手だが、秘書の山口は身元を隠した満州からの引揚者だ。つまり二人はこの社会で肩ひじ張って生きている。それに引き換え、お坊ちゃん息子の上原はヌボーっとしたお人好しでただ優しさだけが取り柄の男である。もうすでに上原謙のキャラが立っている配役だ。かれはこういう役柄がなんと多いことか。
屈託のない彼は山口が絵が好きと聞いてアパートに押しかけて絵をプレゼントしたり、盲腸の手術で寝込んだ山口を徹夜で看病したりするので、女のほうはそれを好意以上に感じてしまう。
いっぽう上原の家には許婚同様の女性(月丘千秋)がいる。彼女は上昇志向のない上原にいら立ちを持ちながらもなんとか自分のほうに向かせようとするが、彼が美人秘書の看病で家を空けたりするので何とも妬けて仕方ない。それで男っぽい若手社長青山に惹かれて秘書を志願するが、断られる。彼女はそのあとに家出同然にしていかがわしい会社の秘書になり果てる。
このような展開の中で、上原に好意をいだく女性二人が、あまり乗り気ではない男に近寄っていくという意外な展開をする。数あるメロドラマの落としどころとは一風変わったプロットなのである。そして山口は結局社長と結婚し、許婚の月丘は務めていた会社社長にレイプされて姿を消してしまう。
優男の上原が当然愛を勝ち取るはずと思っている観客は見事に裏切られてしまうのだ。さんざんドキドキさせて終わりがこれかよと思えるほどまだ粗削りな脚本だが、この一作から和田夏十のスタイルはすでに見えている。
このあと彼女の脚本は冴えわたる方向へと進んでいくのである。

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