『藤十郎の恋』 1938年東宝
監督:山本嘉次郎
原作:菊池寛
脚色:三村伸太郎
製作主任:黒澤明
撮影:三浦光雄
音楽:菅原昭朗
箏:宮城道雄
長谷川一夫 藤十郎
入江たか子 お梶
藤原釜足 太夫(藤十郎)のお目付け役、役不足まだ若い
片岡右衛門 女形の役者
汐見洋
御橋公
滝沢修 近松門左衛門
芸道ものという範疇を越えている恋愛ドラマであり、秀逸である。
入江たか子の鬼気迫る悲しみの演技が凄い。言うことなし、彼女の最上の演技である。
藤十郎の恋、とは言ってもこれは実は偽りの恋である。
彼は近松の書き上げた人妻相手の恋芝居があまりにも難しくて演技の仕様に迷っていた。おりしも今や大人気の七三郎の芝居が向こう隣りで威勢を張っている。ここいちばん是が非でもこの芝居を成功に導かねばならぬところに立たされていたのだ。
芝居の稽古始の祝いの席でも彼はむっつりとうつむいたままであった。離れに戻って台本を読み返すが得心のいった演技が湧いてこない。いつしか本を顔にかぶせて寝込んでしまったのである。
夜半、部屋に入ってきた女が居眠りをしている藤十郎(長谷川一夫)に羽織をかぶせているところで彼は起きた。女中と思っていいたがその女はこの茶屋の女将・お梶(入江たか子)だった。彼女は幼馴染の美しい女ですでに人妻であったが、羽織をたたんでいる後姿をじっと見ているうちに、藤十郎はハタと閃くものがあった。
座りなおしてお梶に向かう。真顔で、以前から自分はお前さんに惚れていたがこの恋心をきいてはくれないかと切々と訴えたのである。お梶は凍り付いた。その言葉に背を向けてただただじっとなにかを耐えていたのである。そして向き直りその言葉は本心ですか?と苦しみの声で尋ねたのだった。
ここまでじっとお梶の姿を注視していた藤十郎は、その時得心がいったと見え、踵を返してその部屋を出て行ったしまったのだ。お梶はいったい何が起こったのかと呆然とするばかり。
芝居の前日、お披露目があって芝居のすべてを芝居関係者の前で演技する時が来た。
すでに藤十郎の今回の芝居は人づてに素晴らしい出来という評判が立っていた。その席にはお梶もいた。そして問題の恋のうち明けシーンになり、お梶はそこで披露されたセリフがすべて、お梶が藤十郎から聞かされた恋のうち明けと同じものだとわかり、いたたまれなくなって席を立つ。あれは偽りの打ち明け話だったのだ。
お梶は騙されていたのである。芝居の試験台にされたのである。それをまことと受けて、以前から憎からず思っていた藤十郎に対して恋の炎が燃え上がってしまったのだ。そのからくりを知ったお梶はついに恋と恨みのはざ間で、生きる屍のようになってしまう。
一方藤十郎の芝居の評判はうなぎ上りで、奈落では舞台回しの者がこれで七三郎を見返してやったと意気込んで降りていくと。そこにとんでもないものを見つけてしまったのだ。お梶が奈落の暗闇の中で首を吊っていたのである。
その時そこにいるすべての人がそのいきさつを悟った。藤十郎が実際に人妻を誘惑してこの芸を身に着けたことは噂にもなっていたからだ。しかし、その人妻がお梶とは!
藤十郎も自分のしたことの重大な結果に目のくらむ思いがした。がしかし、芝居の幕は上がろうとしている。取り巻きは彼の動揺を知ったうえで、いかんいかんと彼の目を見つめた。藤十郎は意を決して舞台に向かっていくのだった。
ドラマの作り上げ方の見事さ。お梶がすべてを知ったとき、過去がカットバックで頭を巡りまわるカメラのうまさ。藤十郎がすべてを懺悔して舞台に向かうときの表情。見事というしかない。これを他の誰ができるだろうか。
原作では、藤十郎のお梶を使って為した首実検を、冷たい目でじっと観察している藤十郎の罪と断罪しているのだが、さすがに映画では演者が長谷川一夫となればそうも行かないのか、冷たい男よりは芸に生きる男というほうに重心がかかっている。が、映画もかなり原作に忠実にプロットを受け継いでいて、ふだん甘い表情の長谷川がいつになく冷たいまなざしを持っていたことも確かである。
お梶が言い寄られた末に、意を決して「今おっしゃったことはみな本心でございましょうか」と向き直ったとたん、藤十郎のほうがうろたえてしまって、表情が硬くなり、そそくさとその場を去ってしまう。それは自分の想いよりずっと重いお梶の恋慕を肌で感じたとたん、現実に引きもどされて素の藤十郎に戻った瞬間のうろたえなのだ。そして自分の冒した罪がいかに深いか恐ろしくなったのである。ここが「悪人」長谷川一夫の唯一の場面だ。
この段を原作は、次のように表現している。
≪ 闇の中に取残されたお梶は、人間の女性が受けた最も皮肉な残酷な辱はずかしめを受けて、闇の中に石のように、突立っていた。
悪戯(いたずら)としては、命取りの悪戯であった。侮辱としては、この世に二つとはあるまじい侮辱であった。が、お梶は、藤十郎からこれ程の悪戯や侮辱を受くるいわれを、どうしても考え出せないのに苦しんだ。それと共に、この恐ろしい誘惑の為に、自分の操を捨てようとした――否、殆ほとんど捨ててしまった罪の恐ろしさに、彼女は腸(はらわた)をずたずたに切られるようであった。
酒宴の席に帰った藤十郎は、人間の面(かお)とは思えないほどの、凄まじい顔をしていた。が、彼は、勧められるままに大盃を五つ六つばかり飲み乾ほすと、血走った眼に、切波(きりなみ)千寿(せんじゅ)の方を向きながら、
「千寿どの安堵あんどめされい。藤十郎、このたびの狂言の工夫が悉く成り申したわ」と云いながら、声高に笑って見せた。が、その声は、地獄の亡者の笑い声のようにしわがれた空っぽな、気味の悪い声であった。≫
やはり長谷川一夫は役者である。

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