『極楽六花撰』 1951年東宝
監督:渡辺邦男
脚本:渡辺邦男松浦健郎
製作:加藤譲
撮影:渡辺孝
音楽:鈴木静一
榎本健一:直侍 古川ロッパ:河内山宗俊 渡辺篤:金子市之亟 森繁久彌:暗闇の丑松 入江たか子:三千歳 清川虹子:森田屋お清 柳家金語:楼松平公 如月寛多:北村大膳 榎本健一:閻魔大王(二役) 三條利喜江:上州屋おかみ 津山路子:お浪
エノケンたちのドタバタ喜劇である。入江たか子がこんなに下手な役者だなんてびっくり。どうしてだろう、喜劇はそんなに難しいのか。エノケンも元々あまりうまい役者じゃない。
この二人が主役なのだが、この映画を成立させているのはその脇の古川ロッパ、清川虹子、渡辺篤、森繁久彌、金語楼なのだ。これだけそろえばそこそこの喜劇はできるだろう。しかし役者が居すぎて散漫になった感あり。見ていて楽しいがそれまでという映画ではある。
言っておくがぼくは榎本健一という喜劇役者を買ってはいない。巷では喜劇王などと呼ぶ慣わしになっているが、何かの間違いじゃないか?
だが、たった一つ二つ観て、こう断じるのもいけないかと思ってむかしのエノケン主演の映画を何本か見ているが、ちっとも面白くない。他の脇のほうがずっと面白いのである。
なんだかそれで合点がいったことがある。それはこの手の、ギャグだけの役者は、ぼくの好みじゃないということだ。もちろんそれが喜劇の王道とも思えないし、さらにぼく好みじゃないということだ。
も一つ合点がいったのは、即席に笑いを強要する類を世間では良しとするらしいことも分かった。
だから落語が下手で、ついつまらぬ自分ごとをしゃべったら大いに受けたと勘違いした三平という落語家がいて、その当時の半分の客は気の毒だから笑ってあげようと追従笑いをしたのだがそれが受けたとマスコミが大宣伝するものだから、見ていない人までそれがオモシロイ芸と受け取った結果、目も当てられない喜劇伝説が出来上がってしまった。
今じゃお笑いの革命児みたいな文脈で三平を評価するようになっちまった。こういうちょっとした間違いが歴史を改ざんしてしまったのだ。
漫画界でもそういうことが起こった。「おそ松くん」を描いた赤塚不二夫だが、あの漫画は正直ちっとも面白くない。絵も下手だ。だからできることは子供だましの一発ギャグというへんてこりんな意味不明なセリフを吐かせることで漫画の升目を埋めていった。
そしたらこれがいやに受けた。もうあとは漫画から飛び出したキャラクターだけが独り歩きをし、学生たちがこれをせっせと複製したのだ。それにより面白くはない漫画本体まで評価の対象となる。本人は労せずして勝手にキャラが稼いだのだ。
つまりは赤塚は革命児でも何でもありはしない、ただの酒飲みだ。だが今じゃ彼はギャグマンガの王様のように言われている。
今一度エノケンの映画、三平の落語、赤塚の漫画をよーく見て御覧な。それがわかる。
ただ彼らは憎めない人物、という点で一致する。
この映画は、地獄に落ちた悪党たちが地獄の閻魔をだまして娑婆に帰るが、再度落ちた地獄でもまた大騒ぎをして地獄の秩序を乱すというので、またまた娑婆に送り返されるという話。
ちょっとお色気の入った喜劇である。ぼくとしては観ていて楽しかった。
もちろんタイトルは「六歌仙」のもじりである。

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